ohkamo

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ユーザーID: 95511

  • 広島, 鳥取, 長野で活動
  • 1969年生まれ
  • 長野にお住い
  • 男性
2024/08/14更新 兵庫県の名峰 千ケ峰のホームページを開設していました。広島県に転居したので内容を変更し鴨の山記録に名称を変更しました。2024/05/19長野県に転居。 仕事は週4日(あくまで原則)なので山行回数多めです。 http://sengamine.sakura.ne.jp/homepagenew/entrance/sen.hyoushi.htm Instagram ohkamo1969    https://www.instagram.com/ohkamo1969/ ・・・・・・・・・・・・・・・ ☆私の山歩きの基本スタイルは「ソロ(というか自由気ままにが基本です)」です。グループが嫌という訳ではないです(お呼びがあれば都合にもよりますが参加しますよ🎵)。ただ自由に歩きたいので天気などを見て東へ行ったり西へ行ったり・・ベストなところを求めて自由気まま🎵に歩きたいです。時々パピヨンのチーズさん(♀ 2008.6.20生)とワンコハイクをしています。    ☆みなさんのレポートをしっかり拝見させて頂いています。その分、コメント書き込みが少ないとは思いますが<m(__)m>・・よろしくお願いします。皆さんのレポートで疑似体験してワクワクしています。基本DOMOはレポート単位で行わせてもらいます。 ☆フォローさせて頂いている方のレポートを楽しく拝見させていただいていますが、これ以上追加させていただくと疑似体験して楽しみを共有することが困難な状況になってしまうのでフォロー返し困難な状況です。お会いした方でコメントもらった方などに制限しています。ご理解いただきたくよろしくお願いします。申し訳ございません。 下記のいずれかに該当すると私が判断した方 ・フォロー者数400以上の方で接点(山域を含む)や交流の少ない方 ・自己紹介と山行記録のほとんどない方 ・接点がほぼなく活動がここ1年程ほとんどない方 ・ハンドルネームのない方(guest) ・DOMO返しがほぼない方(見て頂いているかはDOMOで判断するしかないので) ・一般常識に欠けると判断した方(ほとんどおられないとは思いますが) は、すいませんがフォロー解除させてもらうことがあります。 ☆機材等 メインカメラ:OM SYSTEM OM-5 サブカメラ:OLYMPUS OM-D E-M5 Mark II・TG-4 カメラホルダー:コットンキャリア 画像編集ソフト:Adobe Lightroom 山歩きに使用している(地図&GPS軌跡編集&展望)ソフト カシミール3D ・・・・・・・・・・・・・・・ 健忘録・・・思い出し中&記録探し中にて修正あると思います。 昭和58年(1983年)1月23日 中2:明神山668m 雪の明神山へ(T川君,T本君と) 昭和58年(1983年)2月11日?中2:明神山668m 明神山へ同級生と(T木君,M田君,M安君) 昭和58年(1983年)春 中2:雪彦山最高峰977m 馬の頭より藪を漕いで登頂(T川君と)   熊部集落を詰めると谷が二つに分岐する。左の谷を登り途中で右(真中)の尾根へと上がって笹薮を漕いで977m峰の東側へ。稜線は伐採されており西にピークを確認できたので簡単に登ることができた。道のないところを自分でコース取りして登ったのは初めて。ところが下山をミス。南に下りているはずが北へ下りてしまっていて(藪を避けていたらいつの間にか北へ💦)目の前の景色(北の山々・・)に愕然・・。進路を修正し南へ回り込むと林道がでてきて(坂の辻峠からの林道)T川君と「よかったよかった」と安堵して南へ歩いて行くと林道が行き止まり(工事未完成)😱。やむなく地図(2万5千分の1地図)とコンパスを頼りに登りに使った尾根へと藪を漕いで復帰し無事下山した。 昭和58年(1983年)8月:雪彦山最高峰977m 再度狙うも暑さと水切れで途中撤退(M君と)   自分でコース取りして登ることができたのがとてもうれしくて(達成感すごい)再び登ろうとするも稜線にたどり着く前に暑さでバテバテでなかなか進まず。おまけに水が少なくなってこりゃ無理だと断念。ところが下山が今考えるとまずかった。水が欲しくて沢へと下りてしまった。黒っぽい滝がでてきたけれど幸いその下へでることができた。そこには杣道があった。杣道が林道となり民家を見つけて休ませてもらった。熊部では977mを黒滝山と呼びその謂れは下山途中でみた黒っぽい滝であることなどをおじいさんから教えてもらった。 昭和58年 秋 雪彦山(洞が岳811m)初の雪彦山へ 同級生(N波君・M君・T川君・M田君と)  ノーマルルートで洞が岳をぐるっと回った。大天井岳山頂からは七草山の向こう側に広がる雲海(霧海)に感激。六甲山や淡路島まで遠望することができた。 昭和59年 春 氷ノ山(東尾根から往復) 残雪の氷ノ山へ(ソロ)  雪の氷ノ山に登りたくて汽車(ディーゼル)とバスを利用して登山口へ。東尾根から往復。登っている時に地元の親子と一緒になった。帰りは八鹿駅まで送ってくれた。 昭和59年 秋 暁晴山1077m 峰山高原から砥峰高原に縦走(ソロ)  電車とバスを乗り継いで峰山高原へ。紅葉していてとてもきれいだった。砥峰高原は一面の笹原。ただ下のほうではオフロードバイクが走り回っていてやかましかった。 昭和60年(1985年)7月27日~7月31日:表銀座と槍・穂高縦走  行ってみたかったアルプスに初めて登った。祖父が援助してくれて高校の先生と一緒に登る予定であったが中止となった。ソロは心配だと言われ見つけたヤマケイの次田経雄登山教室で登りたいと言ったらオッケーしてもらった。大阪からの夜行列車で穂高駅に向いバスで登山口へ。そこで集合して5,6人でまずは7/27燕岳へ。燕山荘で宿泊。7/28は槍ヶ岳の山小屋で宿泊した。翌日、槍ヶ岳からキレットを越えてほかのメンバーはオコジョをみたと・・見たかった)北穂へ縦走し7/29北穂高の小屋で宿泊。次田先生が滝谷へ連れていってくれた。とんでもない狭い岩峰に独り立ってみている方が怖い。大キレットはまあ小屋泊りだったし雪彦山へ良く登っていたので怖さはなくしんどかった。7/29は前穂高経由で岳沢ヒュッテへ。ヒュッテで泊まって解散となった。初のアルプスは圧倒的なスケールの違いを見せつけられた。ただ山というと雪彦山や明神山、高御蔵山という印象だったけどその概念が揺らいでしまった。なぜか地元に山々が恋しくなった。それをいうと何で?と一緒に登った方に不思議がられた。

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