seije

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ユーザーID: 3827758

  • 活動エリア 石川,福井,富山
  • お住いの地域 石川
  • 性別 男性
石川県白山市 住 。幸運なことに住んでいるところから白山が毎日 見えます。手取川 デルタに位置していて白山の伏流水を飲料水として飲んでいます。白山美川伏流水群の日本100名水と同質 なので とてもうまいです ,白山の恵みに感謝。毎日歩く。ロードバイクで しまなみ海道を走るのと流氷を見るのが夢。 熊野古道、大葭原も行きたい。写真を撮るのは楽しい。北海道好きで16回行った 。利尻岳、利尻島50kmママチャリ一周=利尻YH主催→暗くなってYHに到着するとオーナーの女主人が、ふきのとうの風来坊という歌を手を叩きながら歌い迎え入れてくれるのであった、斜里岳→斜里YH主催なのだが下山後、羆がよく出るので今日出ないで良かったと聞かされたw。羅臼岳登ろうと、ふらり岩尾別YHへ予約無しで行ったら満員で宿泊できなかった。羆の一番いる場所で単独行は困難で下で恨めしく山容を見たのであった。礼文島 西海岸40km 8時間コース ハイキング 3回=桃岩YH主催、礼文岳3回、知床カムイワッカの滝入湯→同行した女子大生4名と混浴、着衣のままだが=今は廃業の斜里YH主催、斜里YHと桃岩YHがぶっ飛んだYHとしてとても有名で斜里YHには円盤音頭というのがあります。ここでたまたま宿泊して4泊5日くらいYHのツアーに参加したのが楽しくて良い思い出だ。その後宿泊しようと再訪したら工事現場の労働者の宿泊所になって廃業と聞きがっくり来た。帰ってきて宿のアルバイトの方からハガキを受け取ったのも良い思い出。知床岬まで観光ヨットで行った、大沼のカヤック2時間コース講師同乗を申し込んだが時間帯が真夜中で月の無い漆黒の中の無風の湖はとても怖かった。野付半島トドワラをずっとずっと歩いていると向こう側に知床連山の羅臼側と向かいに国後島が近くに見えて、その風景の雄大さに腰を抜かした。美瑛40kmくらい丘をレンタサイクルで登ったり下ったりして走った3回、途中食べた朝採れの茹でとうもろこしの味は忘れられない、そして大雪山連峰が遠くに見えて美しい。尾瀬、西穂5回、前穂、奥穂4回、北穂2回、涸沢迄2回→一度は春山でその上は装備不足もう一度は涸沢の群発地震であまりにも怖く日帰りした。岳沢から上高地に降りてバスがもう無かったので釜トンネル経由して沢渡まで歩いた事がある、遠いという記憶が強く残っている。→今調べたら15kmだった、疲労してたせいやな。白馬岳4回、白馬鑓温泉入湯、唐松岳、朝日岳、雪倉岳、剣岳 5回、白山 12回、白山 釈迦岳、白山岩間温泉噴泉塔源泉入湯2回、赤兎山3回、槍ヶ岳 2回、南岳、常念岳 2回、蝶ヶ岳、北岳、立山 3回、丹沢塔ヶ岳、五竜岳、薬師岳2回、乗鞍岳2回、木曽駒ヶ岳2回←沢登、空木岳2回、宝剣岳、爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、阿蘇山、焼岳、針ノ木岳、鳴沢岳、赤沢岳、 スバリ岳、池ノ谷→三の窓→剣岳=岩登の経験の無い初心者の状態で参加、ロッククライミングの会 →今調べたら石川県のロッククライミングの山岳会は出てこなかったので解散したのかもしれない。の夏合宿でベースキャンプの滝そばの大岩より帰りはスケジュール上単独になって 池ノ谷ガリーで下山ルートから離れ遭難、三の窓 雪渓登頂時、小石だったが落石がとんでもない速度でヒューンと音を立てて耳をかすめた、頭に接触してたらスイカ割りみたいな惨事やったやろう、帰り剣岳→三の窓で1000mくらいの垂直絶壁で下を見てたら吸い込まれそうな感覚になり、後ろの当時国内で著名なクライマー先輩が様子を見て支えて頂いた、つまり、この登山で3度死の間近にいた。海外旅行も好き。ベトナム2、中国2、タイ4、バリ、ネパール、エジプト、トルコ、シンガポール、マレーシア、ハワイ、台湾。シルクロードのあった敦煌、バーミヤンに行きたい。生き方として尊敬してるのは 玄奘三蔵と伊能忠敬。 この2人は歩きのスペシャリストです。七尾市立図書館司書の方と友人になり、彼が主催する読書会に参加、月一度七尾近郊のハイキングした5年、過去2年くらいめっこ山岳会所属→夏合宿で高校時代捻挫古傷の左足首を2度捻挫してリタイア。日中友好協会金沢支部長が金沢大学教授で月1回近郊の低山ハイキング主催され過去10年くらい活動参加した。写真は風景写真家中川宏治先生の写真教室で月1度のハイキング写真実践を3年経験。中川先生と2人で夏山で白山登山した際、半袖で近年の紫外線増加のせいか皮膚が火傷みたくなった、首にもイボみたいなケロイドが残り、これは若いと回復するのだが、残念ながらもう回復できる年齢を超えていた、その事があって以降、登山していない。下から眺めるので満足してる。剣御前から眺める剣岳の勇姿。涸沢から眺める穂高の峰々。これが最も美しくて好きだ。私の中でまた登りたいというマグマに似た感情が溢れた時、再開します。再開するにも現状、交通手段を持ってないので再度、山岳会に入るか、原付バイクもしくは乗用車を買うかを待つ必要が有ります。それまではフォロワーの皆様方には心苦しいですがトレーニングの散歩のupが続きます。飽きっぽいのか単調な散歩は苦手なんだけれど、YAMAPは撮った場所等記録が残りとても良い。趣味 映画さすらい,ストレンジャー.ザン.パラダイスが好き, 60年代70年代ロック→最近は Scorpionsにはまってます ,日本代表および海外サッカー, 園芸,旅 ,ロードバイク, 読書 ,信者じゃないけれど 教養として 旧約聖書 新約聖書を一度読み通しました,愛読書は カラマーゾフの兄弟,喫茶店にあるような電動ミルで珈琲豆を挽いて 毎日 外に行って白山を眺め タバコをふかしながら飲んでます。タバコはアメスピの黒です 廃盤になったので35カートン買いだめしたのを大事にすっています。空海という名前は無限の広がりを感じるが 鳥海山という山の名前も同じく 無限の広がりを感じて好きです。一度秋田の友人のところへ遊びに行く時 裾野から見た山容は美しかった。登山という行為がどういうものであるか考えることがある。企画して,行くそして無事帰ってくる ,これで行動が完結している ,いたってシンプルである。このことが 精神的に癒される所以なのだ。現代人は物にあふれていて,そのことから逃れて体一つで行動をすることで やすらぎを得れる。まさしく 生きてるということを実感できる瞬間 ,登山の過程の中に その喜びの時があるとは思う。所属していた めっこ 山岳会では登頂する過程が登山の本質であって登頂のみを目指す やり方をピークハンターとしてあんまり良くない行動として教えられた。何気なく聞いていたが,その言葉は私に影響を及ぼしている。登山をするようになってそれから写真を撮るようになった。写真は自分を映す鏡だと思う。その時の 思っていることや 価値観, 世界の見方 それらが全て赤裸々に映し出される。不思議だ。網膜には光に反応する 視細胞が片目だけで1億も存在しているらしい。なかなかその域に達するのは難しいけれど, ずっと写真を撮り続けていると,カメラが体の一部 みたいに感じる時がある。視細胞と繋がる光の刺激を固定させる器官として。美しいと感じたものをカメラでシャッターを押す瞬間 どういうわけか わからないけれど 脳の機能として 抑圧が解放されて それが幸せの源泉 みたいなことになるらしい。フィルムで写真を撮っていた時代,なんかシャッターを下ろした瞬間 すごいいい写真が撮れた実感があって ,それが 指先から カツンという 感じの快感が来たことが 数度あります。写真は光と陰の芸術という言葉があります。だから良い写真を撮るということは良い光を探しているということなのです。光は 時間帯や 時期によって 違ってきます。それが同じ被写体を 毎日 撮っても同じ 写真にはならない 理由なのです。そこに写真の奥深さがあると思います。 医学的には生きることは歩くこと,どういうことかというと 歩けなくなると人間廃業だということ。今までの人生を振り返ると保育所と小学校で毎日往復4km 歩いた。中学校は山の上にあって 海抜 90m ぐらいを毎日登った。 高校時代は ボート部に所属していて 挺庫まで往復4km 毎日走った。大学の専修大学生田キャンパス も山の上で 95m の標高があった。つまり 幼い頃からずっと かなりの距離を毎日歩いていた。歩くと幸せな気分になる, 生きていると実感する。YAMAP でフォロワーの方の登山を見てて一番 羨ましいのは ジャンダルムに行った人の投稿です。色々見てて 単独で経験者なしで行けるようなところじゃないような気がする。それは私の思い込みなのかもしれないけれど ,そんな恐怖感を持った気持ちでは行けないですね。奥穂高岳の山頂 や 奥穂高 小屋から ジャンダルムは近くに見えて いつも憧れでした。西穂から北穂の縦走はいつもいつも私の頭にありました。知り合いの経験者二人から話は聞いたけどそんな困難 そうなことは言ってなかったです。西穂に登ったことがあるんであんな道がずっと続く少し困難だろうけどそんなふうには思ってました。人間 夢を叶えるのが大事なんでそれをやらないで死んでいくのも情けないです。 ◀

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