1993年7月23〜25日 槍ヶ岳(表銀座) 何故か会社の山岳部の冊子が机の上に置いてあったので、休み時間に山行記録を読んでいたら、最終ページの山岳部部員の名前の中に知らない間に自分の名前があった。それから、当時いた会社の山岳部に参加させてもらうことになった。 最も想いで深いのは、この時の北アルプス表銀座の山行。仕事の都合で遅れて行くので、大天井ヒュッテか槍ヶ岳山荘で合流する旨を伝えていた。まだ携帯電話などない時代。 一人タクシーで中房・燕登山口へ行きクルマを降りたら、直ぐ後ろのタクシーから、同じ山岳部のSさんが降りて来た。Sさんは、同じ会社のベテラン事務職の女性。若くないので、槍に行く最後のチャンスだと思って参加を決めたと言っていた。何かの理由で遅れて登ることになったようだった。偶然登山口で会ったので、安心したようで偉く喜んでくれた。 その日は、大天井ヒュッテまで行くつもりだったが、Sさんがバテバテで燕の稜線までもなかなか進めない。多く休憩をとりつつ、稜線まで上がり、騙し騙し大天井ヒュッテに向かった。 稜線でも度々休憩を取っていたが、それでも午後3時台には山小屋には着くはずだった。ところが、大天井ヒュッテの手前で何故かガレ場の絶壁に迷い込んでしまった。その日は、夜に台風が通過する予報だった。Sさんを同じ方向を向いて座ってもらい、元のルートを探したが分からない。時間は覚えていないが、かなりの時間が経って、何とかルートに戻ることが出来た。既に暗くなり、小雨混じりの天候の中、山小屋を目指した。大天井ヒュッテに到着したのは8時過ぎ。何故か山岳部メンバーからSさんだけが怒られていたので申し訳なかった。ヒュッテの人からも小言を言われて、遅れて食事を用意してもらった。夜10時半には大雨と暴風の荒れた天気になっていた。本当に危なかった。 翌日は槍ヶ岳山荘に荷物をデポして槍ヶ岳に登った。思ったより、登りやすい穂先だった。

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