高取城
高取山・甘樫丘
(奈良)
2026年05月30日(土)
日帰り
高取山583.6mの山頂に日本の名城高取城があります。
日本三大山城(美濃岩村城、備中松山城)のひとつ高取城は、南北朝時代に築かれ幕末の明治維新まで機能していた城です。
もともとは、地元の土豪越智氏の拠点防備の城であったようで、その後筒井順慶の戦闘時の城(詰城)として改修、その後豊臣政権下、本多利久により大改修し近代城郭となりました。徳川政権下には植村家政が高取藩藩主となり明治維新まで存続しました。明治4年(1871年)廃藩置県により取り壊され朽ちていった名残惜しい名城です。
近鉄壺阪山駅から高取城へと続く土佐街道の閑静な街並みの道を進みます。高取藩の城下町として栄え、壺阪寺への参詣道として賑わった道です。
家並みには、出格子(連子格子れんじこうし)や虫籠窓(むしこまど)のある町家が軒を連ねます。下屋敷門や松の門、長屋門などが残る立派な門構えの武家屋敷の家もあります。今も城下町の雰囲気が漂っています。
アスファルト道を進み樹林帯に入って行きます。黒門跡を過ぎ、宗泉寺にお参りして、ここから山道に入ります。
一升坂は、石材を運ぶ人夫に難所の坂道を運ぶために一升追加したそうです。
猿石は、石材として明日香村から運んで来たようです。
ニノ門跡の横に水を湛える堀跡があります。登って行くにつれて累々と石垣や石塁の中に入って行きます。本丸天守台の石垣の石積は素晴らしいです。高さ12mの石垣が連なっています。本丸、天守台からは奈良の山々や町並みを一望できます。
下山は、壺阪寺方面へ下山しました。
119号線の壺阪口登城ルート入口から山道に入り、荒れた八幡神社に参拝して山道を下って行くと五百羅漢岩があります。岩肌に無数の仏様が彫られいます。風雨に晒され識別できない仏像もありますが、信仰の深さが伝わってきます。
しばらく下って行くと車が行き交う道路に出ます。壺阪寺は直ぐでした。
壺阪寺は、703年元興寺の弁基上人が開祖で西国三十三ヶ所観音霊場の第六番札所、本堂には十一面千手観世音菩薩を安置し、眼病に効く霊験あらたかな観音様です。下山は、壺阪寺駐車場の外れにある小堂の横から山道を下って行行きます。この道は、壺阪寺へのハイキングルートになっています。途中から119号線に出て、しばらく下って行くとまた閑静な古い町並みの道にへと入って行きます。壺阪山駅まで城下町の佇まいの家並みが続き飽きることはありません。
(文面は、高取町観光案内所パンフレット等を参考にしました。)