つくば市

出典: Wikipedia

つくば市(つくばし)は、茨城県南部に位置する市である。学術・研究都市としての筑波研究学園都市はつくば市全域を区域とする。特例市、業務核都市、国際会議観光都市に指定されている。 【概要】 農村が広がっていた地域であったが、1960年代から筑波研究学園都市として開発が進み、現在は日本国内最大の学術都市となっている。国や茨城県の政策により、1987年(昭和62年)に筑波郡谷田部町・大穂町・豊里町、新治郡桜村の3町1村が新設合併し、つくば市が誕生した。さらに 1988年(昭和63年)に筑波郡筑波町、2002年(平成14年)に稲敷郡茎崎町を編入し、現在の市域になった。そのため、行政上の地区名として旧町村域に対応する谷田部、大穂、豊里、桜、筑波、茎崎が使用されている。 市の北端に日本百名山の筑波山を擁していることや多数の研究機関が立地していることもあり、茨城県での主要な観光地になっている。また、2005年(平成17年)に首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスが開業し、市中心部より最短45分で東京都心と結ばれている。

このエリアについて

掲載されている山

つくば市

  • 日本百名山で最も低い山、筑波山の二つのピークの1つ。女体山と共に登られる。 詳細は筑波山を参照。 https://yamap.com/mountains/90

  • 宝篋山

    標高 461 m

    宝篋山(ほうきょうさん)は、日本茨城県つくば市と土浦市との境に位置する標高461mの山である。三等三角点はつくば市小田字向山5204番地に位置する。筑波山から南東に連なる筑波連山の支峰の一つである。地元では小田山の俗称がある。小田・玉取から望む宝篋山の景色は、つくばの景観100にも選定されている。 古くは三村山と呼ばれ、山頂に山名の由来となった宝篋印塔(鎌倉時代中期頃造立と推定される)が建立されて以来、宝篋山と呼ばれるようになった。地元では小田山と呼ばれている。全域が水郷筑波国定公園に指定された特別地域(自然公園法)であり保護エリアである。ヒメハルゼミの生息地で、市の天然記念物に指定されている。 八溝山地系に属する筑波山地の最南端に位置することから、山頂から筑波山や関東平野、霞ヶ浦を一望し、空気の澄んだ日には東京の高層ビル群や富士山も遠望することができる。2005年に関東の富士見百景に選定された。 山頂には、宝篋印塔があるほか、南西麓にある小田城(国の史跡)に関連する城郭跡も残されている。また、テレビ局、海上保安庁、国土交通省、警察庁などの通信施設なども設置されている。 山麓には、かつて多くの寺院が存在したが、現在廃寺となっているところも多い。また、小田城を中心として周辺には多くの史跡や文化財が残されている。宝篋山の南西尾根の末端が盛り上がったような山体の小田前山には、小田城に関連する城郭跡も残されている。 地元有志が登山路を切り開いたり、ベンチを置いたりして整備した結果、年間10万人以上が訪れるようになった。登山道は南西麓のつくば市小田(おだ)集落や西麓の山口(やまぐち)集落からの登山道がよく整備されている。小田地区には登山道の起点となる宝篋山小田休憩所も設置されている。また、筑波連山の稜線上を走る表筑波スカイラインから山頂までは林道が続いているため、自動車での登頂も可能である。指定コース外、園地外は保護区域であるため立ち入りと無許可整備は禁止されている。 2019年1月24日、国土地理院の発行する電子地図、出版物の地図、地形図には山名の表記が無かったが、2018年につくば、土浦両市長が市民ら約1200人分の署名を添え、同院長に申請書を提出してたことを受けて、「5万分の1」や「2万5千分の1」の電子地図に「宝篋山(小田山)」の表記を始めた。今後の出版物等にも同様の表記をする予定。

  • 尖浅間山

    標高 315 m

エリア近辺の天気

関連する活動日記

同じタイプの地図を探す