04:33
3.9 km
323 m
大館山(飯豊町、数馬)
飯豊町 (山形)
2023年11月23日(木) 日帰り
2026.3.24作成 「館(舘)、楯」がつく山は、かつて山城があったことが多いと聞きます。 山形県内では、館山(川西、Ⅲ)、安部ヶ館山(長井、Ⅲ)、館山(山辺)、館山(朝日、Ⅲ)、楯山(村山、Ⅲ)、八ツ楯山(西川、Ⅱ)、高館山(鶴岡、Ⅰ)、古館山(米沢)、御館山(大江)、今楯山(戸沢村、Ⅳ)などがあります。 【最後の3つ以外は既訪で、三角点は撮影済み】 飯豊町の「大館山」を調べると以下の記述に行きつきます。 出典/山形県公式観光サイト「やまがたへの旅」から 手ノ子八幡神社例大祭、祭神:應神天皇(おうじんてんのう) 手ノ子八幡神社は天喜5年(1057)、源義家が安部貞任征伐に動いていたころ、在家豪族の村上太兵衛が戦勝祈願のため應神天皇を祭神として、大館山の山中に神社を建立したことにはじまります。 また、安部貞任征伐の際に大館山に先陣を張った義家が山頂に祠を建てたとも伝わっており、戦が終わった後、義家は神前に刀を奉じて神に感謝したといわれています。 康平年間(1058~1065)に社殿を改築、元禄16年(1703)7月に大館山から手ノ子八幡山に移され、近郷八ヶ村の総鎮守となりました。同年9月に「弓矢八幡」の御神体を京都より勧請しました。御神体の台座には、台座下に「西窪八幡前大佛師工田辺誠部造立癸未元禄十六歳(1703)九月廿六日」と銘文があります。明治18年(1885)に八幡山の所有者が変わることとなり、町屋敷稲荷神社境内へ移されますが、昭和13年(1938)に稲荷神社と合祀し、再び八幡山に移されました。 ※源義家は東北では馴染みのある別名「八幡太郎」のこと。 出典/三省堂「日本山名辞典」 (別称、御館山) 阿部貞任の残党太郎松人の居館があったが、源義家に滅ぼされたという伝説がある。 以上から、館があった痕跡を見ることができないかと期待して出動を計画、大館山は1992年第47回べにばな国体成年女子山岳競技コースとして使われたともあります。 初挑戦は1週間前の2023/11/16。宇津沢わらび園の奥、わらび供養塔まで車で入れました。その後は豪雨の影響で地図記載の道路も壊れて藪にもなっていて、宇津沢川にかかっていただろう橋もなく、少し苦労して渡渉。その後、道路の藪漕ぎはびっしり着いた露も嫌で面倒になり、作戦(ルート採り)を変更して再挑戦をすることにして撤退。 車に戻ってからの移動。予め地形図を見て寄ろうと思っていた廃校の「中津川小中学校」敷地にある電子基準点飯豊局を初撮影。 転進後の山行として4回目になる二等三角点峰「尾幡山」も考えていましたが、やはり国体山岳競技で使われた「高寺山」へと。残雪期に2回歩いていたものの夏道歩きは初でした。 さて、大館山本番の11/23。 宇津沢川渡渉後、藪の道路を少し進んでから右斜面を攀じ登り、山頂から南の617m標高点へと続く尾根に乗りあがるように藪漕ぎで東へと進みました。尾根辿りも濃い藪だったり、幅が狭くなると歩き易かったり。 山頂一帯はブナ林で杉の木も見当たらず、館跡は見つけることはできませんでした。 19日にぎっくり腰をした後だったので、帰りは足にも影響が出て立ち止まることも度々ありピッチが上がりませんでした。 とにかく三角点は撮影ができて良かったです。
