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【裏浅草DEEP】新吉原遊廓跡のカフェー建築を巡るの写真

2020.12.13(日) 14:57

この写真を含む活動日記

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【裏浅草DEEP】新吉原遊廓跡のカフェー建築を巡る

東京都23区 中央エリア (東京)

2020.12.13(日) 日帰り

西の飛田、東の吉原。 ということで、江戸時代から続く色街である吉原へ久々の訪問。 訪問の前に精を付けるべく、千束河金で河金丼(カツカレーの起源の1つと言われています)を食べて、フィールドワーク開始! こちとら現役の街なので、メインストリートには「お兄さん!どうですか!写真だけでも!」という呼び込みのおじさんたち、さらに鶯谷駅からの客を載せビュンビュン走り回る送迎用のアルファードだらけ。彼らの邪魔にならないように、風のように通り過ぎながら遺構を確認。 現役時代の屋号で言うと、プリンセス、マスミ、黒潮、有楽(a.k.a.ハートの家)等の大物は現存するものの、プリンセス隣のモリヤ、マスミ斜向いの親切、有楽隣の明石は地味〜に取り壊されてたorz 2015年くらいにはまだあった転業系「坂井旅館」も既に亡く、昭和33年の売春防止法施行を経て、当時の建物の寿命もそろそろ本格的にギリギリな感じか。 あと標高グラフを見てみると、吉原はかつて島状態(田んぼの中に盛り土をして造成し、周囲にお堀を掘ったので、結界の中と外では数m海抜が違う)だったことがわかって面白いね〜。 ちなみに吉原は歴史がありかつ規模が大きかったこともあり、明治期(=ほぼ江戸期)、関東大震災時、東京大空襲時、そして公娼廃止時の屋号入りの地図が存在するのがフィールドワーク時にとてもありがたいです(吉原神社、一葉記念館、鳶福、カストリ書房で購入可)。 江戸最大の盛り場浅草の裏側は、吉原、山谷、そして小塚原(骨が原)刑場。。。生(性)と死が混在する東京いちディープな街と言っても過言じゃない。