駐車場渋峠駐車場

このランドマークを通る活動日記

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もらった絵文字63
写真12
00:47
2.7 km
181 m

横手山

横手山・志賀山・赤石山(長野,群馬)

2026.06.22 (月)日帰り

ヒロユキ
ヒロユキ

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渋峠ロマンスリフトはスキーオフシーズンでリフト機器が外してありました。
渋峠ロマンスリフトはスキーオフシーズンでリフト機器が外してありました。
平成30年8月10日に発生した群馬県防災ヘリコプター「はるな」の慰霊碑。ぐんま県境稜線トレイルの全面開通に伴う山岳遭難の発生に備えた危険箇所の確認のために飛び立ったはるなが、渋峠から直線距離で約1.5km北の場所に墜落し県防災航空隊と吾妻広域消防本部職員計9人が死亡しました。墜落現場へ向かう登山道は、これまで草津峠から入り前橋街道の北側に並行している中部電力歩道を通る片道約5kmのルートでした。新ルートの完成が令和7年7月の開通予定と報道されてから新しい情報がなく、現在どうなっているのか不明です。合掌。
平成30年8月10日に発生した群馬県防災ヘリコプター「はるな」の慰霊碑。ぐんま県境稜線トレイルの全面開通に伴う山岳遭難の発生に備えた危険箇所の確認のために飛び立ったはるなが、渋峠から直線距離で約1.5km北の場所に墜落し県防災航空隊と吾妻広域消防本部職員計9人が死亡しました。墜落現場へ向かう登山道は、これまで草津峠から入り前橋街道の北側に並行している中部電力歩道を通る片道約5kmのルートでした。新ルートの完成が令和7年7月の開通予定と報道されてから新しい情報がなく、現在どうなっているのか不明です。合掌。
池の塔。渋峠ホテルのすぐ裏の南東側にある小さな池です。茶屋があり、佐久間象山の沓野日記にも草津道の休み場として出てきます。正保・元禄・天保の信濃国絵図にも「池のとう」の記載があります。池塘から転じた名前なのかな?🤔
池の塔。渋峠ホテルのすぐ裏の南東側にある小さな池です。茶屋があり、佐久間象山の沓野日記にも草津道の休み場として出てきます。正保・元禄・天保の信濃国絵図にも「池のとう」の記載があります。池塘から転じた名前なのかな?🤔
渋峠の親子地蔵。渋峠ホテルの正面左側にあります。
江戸時代に群馬県沼田の人が子どもがなく渋温泉へ湯治にきて帰ったら子宝に恵まれたので、感謝の気持ちを込めて渋峠に親子地蔵を祀りました。その後、小さい地蔵は半分欠けてなくなってしまっていました。そこで渋峠ホテルの主人が父親の米寿を祝い、昭和59年に新たに子地蔵を祀り、元の親子2体の姿にしました(『同報告書』)。真ん中の石が半分欠けてしまった子地蔵なのでしょうか。合掌🙏
渋峠の親子地蔵。渋峠ホテルの正面左側にあります。 江戸時代に群馬県沼田の人が子どもがなく渋温泉へ湯治にきて帰ったら子宝に恵まれたので、感謝の気持ちを込めて渋峠に親子地蔵を祀りました。その後、小さい地蔵は半分欠けてなくなってしまっていました。そこで渋峠ホテルの主人が父親の米寿を祝い、昭和59年に新たに子地蔵を祀り、元の親子2体の姿にしました(『同報告書』)。真ん中の石が半分欠けてしまった子地蔵なのでしょうか。合掌🙏
長野県と群馬県にまたがる渋峠ホテル。シーズンオフでお休みでした🏠

昭和26年にツアースキーヤーの遭難対策として群馬県が「渋峠ヒュッテ」として設置。正確な国境が決まった後、両県に建物がまたがっている事が判明しました。
・建物は3分の2が長野県、3分の1が群馬県
・登記、住所、郵便番号は長野県
・電話番号は長野県
・電気は群馬県
・営業許可は長野県山ノ内町
・固定資産税は山ノ内町と中之条町の双方に納める
・遭難が発生した場合は長野県警察・群馬県警察のどちらにも通報
・日本一標高の高いガソリンスタンド(春~秋)
・日本国道最高地点(2172m)到達証明書を発行
(同ホテルホームページ、Wikipedia、『同報告書』)
長野県と群馬県にまたがる渋峠ホテル。シーズンオフでお休みでした🏠 昭和26年にツアースキーヤーの遭難対策として群馬県が「渋峠ヒュッテ」として設置。正確な国境が決まった後、両県に建物がまたがっている事が判明しました。 ・建物は3分の2が長野県、3分の1が群馬県 ・登記、住所、郵便番号は長野県 ・電話番号は長野県 ・電気は群馬県 ・営業許可は長野県山ノ内町 ・固定資産税は山ノ内町と中之条町の双方に納める ・遭難が発生した場合は長野県警察・群馬県警察のどちらにも通報 ・日本一標高の高いガソリンスタンド(春~秋) ・日本国道最高地点(2172m)到達証明書を発行 (同ホテルホームページ、Wikipedia、『同報告書』)
歌人・若山牧水は大正9年5月21日、草津から渋へ向かう途中の渋峠で「峠にて」の紀行文を書いています。

「この渋峠は草津から峠まで三里、峠から渋まで四里あるのださうだ」からはじまる手記には、渋峠にはかつて茶屋があったこと、昼飯を食べるためにゴザを敷き、酒の瓶を取り出し、思いのほか多い残雪を見ながらちびりちびりと舌で味わう酒が格別であったこと、渋峠の後ろにそびえる横手山が上州と信州の国境だと知り、左手に見える上州の山々と右手の信州の山々を眺めた、などと書いています。
歌人・若山牧水は大正9年5月21日、草津から渋へ向かう途中の渋峠で「峠にて」の紀行文を書いています。 「この渋峠は草津から峠まで三里、峠から渋まで四里あるのださうだ」からはじまる手記には、渋峠にはかつて茶屋があったこと、昼飯を食べるためにゴザを敷き、酒の瓶を取り出し、思いのほか多い残雪を見ながらちびりちびりと舌で味わう酒が格別であったこと、渋峠の後ろにそびえる横手山が上州と信州の国境だと知り、左手に見える上州の山々と右手の信州の山々を眺めた、などと書いています。
写真撮るよねー🤭
写真撮るよねー🤭
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