稲積山(島根県)
79 m季節別の活動日記
山頂からの景色
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稲積山(島根県)周辺の山
山歩(さんぽ)しよう。

山歩(さんぽ)とは、山や身のまわりの自然の中を気持ちよく歩くこと。今すぐ行ける山歩コースや、山歩した気分になれる映像コンテンツを更新中です。
TRAINTRIPが終わる! ポスター目の当たりにしたら、 居ても立っても… 一つでも二つでも増やしたい… ちゅう事で取り敢えず、 手にしやすい宇田郷駅へと乗り鉄。 他にも多々欲しいトコ、 行きたいトコが有りますんで、 最後まで、 寸暇を惜しんで頑張りますッ! ディーゼルに揺られて、ついつい益田まで。 着いたは良いけど… 帰りの足が無い… 時間は有る… ビールばかりじゃもの足らん… ちゅう事で、ヤマップ地図に見つけたお山へ。 城趾でした! 真剣に挑戦しよる方々には、大変申し訳ない! 図らずも、 インチキな、 ロングトレイルになってしまいました…。 後日改めて、 50や100は流石に無理そうなんで、 25kmを頑張ります。 ドクターイエローは、 幸せは、歩いて来ない… だから歩いて行くんだね… と、迎えに参りました。
稲積城跡は、江戸末期の慶応2年(1866)長州軍と幕府軍が戦った益田の戦いで長州軍が布陣した場所でもあります。 幕府は慶応2年(1866)第二次長州戦争の軍を起こし、四境より戦端が開かれ石州口の戦場となったのが益田でした。幕府軍は浜田藩、福山藩の連合軍で、6月17日の朝、萬福寺と勝達寺(天石勝神社)、医光寺に布陣しました。 長州軍の司令官である村田蔵六(大村益次郎)率いる長州軍は、幕府軍の動きを読み、16日には扇原関門に迫りました。 百姓姿になり、山上から益田市街をのぞみ、幕府軍の陣容を確認したと言われている場所です。 岸静江国治は、圧倒的な数の長州軍の来襲を知り、部下や農民らを先に退去させ、一人で仁王立ちして死守したが、長州軍の敵弾を受け、敢え無く絶命しました。 参考にさせていただいた記事 https://saigokunoyamajiro.blogspot.com/2020/02/blog-post.html 過去記事 https://ameblo.jp/chocoballque2/entry-12478708558.html 一時は幕末の長州藩にまつわる歴史に関心を持っていましたが…せっかく調べても右から左で忘れていくのでダメですね~😂
万葉公園を後にすると、4座目に稲積山を目指します 🚗 稲積城(いなづみじょう)は、益田市水分町の稲積山に築かれた小規模な山城で、1340年、石見国司に任ぜられた日野邦光が七尾城主益田兼見の虚を付いて山を占領して築いたが、益田氏によって攻められると、高津城と共に落城し、日野邦光は三隅城に落ち延びたといわれる。 山頂に本丸を置き、北東部には二の丸、西側には三の丸を配置していたが、先の大戦中食糧難のため、本丸から二の丸付近は伐採・開墾がなされ、さらに西側の三の丸側は砕石場となったため、北側の道路から見ても景観が大きく変わった。
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