阿須山・阿須赤城山加治丘陵を楽しむ(仏子駅~加治丘陵(梅山展望台)~茶畑~バス停)
浴びるほど紹興酒を飲んだ翌朝、見事な二日酔いに襲われた。眠りも浅く、午前中いっぱい苦しむ羽目に。所沢駅でつけ麺を食べてエネルギーを補充し、列車の中で仏子駅まで昼寝をして、どうにか体調を立て直した。 ハイキングの序盤は、むしろ早歩きに近いペースで進んだ。虫の声、程よい気温、木漏れ日。風はほとんど吹かないが、歩くには気持ちのよい陽気である。 やがて梅山展望台に到着。眼下に広がる茶畑の眺めが、実に眩しい。緑一色の段々畑が丘陵に沿って広がり、ところどころに製茶の拠点らしき建物も見える。富士山はぼんやりとしか見えなかったが、それでも十分に見応えのある景色だった。 当初予定していた丘陵横断コースは、ゴミだらけの悪路に阻まれて断念した。いったん麓まで下り、そこから再び登ることになったが、時間には十分な余裕があった。計画どおりに進めないことも、ハイキングにはある。無理に当初の予定に固執せず、歩ける道を選び直せばよい。 最後はコスモスを眺めながら麓のバス停へ。日差しを浴びつつ、バスが来るのを待った。 二日酔いから始まった一日だったが、展望台から見た茶畑の緑は鮮烈だった。そこに広がっていたのは、自然が偶然つくり出した景色ではない。茶葉を揉む手、蚕を育てる手、産物を運ぶ鉄道やバス、そして土地に暮らしてきた人々の営みが形づくった風景である。 茶畑を眺めることは、地域の産業史を眺めることでもある。 そう考えると、いつもの緑の景色にも、これまでとは違う奥行きが生まれてくる。 狭山一帯の茶畑を眺めていると、単なる農村風景ではなく、地域の産業と暮らしの歴史が見えてくる。中世の川越茶に始まり、一度途絶えた茶の生産は江戸後期に復興し、幕末には横浜開港を契機に海外へも輸出された。手もみ製茶から機械化へ、さらに鉄道による物流の発達へと、茶畑は時代の変化を映してきた。 一方、この地域では養蚕も盛んで、農家は茶や繭を現金収入につなげながら暮らしていた。つまり狭山の茶畑は、自然に残った風景ではなく、農家の労働、家内産業、輸出、交通網、そして地域経済の変化が重なって形づくられた景観なのだ。今、茶畑を見るとき、そこには「狭山茶」という名産品だけでなく、近代化を生きた人々の生活そのものが刻まれている。





