大森山を過ぎた地点から篠尾の集落・・山が深い 戻る 次へ

熊野をめざした大峰・南奥駈道の写真

2017.05.02(火) 07:27

大森山を過ぎた地点から篠尾の集落・・山が深い

この写真を含む活動日記

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43:29

66.2 km

5562 m

熊野をめざした大峰・南奥駈道

大峯奥駈道 その3(太古ノ辻~行仙宿) (奈良, 和歌山)

2017.04.29(土) 4 DAYS

連休前半に奈良県下北山村の前鬼(ぜんき)から和歌山県本宮町の熊野本宮大社まで大峰奥駈道(世界遺産)の南奥駈道(南半分)を歩いてきました。12年前に前鬼から吉野まで歩いた北奥駈道と合わせて全奥駈道を踏破する旅でもありました。 ≪1日目≫ ■大和上市から前鬼口へ 大阪千里から始発電車に乗り、近鉄上市駅に8時前に到着。土・日・祝日にのみ1本運行する「南部地域連携バス R169 ゆうゆうバス」(8:30発)に乗ります。乗客は30人ぐらい(約5人は立席)。吉野川・北山川沿いの新緑や名残の桜を眺めながら2時間、前鬼口に到着。 ■前鬼口から深仙ノ宿 前鬼口から前鬼までは舗装道路を3時間歩く。途中、前鬼川の不動七重滝が見事。役行者(えんのぎょうじゃ)を支えた前鬼・後鬼の末裔が宿坊を開いて栄え、今は小仲坊(おなかぼう)が1軒残る前鬼の里を通り、尾根をめざす。修験者の行場の大日岳が見えるあたりから木の階段が延々続き、膝に堪えてバテバテ状態。空も曇り、強風と雨が出てきた。太古の辻(北・南奥駈の分岐)から南下してツェルト泊の予定だったが無理と判断。北の深仙ノ宿(じんせんのしゅく)に投宿が賢明と、同行していた高知のF君と北に向かう。宿泊者6人、テントは3~4。 ≪2日目≫ ■深仙ノ宿~持経ノ宿~平治ノ宿~行仙ノ宿 朝4時半起床。東の大台ヶ原の日の出から好天を確信。天狗山、地蔵岳、涅槃岳と越える。芽を吹いていないブナ林がきれい。「南奥駈は標高は低いが、ほぼ全てのピークを越えていくからキツい」・・山の相棒から聞いていたとおりだけど、奥駈でしか味わえない、野生に満ちてやさしい風景に癒やされる。いつの間にか、昨日の高知のF君、小屋で一緒だった石川のTさん(吉野から単独の通し)と話しながら歩き、3人のパーティができた。 持経ノ宿に到着。新宮山彦ぐるーぷのMさんがニコニコ顔とコーヒーで迎えてくださった。話しているうちに足の疲れも吹っ飛び、元気が出てきた。お礼を言って出発。 平治ノ宿で軽い食事。東京から来た青年と話す。トイレは、用を足したあと雨水で流す。これが本当のエコか。 行仙岳を越え水平道を進むと行仙宿山小屋が現れた。着くなりコーヒーと茶のサービスがあった。食事ののち備え付けの毛布を借りて朝まで快眠。徒歩10分からくみ上げてもらった水をいただく。宿泊費(志納金)2000円。 ≪3日目≫ ■行仙ノ宿~玉置山 大峰南部の主峰笠捨山を越え急坂の地蔵岳へ。ほぼ垂直状の岩場の下り(約5~6m)に鎖2本(人・荷物用)があったが難しくはなく1本を使用。花折塚あたりから林道と平行して歩き、やや俗化した雰囲気。玉置山展望台、世界遺産の記念碑を過ぎ登っていくと玉置山頂上。参拝客・ハイカーも多い。下ると神代杉、玉置神社。参拝ののち約20分で駐車場。売店でビール、名物のさんま寿司、こんにゃく、うどんをいただく。店主のEさんと話し込んだのちに駐車場泊。 ≪4日目≫ ■玉置山~熊野本宮大社 玉置神社へ戻り奥駈道へ。玉置辻から大森山へ延々登る。旧篠尾辻あたりから南の篠尾集落、熊野川沿いの山々の眺望がよい。五大尊岳は岩場の尾根がつづく。進むと熊野川と沿川の集落が見え始め本宮が近い。七越峰を西進すると熊野川。堤防の階段を下り河原へ。渡渉箇所を求めて岩場伝いに上流へ約5分進む。膝までの水深箇所で渡渉。岩から水に入る瞬間に”滑る”と思うと同時にドボンをやってしまった。胸まで水につかり、首にかけていたスマホを水につけたと思ったが無事だった。靴下に履き替えて渡渉約20~30mを終了。同行2人の爆笑を買ったが、疲れた足と体に冷たい水が気持ちよかった(負け惜しみ)。 大斎原(おおゆのはら 本宮旧社地)のあと熊野本宮大社に参拝。本宮前の売店でバス・鉄道情報を入手。紀伊田辺へバス(最終17時、約2時間)、大阪へJR特急(約2時間半、最終19:59)を利用できたが、同行のF君が神戸の娘さんに会いに行くので同乗させていただいた。その前に湯峰温泉(車約20分)で4日間の汗を流した。Tさんとは湯峰温泉、F君とは神戸元町で別れた。10年来の山の仲間のような気分で思わずハグ(笑)。 ≪大峰奥駈を終えて≫ 1日目の足の痛みと暴風雨で2日目以降に大きな不安をもちましたが、快晴と2人の同行者を得たことで、この上なく快適かつ充実した山行になりました。大峰奥駈も12年の期間を経て達成。帰阪後1日を経て、気も体も生き返った気持ちで記録に向かっています。 途中出会った奥駈者は、宮城1,東京2,茨城1,石川1,愛知1,広島1,高知1,兵庫2,和歌山2など関西以外が多い。「野生の自然が残っている」「連休でも人が少ない(混雑するアルプスと違う)」「食料・水を持っての縦走は厳しい」「同じ世界遺産でも熊野古道とは違う」などの声を聞きました。モノも情報もすぐに手に入る便利な世の中だからこそ、自然の厳しさや死と隣り合わせで歩き続ける“大峰奥駈”に惹かれて全国や外国から人がやってくるのでしょう。私がもう一度奥駈に入るかどうか分かりませんが、不思議な魅力をもった大峰奥駈をお勧めします。 50代半ばにして約半年のトレーニングと情報収集・準備ののちに”単独・通しの奥駈”にチャレンジした健脚でチャーミングな石川のTさん。同じく50代半ばにして産業・観光振興で忙しい中、昨年の北奥駈に次ぎ、終点の熊野に車を置いてバス・電車で吉野まで行って南奥駈をめざし、「こじゃんと」「まっとう」など歯切れのよい土佐弁が心地よい高知のF君。奥駈は一人で入れと言いますが、苦しくも楽しい奥駈ができたのはお二人の同行あってのことです。この場を借りて心からお礼を申し上げます。 厚いもてなしとともに、これまで南奥駈道の再生と小屋の整備・管理を続けてこられた「新宮山彦ぐるーぷ」のみなさんにも心から感謝申し上げます。 ≪おせっかい情報≫ ・近鉄大和上市から前鬼までのバスは、土・日・祝日の朝8:30発の一本のみ。 ・コースタイム8割の歩き&ツェルト泊で2泊3日の予定はすぐに無理と判断。暴風雨もあって3泊4日に変更。  ピークを次々に越える南奥駈は、岩場の多い北奥駈とは異なる厳しさがある。ほぼコースタイムで歩いた。 ・極力軽量化をはかったザックは出発時13kg(うち水2.5kg)、帰阪時は7~8kg程度だったか。  軽量化のために雨具(パンツ)を持参しなかったのは大失敗と反省。 ・トレランシューズ(salomon XA pro 3D GTX)は快適。3泊4日の縦走にも可能なことが分かった。 ・ツェルトの支柱を兼ねてストックを利用したが、急坂の上り・下りでの木・岩つかみに邪魔な時もあった。 ・食料は、カップ麺、アルファ米(赤飯)、パン、チーズ、ソーセージ、チョコ、フルーツグラノーラなど。  アルファ米、パンは、終盤には飽きて喉を通らなくなると多くの人が言っていた。  少量持参した野菜(セロリ、キュウリ、エシャロット)、辛く酸っぱいキムチ・梅干しが食欲を増進した。  果物(柑橘類など)も欲しいが軽量化のためには厳しいか。 ・水は約2.5kg(飲み水・料理用)を携行。小屋近くに水場があるが涸渇に備えて早めの補充が必要。  持経ノ宿、行仙ノ宿では新宮山彦グループによる水の提供があったが通年は期待できない。 ・ツェルト泊を原則としたが稜線の暴風雨では厳しく、小屋やテントの利用が賢明か。  玉置神社は参詣者のための宿泊施設を妥当な価格(食事・風呂付き)で登山者にも開放していた。  地元情報によると近年素泊まり7000円(食事なし,風呂も難しい)に変更された。  売店店主の了解を得て駐車場でテント泊、売店で食事(うどん、さんま寿司、めはり寿司など)が順当か。  ※アスファルトのためにペグの使用は不可(近くにある石の利用が可能) ・ミツバツツジは盛り、アケボノツツジは少し。シャクナゲはこれからの5月下旬のようだ。 ・南奥駈には持経ノ宿、平治ノ宿、行仙ノ宿があり新宮山彦ぐるーぷが管理。宿泊費(志納金)2000円以上/泊。  深仙ノ宿(避難小屋)も同グループが管理。いずれもソーラー照明、薪ストーブなどの整備が進んでいる。  いずれも通年開放されている。予定変更の私は飛び込みだったが春の連休などには予約が望ましいとある。  「新宮山彦ぐるーぷ」に関する情報はこちら http://syamabiko.web.fc2.com/