揚輝荘の青もみじ🍁と覚王山日泰寺命名の由来ウォーキング-2022-05-04

2022.05.04(水) 日帰り

活動データ

タイム

01:19

距離

2.3km

のぼり

24m

くだり

18m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
1 時間 19
休憩時間
11
距離
2.3 km
のぼり / くだり
24 / 18 m
1 20

活動詳細

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歴史散歩シリーズGW名古屋編 今日は3月の名古屋遠征時に宿題に残してあった浪漫紀行スポット候補の中から前情報全く無しの所を訪れてみようとの事で、敢えて穴場ちゃうやろかポイントへ行って参りました!!! 皆さんが周知ではないであろう史跡、文化財を巡る行動が自身の巡りズムを活性化させる為でもありました。今回訪れたのは㈱松坂屋の初代社長である15代伊藤次郎左衛門祐民氏の別邸である「揚輝荘」現在は名古屋市指定有形文化財に指定されている建造物です。古き良き時代を築き上げた開拓心と歴史のひとコマを拾いに😊 GO〜!!

 今回訪れる揚輝荘(ようきそう)は地下鉄「覚王山駅」と言う駅を下車後、徒歩10分位の所にあります。
周りは閑静な住宅街で、その間を縫うように抜けて行きます。
今回訪れる揚輝荘(ようきそう)は地下鉄「覚王山駅」と言う駅を下車後、徒歩10分位の所にあります。 周りは閑静な住宅街で、その間を縫うように抜けて行きます。
 おっと、急にインターバル。
おいで〜😺
おっと、急にインターバル。 おいで〜😺
 と間もなく到着! こちらは北園の庭園風景、新緑の青もみじが😊
と間もなく到着! こちらは北園の庭園風景、新緑の青もみじが😊
 庭園内には、豊彦稲荷神社なる
社があり
庭園内には、豊彦稲荷神社なる 社があり
 こちらは、伴華楼と言う建築物の入り口部分、下からのパチリンコ
伴華楼は尾張徳川家から移築されたもので当時では珍しい座敷に洋室を加えた洋風建築。昭和4年の建築物
こちらは、伴華楼と言う建築物の入り口部分、下からのパチリンコ 伴華楼は尾張徳川家から移築されたもので当時では珍しい座敷に洋室を加えた洋風建築。昭和4年の建築物
 大正から昭和初期に建てられたものモダンな雰囲気が漂う
大正から昭和初期に建てられたものモダンな雰囲気が漂う
 先程の豊彦稲荷神社。個人の別邸の中にあるものとしては、かなり立派なもの。当時の創業者の想いが偲ばれる。
先程の豊彦稲荷神社。個人の別邸の中にあるものとしては、かなり立派なもの。当時の創業者の想いが偲ばれる。
 白雲橋と呼ばれる北庭園のシンボル
雪の舞う頃には、叙情溢れる風景に
白雲橋と呼ばれる北庭園のシンボル 雪の舞う頃には、叙情溢れる風景に
 これは次の三賞亭の説明文
当時はもっと優雅であったらしい。
これは次の三賞亭の説明文 当時はもっと優雅であったらしい。
 三賞亭と呼ばれる茶室
最初の建築は大正7年
三賞亭と呼ばれる茶室 最初の建築は大正7年
 先程の白雲橋の説明文
先程の白雲橋の説明文
 先程の白雲橋、内部は撮影出来ませんでしたが、龍🐲の天井絵や手彫りの白木擬宝珠など趣向が凝らしてあります。
先程の白雲橋、内部は撮影出来ませんでしたが、龍🐲の天井絵や手彫りの白木擬宝珠など趣向が凝らしてあります。
 新緑の青もみじと重ね合わせてみる
極めて真面目なパチリンコ😄
新緑の青もみじと重ね合わせてみる 極めて真面目なパチリンコ😄
 新緑の青もみじに囲まれ
これもまたいい(≧∇≦)b
新緑の青もみじに囲まれ これもまたいい(≧∇≦)b
 三賞亭の内部を、茶室独特の趣き
三賞亭の内部を、茶室独特の趣き
 三賞亭の間より、近くにある日泰寺の五重塔を池に写し逆さ五重塔で
三賞亭の間より、近くにある日泰寺の五重塔を池に写し逆さ五重塔で
 一旦、外に出てからのパチリンコ
晴天と緑に顔がほころぶ😊
一旦、外に出てからのパチリンコ 晴天と緑に顔がほころぶ😊
 また戻って伴華楼の方へ
まずは庭先をパチリンコ
また戻って伴華楼の方へ まずは庭先をパチリンコ
 伴華楼は建築当時は各界の要人や文化人が往来する迎賓館、社交場として華やぎ、その後は留学生が寄宿しては国際的交流を図っていた。
伴華楼は建築当時は各界の要人や文化人が往来する迎賓館、社交場として華やぎ、その後は留学生が寄宿しては国際的交流を図っていた。
 覚王山と言う地の高台に立地した
池泉回遊式と呼ばれる庭園
覚王山と言う地の高台に立地した 池泉回遊式と呼ばれる庭園
 今は花こそありませんが、この緑のもみじが紅葉する時期になれば〜
がらっと景色は一変するんでしょうな😆
今は花こそありませんが、この緑のもみじが紅葉する時期になれば〜 がらっと景色は一変するんでしょうな😆
 遅くなりましたが、今度は伴華楼の説明文😑
遅くなりましたが、今度は伴華楼の説明文😑
 ここには、次々と人が押し寄せ
もうえ〜わい!!とパチリンコ😅
ここには、次々と人が押し寄せ もうえ〜わい!!とパチリンコ😅
 揚輝荘とは、の説明文😥
揚輝荘とは、の説明文😥
 松坂屋創業者、伊藤次郎左衛門家とは、の説明文🤔
松坂屋創業者、伊藤次郎左衛門家とは、の説明文🤔
 伴華楼、紅葉の時期の説明文
綺麗やろうね〜
伴華楼、紅葉の時期の説明文 綺麗やろうね〜
 もう、そろそろ新緑の青もみじも
ええかな
もう、そろそろ新緑の青もみじも ええかな
 今度はやっとこさ人が移動したので
ざっくり内部のモダン建築設計を御覧あれ
今度はやっとこさ人が移動したので ざっくり内部のモダン建築設計を御覧あれ
 かなり重厚感のある作り
ここにも日本建築の技がキラリ!
かなり重厚感のある作り ここにも日本建築の技がキラリ!
 大正〜昭和を駆け抜けた当時の面影はそのまま市民共有の貴重な財産として保全され
大正〜昭和を駆け抜けた当時の面影はそのまま市民共有の貴重な財産として保全され
 今も市民の憩いの場となっている
今も市民の憩いの場となっている
 それにしても、目に余る青もみじ
新緑の風に見上げる事、多々
それにしても、目に余る青もみじ 新緑の風に見上げる事、多々
 それでは、そろそろ次に北園から
南園に移りましょう〜
それでは、そろそろ次に北園から 南園に移りましょう〜
 こういう所も撮っとかんとね😄
こういう所も撮っとかんとね😄
 では日泰寺をチラ見して南園へ
言い忘れましたが、ここ揚輝荘では
不定期にさっきの白雲橋の上で
北庭園コンサートなるものが開催されているとの事でした。♫〜
では日泰寺をチラ見して南園へ 言い忘れましたが、ここ揚輝荘では 不定期にさっきの白雲橋の上で 北庭園コンサートなるものが開催されているとの事でした。♫〜
 次に南園に参りました! この建物は
聴松閣(ちょうしょうかく)と呼ばれる山荘風の外観をした三階建ての迎賓館で各室は各国様式がミックスされており地階は全体がインド様式です。
次に南園に参りました! この建物は 聴松閣(ちょうしょうかく)と呼ばれる山荘風の外観をした三階建ての迎賓館で各室は各国様式がミックスされており地階は全体がインド様式です。
 内部は舞踏場や留学生達の寄宿舎
そして外国からの要人達との応接室や書斎といったものが主となっていました。以上が揚輝荘の北園、南園内の概要であります。では次は
少し寄り道して日泰寺さんの方へ参りましょう!
内部は舞踏場や留学生達の寄宿舎 そして外国からの要人達との応接室や書斎といったものが主となっていました。以上が揚輝荘の北園、南園内の概要であります。では次は 少し寄り道して日泰寺さんの方へ参りましょう!
 日蓮宗 覚王山 日泰寺
この日泰寺の由来、後で説明しますね
日蓮宗 覚王山 日泰寺 この日泰寺の由来、後で説明しますね
 明治三十七年建立の超宗派の国際的寺院
明治三十七年建立の超宗派の国際的寺院
 鐘楼の鐘にもシャム(タイ)の影響を受けた文字が刻印されている
鐘楼の鐘にもシャム(タイ)の影響を受けた文字が刻印されている
 こちらの五重塔もその影響が建築様式にも反映され、和の塔ではない印象が強い
こちらの五重塔もその影響が建築様式にも反映され、和の塔ではない印象が強い
 礼拝殿のすぐ近くまで車で行ける
珍しい寺院。まるでドライブスルー寺院!! ごめんなさい(_ _;)
礼拝殿のすぐ近くまで車で行ける 珍しい寺院。まるでドライブスルー寺院!! ごめんなさい(_ _;)
 遠目より五重塔を望む
遠目より五重塔を望む
 日本の寺院なら、仁王像
こちらは何と呼ぶのか😅
日本の寺院なら、仁王像 こちらは何と呼ぶのか😅
 最後に日泰寺の命名の由来を
簡単です!!当時の日本とタイ(シャム)との友好を願いニッタイジ=
日泰寺と名付けられ現在に至っているそうです。ちなみにこちら地元では日泰さんと呼ばれ皆さんに愛され毎月21日には縁日が催され、沢山の出店が立ち賑わいをみせているらしいです。以上で本日のレポは終了です。今回もご覧頂き誠にありがとうございます!!私にとっても興味深い歴史散歩となりました。☺️
最後に日泰寺の命名の由来を 簡単です!!当時の日本とタイ(シャム)との友好を願いニッタイジ= 日泰寺と名付けられ現在に至っているそうです。ちなみにこちら地元では日泰さんと呼ばれ皆さんに愛され毎月21日には縁日が催され、沢山の出店が立ち賑わいをみせているらしいです。以上で本日のレポは終了です。今回もご覧頂き誠にありがとうございます!!私にとっても興味深い歴史散歩となりました。☺️

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