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遥かなる皇海山 庚申山荘泊の写真

2020.10.24(土) 09:36

ついでなので三県境にも寄りましょう。

この写真を含む活動日記

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27.9 km

2549 m

遥かなる皇海山 庚申山荘泊

皇海山・袈裟丸山・庚申山 (栃木, 群馬)

2020.10.24(土) 2 DAYS

 テストで出来ない問題は後回しにするように今年の槍ヶ岳は諦めました。変わって50峰目に選んだのが皇海山で関東の制覇が掛かってます。山小屋に泊まってクラッシックルートを踏んで来ました。写真は、庚申山荘へ行く前から始まります。 山荘に泊まる。  楽に沼田から行くか?大変でも足尾から入るか?を考えていたら関東では皇海山だけ残りました。昨年の台風の影響で沼田からは入れない。必然的に選択肢は無くて日帰りは辛そうだし実家の草取りをする都合もあって午後から山に入り庚申山荘に泊まって皇海山を目指す事にしました。 宿泊受付は、かじか荘で登山届も一緒に済ませます。アクシデントで急遽泊まる時は宿代を山荘内のポストに入れる仕組みのようです。布団があると聞いていたので寝袋を持参しました。 山荘内は、2階は大部屋、1階に15畳程度の部屋2室、炊事場、食堂兼居間、管理人室の構成です。トイレは外でバイオトイレ。水場は山荘から庚申山へ目指す方向へ200m離れていますが、山荘までホースで水を引いてるので炊事場の水道が便利ですが少々ゴミが混じるかもしれないので注意。 個人的には網で濾してるので使用には問題ないレベルかと。泊まった日は15名程度の利用者が居たと思います。電灯は無いので寝るまでヘッデン使っての団欒は楽しかったです。 早く出たのに出遅れて  朝は4時前に起床しました。外はまだ暗く山荘の正面には遠く夜景が見えます。 早い人は3時に出てしまったようで、私は夜明け前5:15頃に出ました。 出発するまでの間、他の人の進む方向を見ていて知らずに六林班の方向へ。 暗い時は出歩いちゃダメです。。地図を見ていたのに何やってるんだ。。おれ。 間違いに気が付いて庚申山荘に戻ってきたのは6時を回っていました。 おばちゃん、危ないよ  庚申山荘を出て庚申山への登りは結構険しい道のり。山頂を踏んでお山巡りしたらそのまま下山しても良いかな?と思いました。かじか荘の日帰り風呂の時間は11時~15時まで、ゆっくり登れば丁度良いかも。 庚申山と鋸山の間は破点ルートで鋸山手前までは難なく通過出来ますが鋸山が厄介でした。 鎖と梯子で岩壁を登り下る。鋸の名に相応しく稜線はリッジで危険な雰囲気が漂ってます。 鋸山の稜線で、道を外れ下へ下るシニア女子グループを見かけました。獣道を見て足を踏み入れてしまい、リーダー格に先に行かれてはぐれてしまったそうです。 この日は、典型的な冬型ので西風の強風が吹いていて大声を出してリーダーを呼ぶも掻き消されて届かなかったみたい。 鋸山山頂まで先導して、途中リーダーとも合流して「良かったよかった」なのですが、私の記憶では、山荘泊組で5時前に出発していて、追いついた安堵と、この人らのこの先の行動が気になるのでした。 多分、無事到着してこの日も山荘泊したと思いたい。 長過ぎる六林班(ろくりんぱん)  鋸山の山頂から皇海山は目の前。鋸山の山頂が六林班への分岐になっているので皇海山から戻って来なければなりません。これも大変。 渡良瀬川は、母が子供の頃に堤防が切れて酷い水害が有った話をよくしていました。 また、実家がある舘林は、渡良瀬川と利根川にはさまれていて、川沿いにある田中正造のゆかりの地へ学校の遠足で行ったり、春になると遊水地へ姫タケ採りに行ったりと親しみがあったので源に来て良かったです。  皇海山から鋸山に戻りまずは六林班峠を目指します。笹原で序盤は傾斜も急で滑りやすい、踏み跡は概ねしっかりして一部不明瞭な箇所があるのでルーファイと目印発見に集中が必要です。 六林班峠から庚申山荘までは、高度的に300mほど下るのでほぼ下り傾向で進みます。尾根を巻き、谷筋で沢を越える事幾度で歩けど歩けど先に進まない感覚に襲われます。林業の作業路なのか?笹に覆われて見え辛い場面もありましたが踏み跡はしっかりしているので道迷いは無いと思います。 でも長かった。「庚申山荘まで来れば暗くなっても良いや」と無理せずマイペースで。 庚申山と猿田彦神社  庚申(こうしん)とは、十干・十二支の60ある組み合わせの一つ。暦では「かのえさる」と読みます。 人間の体内にいる虫が60日ごとに巡ってる庚申の日に寝ていると体から抜け出して、その人の罪悪を天に告げ寿命を縮めてしまうと考えられていました。 起きていれば虫が人間の体から抜け出すことが出来ないため、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われ、集団で夜あかしをして過ごす講と呼ばれる組織が各地に形成されていきます。 その名残は庚申塚や庚申塔の形で各地に残っています。 (ちなみに3年18回重ねると塚や塔を建てたようです。) 庚申信仰は、そのような下地から様々な宗教要素を持ちつつ人々の習俗などが絡まっていて、信仰対象物(神)として庚申の申がサルでサル関連から猿田彦神社が選ばれたのが通説らしいです。 山中にあれば無事の下山をお願い出来るありがたい神様です。 猿田彦神社は導きの神なので、どこの神社へお参りに行くか?困ったら猿田彦神社なら無難でしょう。 必ずしも猿田彦神社があるから庚申信仰が有ったと言う事でも無さそうで、庚申信仰では猿田彦神社が選ばれたと言う事です。  庚申信仰は平安時代に貴族から始まり、江戸時代になって市民に広がったと言われてます。 南総里見八犬伝でも化け猫退治で庚申山が登場するので庚申信仰でない人も、小説を読んだ人がこぞって聖地巡礼するブームが有ったのかもしれません。 道だって今より大変な状況だったでしょう。江戸時代の人って活動的です。