ヤマメのいる沢です。 戻る 次へ

かつて存在した水無村。-2021-06-26の写真

2021.06.27(日) 23:01

ヤマメのいる沢です。

この写真を含む活動日記

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2.5 km

124 m

かつて存在した水無村。-2021-06-26

雷山・井原山 (佐賀, 福岡)

2021.06.26(土) 日帰り

http://queenofthemoon.xxxxxxxx.jp/mizunashi.html 水無村は福岡県糸島市にかつて存在した限界集落です。水無とは鍾乳洞の所で、室見川の水が鍾乳洞に入り一時的に伏流水になるので、水無と付きました。数百年前には水無原と呼ばれていました。ところで、水無鍾乳洞は現在は福岡震災後に立ち入り禁止となりました。私は高校生の時に一度だけ内部を歩いています。 水無鍾乳洞登山口は井原山に登る登山口の一つです。当日は登山口を真っ直ぐ井原山方面には行かず、反対側に進み、更に左側の沢に降りて行きました。所々竹や草木の藪でした。私には大した藪では有りませんが。程なくして村内に。 江戸時代や戦前の水無村の記録に関しては冒頭に貼り付けさせて頂いた資料は大いに参考になります。資料を見ているとこの地は人々の流入と廃村を繰り返した土地であるということが推測されます。沢を渡ると太い檜が上に生えてしまった古い石垣や、猿田彦の文字の掘られた石碑、いかにも祠(墓石、御神体)の様に据えて有る石灰岩などが散見されます。廃村の霊気が伝わります。 限界集落は戦国時代の武士の落人(落ちんどさん。)や、差別や生活苦、色々な苦しみから逃れて来た人々がやって来て生きようとした場所だと思います。しかし、私達にとっては今の社会の方が深刻です。周りにはこのようにやって来て住める場所や採って良い自然の生き物も有りません。逃げ場が全く無いのです。ですから自殺者が多いのです。 (余談ですが私の祖母は空襲で、焼け出され樋井川の法面や河川敷でサツマイモを育てて食べ防空壕で生活しました。今の樋井川の法面は全てコンクリート製です。) この資料では戦前の記録で終わっていますが、史実は朝鮮半島から 昭和20年代に帰国された男性と、戦前の軍都で有り空襲で被害の大きかった太刀洗出身の女性、夫妻から始まる、三世代に渡る茅葺き屋根の家屋に住まわれた、ご家族の太い営みが有ったということです。 更に進んで行くと、住居跡の土台の石積みのむき出しが有り、その先の住居の真ん中にはヤブカンゾウのオレンジの花が群れて咲き誇っていました。見渡すと見たこともない位いに実ったグミ、梅、サンショウ、シソ、そして沢山のオニグルミ。植えられたで有ろう食べられる植物が点在していました。この地に来た人々がいつの時代も山菜や、猪、沢のヤマメを採り、少し開けた土地では果樹や野菜を植え、また山の恵みの物を下界に運んで売り、穀類や保存食、日用品を購入し、寄り添い合って生活したのだろうと当時の暮らしが偲ばれます。 祖父の方は水無鍾乳洞などの観光も将来的に考えて周辺の整備をしていた様です。電気も水道も無くても人は立派に生きられるのです。お風呂は五右衛門風呂を沸かして入ります。 しかし、昭和57(1982)年頃、児童福祉法を根拠とした、教育を受けさせる等。役所の人達により強制排除されて水無村集落は幕を閉じました。学校の教育と山の暮らしから学んだ事と、どちらが上なんてわかったものじゃ無いですけれど。 本日は水無村の最後の住人、お孫さんのお話しを伺いながら往還クラブ、ピナクル山の会、脊振の自然を愛する会、想山会、日本山岳会(北九州)、アゼリア山の会、立花山の自然を守る会、(私が覚えて無い山岳会、名前間違いが有ればすみません。😅)のぼろ編集者等20名以上の参加者でした。 お孫さんはご自身の古里を少しでも綺麗にしたいと一人で当時のゴミを集めて片付けています。「自分の仕事も有り、思う様にこの古里に来れ無い状況で、多くの人が整備のボランティアをして頂けるなら嬉しいです」と。生活のゴミ以外にも置いて帰られたゴミが点在しているようでした。ビニールは土に還りません。まずは、清掃登山です。 (ここからは私の意見ですが、廃村後の現況はいわば、寝た子の状況です。寝た子を人為的に起こす、人の手を離れ猪やチョウ、ミゾサザイの持ち物に還ろうとしている自然に向かう場所はそうなって欲しいし、手を加えて欲しくないと思います。手を加えるのはお孫さんに意見も聞きながら、必要最小限にして欲しいですし、ここに現代製のベンチはいらないと思います。ベンチを据える為に広い部分を作ったりして欲しくはありません。伐採する人はその草木の名前は最低限知っていて欲しいです。皆さんボランティア精神に満ちた立派な方々の様ですから心配です。) 全国の山岳遺産の35番目に脊振(せふり)山系が指定されました。この範疇を具体的にどこが脊振山系なのかも難しいです。横は十坊山〜基山ですが。知られていない遺構や自然遺産を掘り起こし、更に沢山の登山者が訪れる様に整備を続けたい。今日の代表者のしめくくりの挨拶でした。 「のぼろ」は書店等でチェックして購入頂くと私のレポートでは伝わらない事柄が沢山有ると思っています。 真夜中にやっとレポートできました。風呂に入り眠ります。 追伸です。曲渕在住の方の中にはかつての水無村と同じ様に曲渕が辿るのではないかと廃村を心配している方がおられます。曲渕は過疎化が進んでいると。コロナ禍で折角出来たパン屋さんが無くなったり、素敵なお店も閉店していたりします。