あの日へ帰る山――石墨山タイムトラベル
皿ヶ嶺・梅ヶ谷山・うなめご
(愛媛)
2026年04月12日(日)
日帰り
日々、昼休みに松山城を登っている。
さすがに3年も通い続けると、職場は違うが顔馴染みとなった常連の方と話す機会にも恵まれる。
定年後再雇用で、松山城へ体力づくりに通われている男性・Sさんに、
「石墨山に登りんたいんです」と相談された。
聞けば、久万高原町直瀬地区のご出身で、
今も週末には実家の田畑を耕しに戻られているそうだ。
かつて野山を駆け巡った少年時代、
ふるさとから望む「石墨山」に、友を連れ立って登ったという。
どうしても、もう一度あの頂きに立ちたい――。
しかし登山経験がないため、不安から足踏みし、年齢的にも諦めかけていたところ、
たまたま僕と出会ったということだった。
「石墨山には登ったことがありますよ」とお伝えすると、
その想いに火が灯ったかのように、
山頂近くの岩陰にひっそりと鎮座する石墨神社(古名 石墨山十二社大権現)や、
直瀬に伝わる赤鬼法相院(あかおにほうしょういん)という修験者の話を、
実に熱く語ってくれた。
秋は稲作で忙しく、冬を越え、田植えが始まる前のこの時期なら――
ようやく、その夢を実現できるチャンスが巡ってきた。
石墨山(1456m)は、登山経験のない方をお連れするには、皿ヶ嶺連峰で最も標高が高く、決して易しい山ではない。
本来であれば、少年時代と同じ石墨神社からのルートを辿りたいところだが、登山道の状態が不明なため、今回は一般的な唐岬ノ滝(東温市側)から登ることとした。
還暦を過ぎての初めての登山ではあったが、そこは山育ち。
稜線の肩部である「石墨の別れ分岐」間近の急登も難なくこなし、続くアップダウンの中でも、ブナの森や笹原の稜線へと視界が開けるたびに、少年のように目を輝かせていた。
なによりも――
麓の直瀬地区を見下ろせる開けた場所に立ったとき、いつも耕している大地を、静かに見つめるその姿が印象的だった。
半世紀ぶりに立つことができた山頂。
石鎚山フリークの僕は、ついそちらにばかり視線を送ってしまうが、石鎚に登られたことのないSさんにとっては、きっとどうでもいいことなのだろう(笑)。
かつての自分を重ねるように、しばし感慨にふけりながら、
自ら育てた稲で握ったおにぎりを、実に美味しそうに頬張る。
その飾らない笑顔を見ているうちに、僕は――
山への想いは、登山する人だけのものではなく、
その人の中に積み重なってきた人生や思い出の深さに宿るものなのだと、
あらためて教えられた気がした。
そして下山の帰り際、
Sさんはしばらくのあいだ、直瀬の集落を静かに眺め続けていた。
その姿はまるで、
遠い時間の中にいる自分と、もう一度出会っているかのようだった。