きました、温泉かけ流し 戻る 次へ

阿蘇~高岳・中岳・南岳~の写真

2021.04.24(土) 11:34

きました、温泉かけ流し

この写真を含む活動日記

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09:09

15.3 km

1268 m

阿蘇~高岳・中岳・南岳~

阿蘇山・高岳・根子岳 (熊本)

2021.04.24(土) 日帰り

この活動メモをPさんに捧ぐ  三時間のドライブの末、仙酔峡登山口に着いた。運転席のデジタル時計には4時45分と表示されている。駐車場は4・5台の車があり、その中の1台がエンジンをかけルームライトを点けていた。まだ夜が支配する時間帯で、麓の旧一宮町の控えめな夜景は綺麗だったが、空は雲で覆われているらしく星一つ見えない。その代わり、漆黒の山影に一筋の光が不規則なリズムであちこちを照らしているのが見えた。日の出目的の朝駆けだろうか。初めての登山道で夜歩きをするほど愚か者でもなかった俺は、ヘッドライトをホテルに置いてきていた。しかし、暗闇の中、時に雲をも照らす光線の動きを見ているうちに、とてももどかしい気持ちになった。  日の出は5時35分、まだ大分時間がある。ふと、登る前に始末しなければいけない重大事をある気配とともに思い出した。逃れられない生理現象、山行中に襲われたら堪ったものではない。仙酔峡登山口には必要とする施設があったはずだが、照明が点いていないようだった。ヘッドライトさえ持ってきていれば……こんな時にも必要だったとは想定外だった。だが、日の出前の今こそ、気配を感じる今こそ、勝利を掴み取るラストチャンスなのだ。とにかく座ってみることだと思った俺は近くのコンビニを検索した。幸いにも車で10分程度の距離にFMがあった。俺はFM一の宮店に直行した。  店に入り、ぽっちゃり体型の人のよさそうな男性店員を見つけ、〇〇〇借りてもいいですか?と尋ねると、目を丸くした後に笑顔でどうぞどうぞと言ってくれた。個室に入り座して待つこと2~3分、俺はあっさりと好機をものにすることができた。達成感と安堵感が同時に湧き上がり、その場限りのお返しをしたい気持ちに囚われて白いTシャツとハンカチを買う大盤振る舞い。ここで1600円も使ってしまった。  登山口に舞戻った時は、日の出も間近に迫り、周囲が明るくなってきていた。早速準備を整え山行を開始する。山頂は雲に覆われていて窺い知ることができない。雨上がりの空気はひんやりしているが、湿度がかなり高かった。天候のせいで今一つテンションは上がらなかったが、暗闇に隠れていたミヤマキリシマの群生地が見え、満開の株がチラホラあったことがせめてもの慰めであった(本来なら5月下旬から6月中旬がミヤマキリシマの花期のはずだ)。  登り始めて15分、YAMAPでルートを確認すると下山予定の中岳へ向かうルートを登っていることに気付いた。直後は逆ルートに予定を変えればいいやと思いそのまま進んだが、本来登る予定であった仙酔尾根はどこかなとキョロキョロすると、左手の稜線に細い道が見える。そしてその先には、霧の合間に険しそうな岩場の裾が僅かに見えた。仙酔尾根は”バカ尾根”とも呼ばれている。どこかで聞いたことがある通称だ。眺めているうちに、バカ尾根は登っておかなければならないという考えと、下るのはちょっと嫌だなという思いが芽生え次第に強くなる。結局俺は登り直すことにした。後々この決断が正しかったと思うことになる。  30分ロスしてバカ尾根を登り直す。まずミヤマキリシマの群生地を進むが、ウグイスなどの野鳥の囀りが凄かった。数メートルの距離にいるとしか思えない近さで鳴いているが姿が見えない。写真に撮りたい一心で眼と耳を凝らすが全く分からない。ミヤマキリシマのような低木しかない場所で濃厚な野鳥の声を聞くとは思わなかった。  草木が残る尾根道が終わり本格的なガレ場に入ると、道と呼べるものは消失し黄色いペンキが示す方向に進むことになる。息を切らし気味に岩場ともガレ場とも呼べる場所をよじ登り、ふと後ろを振り返った時、雲と下界の合間に後続者を認めた。追い越したくないのだろう、絶妙な距離を保ちつつ追いついてこない。丹沢のバカ尾根は銀座のような賑わいだが、そこと違って今登っているバカ尾根は過疎っているという次元を超えた人気のなさだ。しかし、同好者がいると思うと妙に嬉しいものだった。  相変わらずガスっていて先行き不透明だ。てんくら(てんきとくらす)の予報では阿蘇山は午前6時から”A”だったはずだ。だが、その後7時になって増々霧は濃く、山頂どころか10m先も見えない。良くなるどころか悪化しているとしか思えない天候に、てんくらに対しての信頼がぐらつく。てんくらとはいったい何だったのか……。  ”中間地点"とペンキで書かれた岩を横目に過ぎた後、俺は後続者に追い越してもらおうと思い、休憩を兼ね岩に腰掛けた。前を行くのはしんどいからだ。しばらくして後続の人が追い付いてきた。お互いに挨拶し、一緒に休憩し、天気の話などを少し話した。見下ろしたときは若い人かと思っていたが、意外にも同じくらいの男性だった。休んでいても先に行ってくれないので、先に行くのは嫌なのかと思い、何も見えない中腹で時間を無駄にするのも嫌だったので、俺が先に行くことにした。この人のポテンシャルを確認するため、ほんの少し早いペースで登ってみた。離れず余裕でついてくるので、これで俺より脚力があると確信した。頂上間近で先行を入れ替わってみると、さっきとは比べ物にならない速度で登り始め、とても追いつけない。この後、数分で急登を終え、強風が吹き荒れ濃霧で景色など全く見えない山頂付近に着いた。この方は、(最後に聞いたのだが)ヤ〇レコではPさんというユーザー名だった。予定ルートがほぼ同じだった俺たちは、結局最後までお互いに本名どころかユーザー名すら知らぬまま同行することになったのだった。旅は道連れとはこういうことだろう。  まず高岳東峰を踏破し避難小屋に向かった。高岳も太古の火山だったはずだ。頂上付近が柿の種のような形ですり鉢状の地形になっている。避難小屋はその最低部付近にあった。すり鉢の中は濃厚な霧が充満し、5m先も見えない真っ白な世界。しかし携帯のGPSがあれば不安は全くない。  スマホを見ながら慎重に進むと、小屋の方角から若い女の子の声が聞こえた。爆笑している。こんな何も見えない濃霧の中で爆笑を聞くのはある意味シュールであった。Pさんと俺は声のする方向に向かった。ぼんやりと声の主が見えてきた。男の子を挟んで女の子二人の三人組。男の子は三脚にカメラを載せ、真っ白な空間に向けている。何してんのかなと思い、何か撮れますか?と言ったら、笑っていたであろう女の子が、更に大きな声で爆笑し始めた。両手に花の状況は羨望すべきことだが、三角関係だったとしたらと思うとぞっとする。男の子がどっちにも気がない場合でも、どっちかに気がある場合でも大変だろう。血を見ることは明らかだ。こんなことを即座に妄想していしまう俺はどうかしている、とは思う。そういや、どっちの女の子も男の子に興味ない可能性もあるな。  避難小屋で行動食を食べながらPさんと世間話をしてから高岳に向かった。Pさんが言うにはヤ〇レコに高岳に向かうショートカットの踏み跡があるという。二筋あって、一つは避難小屋近くの急なガレ斜面を直登していて、もう一方は尾根らしき場所を登っていた。霧が少し薄まり斜面が見えるようになって、直登の斜面が見えた。これは危なそうな感じで、登る選択肢はなかった。もう一つのショートカットは見るからに登れそうだったので、Pさんと”やりますか”と目くばせし、試してみることにした。これが拍子抜けするくらい簡単に登頂できて、自然に笑みがこぼれた。しかし、相変わらず高岳の山頂においても眺望はない。俺たちは口々に祈りにも似た思いを吐き出し、高岳を後にした。  中岳への道のり、時々瞬間的に霧が風で飛ばされる。短時間だが太陽が顔を覗かせ、その光が背中に当たると暖く気持ちいい。そして風が景色をチラ見させてくれるようになった。俺たちは弥が上にも気分が高揚していく。それまで何も見えずほとんど写真を撮ってなかったので、急いでカメラをスタンバイし、写真を撮りまくった。だが、天気が回復した午後の写真と比べると中途半端な写真ばかりで、この時の写真のほとんどはお蔵入りか削除の憂き目にあったのだった。  中岳頂上からは火口付近が良く見えた。このころにはほとんど霧が晴れ、阿蘇特有の景色が十二分に堪能できる眺望が得られるようになっていた。火山の火口を上から見下ろすスポットなどそんなにない。この中岳は大変貴重だ。  中岳から南岳に向かう。今や霧は完全に消えた。火口や砂千里ヶ浜を見下ろし、南側の美しい深緑を味わいつつ、人間以外の生物が存在しない殺伐とした尾根道をゆく。ここの風景はやはり特殊だ。火口付近は太古に噴火などで形成された地層がむき出しになり、今尚変化し続けている。この灰色と赤と黒の世界は、よく火星感と言われているが、俺に言わせればスターウォーズ感で、C3POとR2D2がいたら様になる景色だ。一方で、火口の外側には豊かな田園が広がり、この火山の近くに大昔から人が住み続けていることに不思議な気持ちにさせられる。生と死が隣り合わせる世界だ。  南岳を踏み、火口に向け下りてゆく。ここが結構険しい。後で登り返しをすると思うと辛くなるからあまり考えないで下りた。この斜面でPさんが呟く。凄いのがいますよ。登ってくる一人の高校生らしき若者がいた。彼はTシャツ一枚という軽装だった。あっ、Tシャツ一枚ですねぇ、でも一応靴はまともそうだ。俺は彼に挨拶がてら聞いてみた。こんにちは、寒くない?えっ、いや暑いです。上の方は冷たい強風が吹いていた。下り切ったところで、Pさんが俺に話しかけてきた。あの子、もう下りてきますよ。えっ、あ~ほんとだ、やっぱり寒かったんですね!早過ぎるから高岳までは行っていないでしょう、とPさんが言う。彼にはいい勉強になったのではないだろうか。彼の姿を生暖かく見守ったあと、砂千里ヶ浜を越え中岳火口に着いた。  近くで見ると迫力が違う。ただ、残念だったのが、火口の底は池になっていると思っていたが見えなかったことだ。また、ここには車で来た一般客もいて、温泉観光気分。屋台で「阿蘇の光る石」という緑色の石を売るおじさんを発見。俺が立ち寄ると500円の少し大きめの石を勧めてきた。太陽の光を当てると本当に光るんだよと言うのだが、重そうだからいらないよと断った。おじさん、200円のもあるよと食い下がるが、ちょっと考えると言って逃げた。帰って調べてみると阿蘇流紋岩というらしい。楽天では、おじさんが500円で売っていたようなものが六万円で売っていたり、メルカリで30gのくずのようなものが三万円で売っていたりで、買っときゃよかったか!とも思ったが、あのおじさんが大安売りをしていたというより、楽天やメルカリの出品者が〇〇師の可能性があると考えた方がよさそうだ。  火口のシェルターで昼食を摂り、南岳から中岳の登り返しに挑む。壁のように見えた斜面もそれなりにきつかったが難なく越えられた。この後、火口の東側に最接近し、2010年から放置された仙酔峡ロープウェイの火口東駅を訪れ、楢尾岳の脇をかすめる下山ルートになる。火口東側の最接近でも火口の底は見えなかった。  仙酔峡ロープウェイの残骸を見物。壁は焼け崩れ落ち、ガラスは割れている。安全のためか、残されたゴンドラが懸垂リンクから切り離されていた。また、当然かもしれないが、ロープを支持する巨大な支柱も放置されて景観を壊していた。人間の営みなど脆いものだと思わずにいられない。この辺りも植物がないことを思うと、時には火山性の有毒ガスが漂うのであろう。  午前中は霧で埋め尽くされた登山道も、下山時は晴れ渡り、登りでは良く分からなかったバカ尾根の全貌がよく見えた。こんなとこ登ったのかという稜線の姿。そして、やはり下山しなくて良かったと思ったのだった。火口東駅からの下山は楽ちんとは言い難いが、バカ尾根を下った場合を想像すれば屁の河童であった。  山行中Pさんとはお互いの名前に関しては全く話さずに来た。何か野暮な気がしたからだ。しかし下山して初めてユーザー名を伝え合った。別れ際、何か寂しい気がしたからだった。偶然出会った名も知らぬ人と一日行動を共にするということはそうない。街角で出会っても絶対こうはならない。居酒屋で出会えば可能性はあるかもしれないが、山ほど高くはないだろう。山で会うと何やら同志のような気がして打ち解けやすい気がする。Pさんは鹿児島の方で九州の山を巡っているだけあって、見える山々の名前やあちこちの山でのエピソードを話してくれた。おかげでとても楽しめたし、次はあそこに行こうかというヒントにもなった。一期一会。俺がお返しできるものはなく、ただお礼しかできない。Pさんありがとうございました。またどこかで。 おまけ  1時半に起きて、山行9時間に往復6時間運転はものすごく辛かった。帰りは睡魔との戦いだった。コンビニ、高速にのってからはPAで仮眠でもしようかとも思ったが、レンタカーの返却時刻が迫っていて、この眠気では仮眠したら終わる自信があったので、気を失いそうになりながら運転し続けた。バカ尾根より遥かにしんどかった。鹿児島のPさん無事に家に着いたでしょうか。