山頂瓶割山

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このランドマークを通る活動日記

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04:43
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677 m

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雪野山・布施山・瓶割山(滋賀)

2025.12.07 (日)日帰り

しーちゃん
しーちゃん

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なんとか頂上
なんとか頂上
瓶割山 山頂・三角点
この辺りは、瓶割山城の二の曲輪
瓶割山 山頂・三角点 この辺りは、瓶割山城の二の曲輪
柴田勝家が置いたのかな😋
柴田勝家が置いたのかな😋
瓶割山城石垣遺構
この城は、観音寺城の当主六角高頼と戦うため、その従兄の六角政堯が築いた城で、当初は長光寺城と命名された
その後、いくつかの攻防を経て、観音寺城の支城となった
織田信長上洛後に、南近江平定のための拠点の一つとして用いられた。そして南近江残る六角氏の勢力と戦う為、柴田勝家が長光寺城に入り、この城を拠点に六角勢と戦った
長光寺城の戦いは、元亀元(1570)年6月に起こる。六角勢に取り囲まれ、水源を止められた勝家は、残った水が入った瓶を前に置き、この水が尽きて渇き死ぬよりも、力のあるうちに打って出ようと諭し水瓶を割った。この事により勝家勢は奮い立ち、背水の陣で六角勢に挑んで軍勢を撥ね退けた
この事により、柴田勝家は瓶割柴田と呼ばれるようになり、長光寺城も瓶割山城と呼ばれるようになったと云われる
瓶割山城石垣遺構 この城は、観音寺城の当主六角高頼と戦うため、その従兄の六角政堯が築いた城で、当初は長光寺城と命名された その後、いくつかの攻防を経て、観音寺城の支城となった 織田信長上洛後に、南近江平定のための拠点の一つとして用いられた。そして南近江残る六角氏の勢力と戦う為、柴田勝家が長光寺城に入り、この城を拠点に六角勢と戦った 長光寺城の戦いは、元亀元(1570)年6月に起こる。六角勢に取り囲まれ、水源を止められた勝家は、残った水が入った瓶を前に置き、この水が尽きて渇き死ぬよりも、力のあるうちに打って出ようと諭し水瓶を割った。この事により勝家勢は奮い立ち、背水の陣で六角勢に挑んで軍勢を撥ね退けた この事により、柴田勝家は瓶割柴田と呼ばれるようになり、長光寺城も瓶割山城と呼ばれるようになったと云われる
歩いてきた山々
歩いてきた山々