YAMAP / ヤマップ
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頼朝山~葛山(葛山城跡)~静松寺の写真

舗装道へと変わります。

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ちゃむ
ID: 648449

東京の下町育ちが長野に来て7年が過ぎました。 リフォーム出来ない嫁の老朽化予防と、自身の筋力トレーニングを兼ねて徘徊散歩をするうちに裏山に迷い込み、 トレッキングの楽しさを知りました。最近は近くの低山を徘徊散歩しています。 山で鶯の声を聴く度に、未だにヒーリングCDを誰かが流してるに違いないと思っております。 (地元は排気ガスと鳴り止まないサイレンと変質者と薬売りの外人さんばかり(/_;)洗濯物なんか外に干せば排ガスで真っ黒に変色するわ親父のパンツでもパクられる始末(笑)野鳥なんか居ません) 私の身体の¾は歌舞伎町で残りは少しの勇気と水分で出来てます。 勝手に足跡ペタペタ&フォローにて、ご迷惑お掛け致しますが、ご容赦頂ければ幸いです。 いつかは屋久島の縄文杉と、、、 ガンダムのパイロットに(笑)

この写真を含む活動日記

写真74
もらったドーモ0
02:58
5.3 km
476 m

頼朝山~葛山(葛山城跡)~静松寺

長野市(長野)

2018.05.17 (木)日帰り

ちゃむ
ちゃむ

本日も近くの低山です。 戦国の舞台で、上杉方の山城 頼朝山と葛山を散策して参りました。 ①頼朝山 (八幡山)644㍍ 山頂の八幡宮は昭和13年に焼失。 8代目松代城主 真田幸貫公が祭祀。 源頼朝公が寄進したことにちなみ頼朝山と呼ぶ(資料抜粋) ②葛山 (かつらやま)812㍍ 芋井地区の地侍、葛山衆の城で、城主は落合氏であった。川中島の戦いの際に、上杉謙信が旭山城(武田軍)の付城として整備したが、1557年2月15日武田の大軍に攻め落とされた。 葛山衆の多くは武田軍に降伏、後に上杉謙信の家臣となって米沢に移住した。 落城の際、逃げ場を失った多くの女達が、城の脇にある谷から身を投げたとされている。 この谷は姫谷と呼ばれ、供養の為、小さな祠が祀られてる。 薄暗くなると谷からは、女達の泣き声が聞こえるとか聞こえないとか.....。 ヒイィィィ!!(゚ロ゚ノ)ノ