山頂八俵山

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このランドマークを通る活動日記

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01:09
5.5 km
333 m

東天照・高麗山・八俵山・浅間山(平塚市・大磯町)・湘南平

高麗山・湘南平・鷹取山(神奈川)

2025.12.11 (木)日帰り

sumibiyaki
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このランドマーク付近の写真

分岐を右に進んで、八俵山。
分岐を右に進んで、八俵山。
キレットに橋😅
キレットに橋😅
八俵山山頂の看板説明内容まとめ
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【虎御前と八俵山の伝説(要約)】

曽我十郎祐成の恋人であった虎御前は、十郎の死を悲しんで19歳で出家し、各地を巡礼したのち高来寺に籠もり、兄弟の菩提を弔いながら1227年に没したと伝わる。晩年は、生地の大磯と十郎兄弟の最期の地・富士を望める八俵山南斜面に暮らしたとされる。

虎御前は「山下長者」の娘とされ、本名は「三實御前」。容姿や芸に優れ、十郎に義経関連の情報を伝えるなど密接な関係を持っていた。八俵山では彼女の墓とみられる五輪塔が発見されたが、現在は所在不明。

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【高麗山の城郭としての歴史(要約)】

相模湾と平野を一望できる軍事的要地で、寺院建築が軍勢の収容拠点として使われた。
・1438年:永享の乱で上杉持房が陣を構える
・1510年:北条早雲が上杉顕定との戦で立て籠もる
・以降:北条氏の狼煙台として「伝えの城」に利用
・1560年:上杉謙信が小田原攻めで陣を置く

尾根沿いには当時の建構跡が現存する。

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【八俵山とマツタケ(要約)】

大正期まで八俵山周辺にはマツタケが自生していた。
マツタケは日当たりが良く落葉・落枝が少ない明るい松林に生えるため、当時は生活用の燃料採取などにより人が頻繁に手を入れ、風通しの良い環境が維持されていたことが理由と考えられる。

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八俵山山頂の看板説明内容まとめ ⸻ 【虎御前と八俵山の伝説(要約)】 曽我十郎祐成の恋人であった虎御前は、十郎の死を悲しんで19歳で出家し、各地を巡礼したのち高来寺に籠もり、兄弟の菩提を弔いながら1227年に没したと伝わる。晩年は、生地の大磯と十郎兄弟の最期の地・富士を望める八俵山南斜面に暮らしたとされる。 虎御前は「山下長者」の娘とされ、本名は「三實御前」。容姿や芸に優れ、十郎に義経関連の情報を伝えるなど密接な関係を持っていた。八俵山では彼女の墓とみられる五輪塔が発見されたが、現在は所在不明。 ⸻ 【高麗山の城郭としての歴史(要約)】 相模湾と平野を一望できる軍事的要地で、寺院建築が軍勢の収容拠点として使われた。 ・1438年:永享の乱で上杉持房が陣を構える ・1510年:北条早雲が上杉顕定との戦で立て籠もる ・以降:北条氏の狼煙台として「伝えの城」に利用 ・1560年:上杉謙信が小田原攻めで陣を置く 尾根沿いには当時の建構跡が現存する。 ⸻ 【八俵山とマツタケ(要約)】 大正期まで八俵山周辺にはマツタケが自生していた。 マツタケは日当たりが良く落葉・落枝が少ない明るい松林に生えるため、当時は生活用の燃料採取などにより人が頻繁に手を入れ、風通しの良い環境が維持されていたことが理由と考えられる。 ⸻
八俵山から
八俵山から