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YAMAPプレミアム

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  • その他で活動
  • 1960年生まれ
  • その他にお住い
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(つれづれ日記 2022年5月8日) 今、ヤマザキマリがおもしろい。 漫画家としてではなく、彼女の世界観や歴史観がおもしろい。 つまり、彼女自身がおもしろい。 GW中に、NHKラジオで「ヤマザキマリ ラジオ」と「世界史バル マリ」を聴いた。 虫から世界情勢そして世界史に至るまで、深い造詣と好奇心にあふれた彼女の精神世界に引き込まれてしまった。 世界中を旅することが好きな彼女は、(世界各地に住んでもいるが)、自分と違う価値観や文化と常に接していないと精神的に不安になるそうだ。 ともすれば人は、自分の価値観にこだわったり守ったりして、自分と違う価値観や文化を持つ人たちや国を排除しようとしてしまう。 好奇心が強くて予定調和を好まない彼女は、決して他者の文化を否定せず、古今の世界を(その幅広く深い知識によって)高みから俯瞰しているように思われた。 自分も、コロナ前は、何度か海外をひとり旅したことがあった。 (海外ひとり旅は、自分が日本人であることを一旦リセットしてくれるから好きだ) 旅先の国で異文化や違う価値観と出会ったとき、まるで脳に強炭酸のコーラをぶっかけられたかのような、強い刺激を受けたことが何度もあった。 世界は広く、人々はほんとうに多様な価値観を持って生きている。 また、海外ひとり旅がしたい。 (YAMAPからの通知をoffにしていますので、コメントへの返事が遅くなるかもしれませんし、DOMO への返しはしないかもしれませんが悪しからずご了承ください。) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 (つれづれ日記 2022年5月4日) 最近、近くの公園でよくキジが鳴いている。アパートの中にまで響いてくる。 (以前、散歩中に公園の中で出くわしたこともあった) 山でも、ウグイスや他の鳥たちのさえずりが耳に楽しい。 今は、鳥たちの恋の季節。 最近のお気に入りは、ルリビタキのさえずり。甲高くよく響く。 昨日は、縦走中に滝山の付近でアマツバメが飛び交っているのを見かけた。 (鳥には詳しくないが、腰が白かったし腹は白くなかったので、たぶんそうだと思う) 今日、公園を散歩していたら、カイツブリを見かけた。 2羽いた。たぶんつがいだろう。 ふと潜ったかと思うと、次の瞬間かなり離れた水面にひょこっと顔を出す。 次にどこに瞬間移動するのか、予測がつかない。 離れていたかと思うと、また2羽が寄り添って泳いだりして仲睦まじい。 急に甲高く長いさえずりが耳を突いた。 雄が雌に呼びかけているのだろう。 そうか、この前からよく耳にしたのは君の声だったのか。 鳥たちに対する親近感は、もしかしたら、同じ地球に生きる仲間意識なのかもしれない。 もしも、地球上から人間がいなくなったとしても、鳥たちには生き残ってほしいと思う。 人間が滅亡するとしたらそれはたぶん自業自得だろうけど、鳥たちを巻き添えにはしたくない。 もしも、どちらかが滅亡する未来の選択を迫られたなら、鳥たちが生き残る未来を選びたい。 鳥も住めないような地球には住みたくないから。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 (つれづれ日記 2022年4月26日) 雪が消えてしまった。 スノーロス。 次のスキーシーズンまでは、長いなぁ。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 「同志少女よ、敵を撃て」を読み終えた。 第二次世界大戦下のソ連が舞台の物語。 ナチスドイツの侵略に苦しめられたソ連が、ロシアに変わったとはいえ、今度は平然と他国を侵略し苦しめている。 戦争を憎み、平和を願った当時の人たちの思いは、時間と共に風化し忘れられていく。 それは、日本も同じかもしれない。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 (つれづれ日記 2022年4月23日) 最近思うこと。 今存在している人類は、ホモ・サピエンスだけだ。 かっては、ネアンデルタール人もいた。 だけど、ホモ・サピエンスとの戦いに敗れ、滅んでいった。 学者によれば、かつては100種くらいの人類がいただろうと推測されている。 だけど、生き延びることなく滅んでいった。 おそらくは、人類同士による淘汰の結果だろう。 そして、最後に残ったのがホモ・サピエンスだった。 もしかしたら、ホモ・サピエンスが一番好戦的な人類だったのかもしれない。 最近、そう思うようになった。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ウクライナ情勢のことが、毎日気になって仕方がない。 海の向こうの遠い国で、毎日、不条理に大勢の人々が殺されている。 いや、単にどこか遠くの人々が殺され続けているだけではなく、自分が住んでいるこの世界の自由と未来と希望が殺され続けている。 そして、世界中がそれを傍観している。 だから、単に彼の地の人々への同情と憐憫だけではなく、我が身においても不安と息苦しさを感じてしまう。 平和な日常というものは、または未来への希望というものは、砂でできた城のように、かくも簡単に壊れていくものなのだろうか。 考え続けても、答えが見つからない。 祈り続けても、未来への希望は見えない。 それでも、答えのないまま、この不確かな今を生きていくしかない。 流されながら、平凡な毎日を送り、 そしてまた、山へと向かう。 自分にとって山は、生活の一部であり、欠くことのできない居場所であり、ビタミン剤でもある。 しばらく山から離れると、そわそわと落ち着かない。 だから、また山に登る。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 (2022年3月某日) We all live on the Earth, no more than a little planet in the universe. And everyone is not alone. I believe love and the spirit of freedom will save Ukraine and the world. ウクライナのことが頭から離れないので、当分の間YAMAPから離れます。 ウクライナへの侵略は単に遠くで起きている悲惨なジェノサイドというだけではなく、自由の精神というとても身近でとても大切なものへの侵略でもあると思う。だから二重にとても息苦しさを感じてしまう。 私にとって登山は、自分の精神を解放するための行為。 空気がないと鳥が羽ばたけないのと同じで、自由の精神が担保されていないと人は安心して楽しく山に登れないのではないだろうか。 YAMAPにはお世話になっているけれど、商業主義一辺倒ではなくて、自由の精神を守るための社会的な責任をも感じてもらいたいと思う。 自分への戒めも含めて今思うことは、平和というものは、どこかの他人の身に起きている悲劇に対して目を反らしたり鈍感になったりすることで得られるものであってはならないのだということ。 それでは寂しすぎるし、本当の心の平和や安息は得られないと思う。 平和というものは、もしかしたら、咲いては散る花のように儚いものなのかもしれない。 永遠の平和なんてそもそも夢物語なのかもしれない。 なぜなら、人間というものは突き詰めていけばみんな自己中心的な存在で、そしてどんな種類のどんな小さな権力にも必ず暴力性は潜んでいるから。 そして、自分が平和の中にいるときには、人々は平和に対してとても無関心だから。 平和というものはきっと、毎日少しずつ崩れ続ける砂の城のようなものなのかもしれない。だから、毎日みんなが補修をし続けなければ維持できないのだと思う。 そのためには、ひとりひとりが少しずつでも利他的な行動をし続け、常により良い方向を模索し続けることでしか、自分の身の周りをも含めたこの世界の微妙なバランスの平和や壊れやすいこの地球は維持できないのだと思う。 登山愛好家の交流サイトでもあるYAMAPで、こういう発言をすることが場違いなのは理解しています。 それでも、その人の考え方がその人自身を表すものだと思っているので、これが私の自己紹介でもあります。 そして、登山の経歴や百名山をいくつ登ったか等の縛りからも自由になりたいと思っています。 (YAMAPからの通知をoffにしていますので、コメントへの返事が遅くなるかもしれませんし、DOMO への返しはしないかもしれませんが悪しからずご了承ください。)