益田ピークハント⑤稲積山
稲積城跡は、江戸末期の慶応2年(1866)長州軍と幕府軍が戦った益田の戦いで長州軍が布陣した場所でもあります。 幕府は慶応2年(1866)第二次長州戦争の軍を起こし、四境より戦端が開かれ石州口の戦場となったのが益田でした。幕府軍は浜田藩、福山藩の連合軍で、6月17日の朝、萬福寺と勝達寺(天石勝神社)、医光寺に布陣しました。 長州軍の司令官である村田蔵六(大村益次郎)率いる長州軍は、幕府軍の動きを読み、16日には扇原関門に迫りました。 百姓姿になり、山上から益田市街をのぞみ、幕府軍の陣容を確認したと言われている場所です。 岸静江国治は、圧倒的な数の長州軍の来襲を知り、部下や農民らを先に退去させ、一人で仁王立ちして死守したが、長州軍の敵弾を受け、敢え無く絶命しました。 参考にさせていただいた記事 https://saigokunoyamajiro.blogspot.com/2020/02/blog-post.html 過去記事 https://ameblo.jp/chocoballque2/entry-12478708558.html 一時は幕末の長州藩にまつわる歴史に関心を持っていましたが…せっかく調べても右から左で忘れていくのでダメですね~😂





