Kei.A

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ユーザーID: 545360

  • 奈良, 三重, 長野で活動
  • 1962年生まれ
  • 神奈川にお住い
  • 男性
登山歴…約40年。 3000m級初登山は、1980年高校3年時の夏、北~奥~前穂高連峰縦走。 1987年より会社山岳部合宿で雪山登山を始めて、富士山・八ヶ岳・谷川岳・西穂独標等に雪上訓練又は登頂し、今はほぼ毎年積雪期は八ヶ岳に通っています。 夏季には加賀白山、北アルプス、大峰山脈北部等に縦走登山や、大阪・奈良・三重の低山トレッキングや神仏習合で寺社を巡る旅をしています。 最近は単独行が殆どですが、気持ちは同行二人で、理源大師聖宝尊師の導きを心に懐き、御祖宝号「南無金剛蔵王大権現、南無神変大菩薩、南無聖宝尊師、南無大師遍照金剛」を心に唱え登山をしています。 オールシーズン縦走登山、スノーシュー登山&トレッキング。海外遠征登山経験無し。 常に雪山縦走・長距離縦走登山を視野に入れた標準装備を考えているので、例え低山でも極端な軽装登山は慎んで楽しみます。 ペースは標準タイムの若干遅めを目指し、早く歩いたり走ったりはしません。 今、流行りの登山言葉、「軽やかに駆け登り、駆け下る」や、「サクッと登ってきました」も、安全面から私は心掛けません。 油断大敵。 ハイペース登山の成功体験から、油断や過信が生まれ、トラブルや遭難に継るのです。 行動時間の短縮は、ペースを速めるのではなく、休息の回数と時間を減らす事で行なう様にしています。 特に体力と体温の温存と疲労蓄積の防止が、登山レベルが上がる雪山登山では重要なので、常日頃の登山でもペースを、身体が暑くもなく寒くもない一定の状態になるべく保ち、軽い躓きやお手つき転倒はもちろん無くし、ザックの上げ下ろしや上着の脱着等、無駄な動きは最小限にとどめます。 余裕のあるしっかりした計画を建て、標準よりも若干ゆっくりペースに抑えることが、無駄な動きを無くし、精神的・体力的に余裕を生み、怪我や事故・遭難を防ぐ事につながり、結果的に単独行でも安全に登山出来ると思います。 各県の山救隊や遭対協の方々が単独行をしないよう呼びかけていますが、それは山登りを団体で学んでいない人が安易に単独行を行い死亡事故を起こすケースが多いからです。 本格的な単独行登山を行う前に、サークルや講習会や初級者対象のツアー登山等で充分なスキルを積んで置くことが大切だと思います。 充分に学んだ経験があれば単独行自体、危険な登山行為では無いのです。 初めは人に教えを請い、1人前になったら人に頼らず一定の距離を置いて己を磨くため単独行登山をする。 どんなピンチに遭っても、世の中で最期に信じられるのは人ではなく、同行二人の導きで心の神仏と向き合い、霊異相承で育んだ己の心と行動のみです。 これが私の登山経験から出た結論です。 登山はスポーツですが競技ではありません。 山岳トレラン大会やスポーツクライミングという競技がありますが、あれは登山とは似て非なるものと私は思います。 人が設定した課題を競争して克服する実績経験が、山々に通用するほど自然は甘くありません。 山では何が起こるか分からないのです。 ペース的に早く登り降りれば良いというものでは無く、設定したペースを一定に終始保って歩き続ける事による、万一のサバイバル対応に使う体力の温存が、登山の安全面で大切と私は思い、今は人に影響されないよう一定の距離を置き、なるべく同行二人・単独行で歩いています。 最近私が興味を引く修験道では滝行や護摩祈祷行をしなくても、御祖宝号・御真言を心に唱え祈りながら山々を歩き巡る行だけでも「山林斗藪(とそう)による禅定行」、同行二人の導きでその山に宿る神仏の息吹を感じて自問自答をする、「霊異相承…目に見え無い山の神仏との心の対話」、「擬死再生…結果的に生きたまま仏様の気持を悟り、生れ変った様な感覚を得る事」を得るとされており、最近の私はそれを目指して登山をしています。 因みに「禅定」とは、仏様の気持を悟る六個の方法(纏めて六波羅蜜)の1つで、心を鎮め一つにして煩悩を払い、自己を見つめ直すという意味で、禅宗系では「禅定」に導く方法として座禅を用いていますが、真言・天台・浄土系等の中で修験道系の宗派では「山林斗藪(山々を無心集中して登拝する事で、俗社会の煩悩やしがらみを払い、心身をリフレッシュする行為)」という方法で「禅定」を行い、同行二人の導きで「霊異相承」により山の神仏と心の中で対話し気持を悟り、「擬死再生」を願います。 江戸期に流行った、白山講・立山講・富士講等の信仰登山を纏めて「三禅定」と言ったり、登拝する霊山の頂を禅頂と言ったり、その頂に続く登山道を禅定道又は禅頂道と言われる源流は、この辺にあると思われます。 なぜ山に登るのか? 私は人を頼らず一定の距離を置き、同行二人の導きで心の神仏と向き合って、心身をリフレッシュする為であり、己を信じて命は自分で護り、山に置き忘れない様にゆっくり登ります。🙏