denali

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プレミアムユーザー

ユーザーID: 1462430

  • 神奈川, 東京, 山梨で活動
  • 1961年生まれ
  • 男性
なぜ、山に、秘境に、遺跡にいくのか? 生を受けたこの美しい世界への帰属と 荘厳な万物の摂理と歴史への畏敬と 自らの小ささとこの世界の大きさを 確認するために足を向けているのかなー。 ✳現在のステータス 百名山     100/100完登㊗️ 二百名山    67/100 三百名山    66/101         233/301 花の百名山   75/100 都道府県    47/47完登㊗️ 都道府県最高峰 47/47完登㊗️ 3000m峰    21/21完登㊗️ 北ア三大急登  3/3 完登㊗️ 日本三大急登  3/3 完登㊗️ 三大キレット  3/3 完登㊗️ 多摩百山    100/100完登㊗️ 多摩100山    99/100 残:稲村岩 関東百名山   93/100 山梨百名山   95/100 分県登山G東京  31/34残 :島山 分県登山G神奈川 54/54完登㊗️ 富嶽三十六景  36/36完登㊗️ 秀麗富嶽十二景 20/20完登㊗️ ✳アルプスの縦走 ① 烏帽子(ブナ立)-槍穂高(大キレット経由)+西穂 単独テン泊 ② 劔(早月)/立山-槍穂高(涸沢経由) 単独テン泊 ③ 白馬(大雪渓)-烏帽子(ブナ立) 単独テン泊 ④ 燕(合戦)-槍ー常念/蝶 単独テン泊 ⑤ 北-光(南アルプス) 単独テン泊 ⑥ 空木-木曽駒 (中央アルプス) 3人/小屋泊 ⑦ 奥穂(涸沢経由) 息子とテン泊 ✳海外の登山/トレッキング グリンデルバルド(スイス)トレ ツェルマット(スイス)トレ シャモニ(フランス)トレ ハーフドーム(アメリカ ヨセミテ)登頂 ヴィクトリアピーク(香港)登頂 ハンムア(ベトナム)登頂 最後の2つは、足で登ってますが、高尾山みたいなもん。 *紆余曲折 大学時代、夏と冬に北海道を2か月づつ、バックパックスタイルで旅をした。貧乏学生なので、ヒッチハイクをしたり、居候させてもらったりしながら、秘境など自然の中に身を置く楽しさを知った。それから、旅のとりこになった。4年になると、長期休暇は1週間程度になる。短い期間で、自然を満喫できる旅は何か?そうだ、山旅だ。旅となれば、縦走。山小屋に泊まるお金はないので、テン泊。山は、写真でスゲーと思ってた北アルプスに行きたい。ということで、テン泊用品を買いそろえ、4年の夏休みに、北アルプスの裏銀座テン泊縦走に行った。登山靴もなく、スキー用のハイカットのブーツだった。いま思えば、初の本格登山で、北アルプスは少し無謀な気はするが。 いきなり、三大急登のブナ立尾根の洗礼を受ける。めちゃくちゃ体力削られながら、烏帽子の稜線に出る。何だ、これは?眼前にこれまでに見たことがない風景が広がる。涙が出た。その時の感動は今でも思い出す。これまでの秘境/自然をはるかに凌駕する圧倒的な風景。スゴイ、スゴすぎる。それからは、毎日が感動の連続。槍でのモルゲンロート(2回目の山行ではブロッケンも見た)。これで完全にノックダウン。涙が止まらない。大キレットを歩き、奥穂へ。キレイな涸沢カール、ジャンダルムの異様な山容。もう、完全に山のとりこになっていた。さすがに、西穂まで行くのは無謀と判断し、前穂から岳沢を上高地に降りる。翌日、バスはお昼頃。でも、名残惜しくて空荷で西穂に登る。テン泊ザックの重荷から解放され、体が羽が生えたように軽い。走って登った。西穂往復で、確か4時間くらいだった。 当時の私の辞書は、山=アルプス、山旅=テン泊縦走であった。富士山とかの単独峰に登りたいと思ったこともなかった。日帰りは山旅ではなかった。それ以降、夏休みはアルプスでテン泊縦走が定番となった。基本夏休みだけの山旅なので、いろいろ合わせても、20代の山行日数は合計40-50日くらいしかないかも。本当は、キャリア1-2年の初心者だ。アルプスの主要な山域はそこそこ行ったが、いつかはと思っていた奥穂-西穂ルート、槍北鎌は行けずじまい。南アも甲斐駒/仙丈/鳳凰三山を残している。 27歳で結婚。アルプス熱に浮かされていたころで、新婚旅行は迷わず本場アルプスでのトレッキングを組み込んだ。カミさんはインドア派なので、とにかく8日間をオレにくれと、グリンデルバルド、ツエルマット、シャモニへ。ユングフラウ、アイガー、マッターホルン、モンブランの周りをトレッキング。夢のような景色だった。初の海外旅行で、バックパックスタイル。これまた、無謀だったのかも。タクシーなんて使わない。すべて、足か公共交通機関の旅。航空券もユーレイルパスもTGVも寝台列車も宿も、すべての手配を自分でやった。宿も僻地で予約できず、行き当たりばったりで泊まったところもある。まさに、慣れ親しんだバックパック旅であった。雪焼けで真っ黒で、皮がボロボロ剥けている。以降のカミさんご所望のパリ、ローマでは、カードで決済しようとすると、バックヤードから店員が帰ってこない。汚い恰好の日本人で、怪しいと思われたのだろう。日本人の観光客もいたが、異様な姿だったのか、話かけられることはなかった。でも、楽しかった。カミさんに、楽しかったよねと聞くと、楽しかったと答える。でも、もう二度とやりたくないんだって。 子供ができ、米国への赴任。登山ができなくなる。国立公園を巡ることくらい。でも、これはこれで、とてつもないスケールに圧倒される。やっぱ、大陸はスケールが違う。国立公園フリークの誕生だ。いろんな国立公園に行った。帰国後の夏休みも、家族旅行に代わった。テン泊やチャリツーリングなどのアウトドア要素は、取り入れてはいたが、家族のインドア志向を変えるに至らず。子供たちとの三頭山、息子との奥穂テン泊登山も、単発に終わる。登山は冬の時代を迎える。 2013年のGWから、チャリを始めた。登山で膝を痛めているのと、体重が20kg以上増えている。チャリは、足への負担が軽い。1日200㎞くらい走れるようになってから、輪行もスタート。北海道、京阪神、四国、山陰、九州にチャリを空輸し、4-5日のチャリ旅をするようになる。テン泊も多かった。出張先で、空き時間にチャリ借りて乗ることも始めた。ロンドン、ストックホルム、オスロ、ニース、ミネアポリス、ハワイ、台北と、いろんなところで、空き時間にチャリツーリングを楽しんだ。チャリのついでに高尾、大山、奥多摩の山に登ることはあったが、あくまでもチャリがメインだった。 プライベートで海外は、新婚旅行と家族で行ったグアムのみ。あまり長い休みが取れないので、近場の韓国、台湾へカミさんを連れて行き、お茶を濁す。基本はバックパックスタイルだが、お食事、お泊りはそれなりのところ。でないと、カミさんは来てくれない。公共交通機関で、町ブラや世界遺産などを歩いて回る。世界遺産、いいかも。で、海外での世界遺産へのチャリ旅を始めた。無料航空券と格安ゲストハウスに泊まる貧乏バックパック旅である。2018年末のカンボジア。アンコールワット遺跡群に打ちのめされた。スゲー、まだまだ世界にはスゲーところがある。2019年のベトナムへは、初のチャリ空輸。世界遺産もさることながら、現地の人たちとのかかわり、世界中の旅行者たちとの交わり。バックパッカー旅の醍醐味を思い出させてくれた。 2020年はGWに17日間の休みを取り、東欧/南欧をバックパック旅することにして、1年前から航空券など準備を進めてた。ギリギリまで粘ったが、結局コロナでキャンセル。空いた時間で、チャリ抜きで、1日登山だけをしてみた。あれ、アルプスでなくてもそこそこ楽しいような。それから、百名山も登ってみて、へーこんな山もあるんだ。楽しいかも。どんどんと、山に回帰していく。そんなこんなで、最近はどっぷりと山にはまってしまった。若い頃に比べると、体力も登山技術も著しく落ちてる。けど、何とか若い頃行ったアルプスの道を、再度なぞりたい。きっと、また涙が止まらなくなる気がする。