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月山と月神と山の食文化|フカボリ山の文化論 第8回
山の歴史や文化を知ってから登ると、登山中ふと目にする何気ない風景にも深い意味があると気づくことができます。そんな「文化系の山登り」を推奨するアウトドアライター・武藤郁子さんが今回、考察・妄想するのは、山形県の百名山・月山。
古くから修験道の中心地として栄えてきましたが、山菜やきのこなど山の恵の豊かさでも知られます。究極の山菜料理を通じて月山の山の食文化の豊かさに迫ります。
フカボリ山の文化論|登山が100倍楽しくなる、山の歴史と文化の話 #08/連載一覧はこちら
目次
出羽三山の主峰・月山
東北地方を代表する名峰、月山(がっさん)は、羽黒山(はぐろさん)、湯殿山(ゆどのさん)と合わせて、「出羽三山」と呼ばれます。日本海側を南北に断続して分布する「出羽山地」の南端に位置する出羽三山は、聖徳太子の叔父で、史上唯一、臣下に殺害されたとされる崇峻(すしゅん)天皇の御子・蜂子皇子(はちこのみこ)が開いたと伝わる東北屈指の霊場です。
ここは修験が盛んな場所で、江戸時代以降は熊野三山、英彦山(ひこさん)と並び、“日本三大修験山”と称された修験道の中心地でした。
この連載でもお話してきましたが、修験道は、日本古来の山岳信仰に、仏教や道教などが混ざり合ってできた日本独自の山岳宗教です。日本の神さまの本体(本地)が、実は仏教のホトケだとする考え方を「本地垂迹説」と言いますが、出羽三山にもそのような信仰がありました。
羽黒山には「伊氐波(いでは)神」「倉稲御魂命(うかのみたまのみこと)」という神様が祀られ、本地仏は観世音菩薩、月山には「月読命(つきよみのみこと)」が祀られ、本地は阿弥陀如来、湯殿山には「大山祇(おおやまずみ)神」「大己貴命(おおなむちのみこと)」「少彦名命(すくなひこなのみこと)」が祀られて、大日如来が本地仏と考えられていました。
月神と“保食神”殺害事件
月山に祀られている神様である「月読命」と聞くと、私は即座に食べものを連想します。月読命はその名の通り月の神で、天照大神の弟とされる、神々の中でも特に尊いとされる神さまです。しかし重要な神であるはずなのに、日本神話の中で語られるエピソードが極端に少なく、ちょっと印象が薄いんですよね。
そんな月読命の、ある意味唯一と言ってもいい印象深いエピソードが、食べ物にまつわるお話。これがちょっとショッキングなんです。
――天照大神は、葦原中国(人間界)に、保食神(うけもちのかみ)がいると聞いたので、弟の月読命に会いに行くように命じる。保食神は月読命をもてなすために、ご飯、海の魚、獣や鳥を口から出し、そのいろいろな品物を机に積み上げて饗応した。しかし月読命は「口から出したものでもてなすとは汚らわしい!」と怒って、剣で斬殺してしまう。戻ってそのことを天照大神に報告すると、天照大神は激怒して、二度と顔を見たくないと言って昼夜に分かれて住むことになった…。(『日本書紀』の記事を筆者要約)
保食神の遺体からは、穀物類や豆類、蚕、牛馬が生じた…ということになって、食物の起源に関するエピソードになっています。一生懸命もてなしてくれたのに怒って殺してしまうなんて、ひどいですよね。
しかしこれも神話世界にありがちな残酷さ…というか極端さとも言えます。神話は描かれている物語そのままに受け取るのではなく、象徴的にとらえるものですから、これは、「月」と「食物」に強い関係があると考えられていたんだろう、と考えるほうがいいでしょう。
つまり残酷かどうかは置いておいて「月読命の行動が、食物が生じる状態をもたらした」と読み解くほうがいいのかもしれません。
月山が生じさせる食材の豊富さ
月山の神さまが月読命であることは、思わずなるほど!と思うんです。残酷というポイントじゃありませんよ。食物を生じさせる環境を創り出したとされるポイントです。
これまで何度か出羽三山や周辺を旅してきましたが、本当に食べ物が美味しい!…ですので、その主峰である月山の神さまが食に関わる神であることは、個人的体験ながら大きく納得。間違いなく、月山は食の宝庫です。
月山にアプローチするには大きく言って、日本海側である鶴岡駅から行く方法と、内陸側の山形駅を経て西川町から行く方法があります。鶴岡方面は山の幸だけでなく、日本海の海の幸も美味しいですね。鶴岡の食材の多様さは、全国でも有数で有名ですが、実は内陸側もすごいんです。
月山山麓には、豊富に採れる山菜料理を食べさせてくれる料理屋さんや宿泊施設があります。もちろん羽黒山門前の宿坊でも、美味しい精進料理をいただけますが、内陸側の西川町にある出羽屋という料理旅館で食べたキノコ・山菜料理には、度肝を抜かれました。
山を生きる技術と知識の結晶
私が宿泊したのは4年前の9月上旬。キノコはまだ出始めということで、前年採って保存したものを多く用いたお料理だと説明されたのですが、歯ごたえがよく、食材の味も濃くてとても美味しい。初めて食べるキノコが多かったので生の状態を知りませんから比較はできませんが、保存技術でより旨みが増しているのではないか?!と感心しながら、夢中でいただきました。
この時食べたキノコは、20種類近くはあったかと思います。だいぶ前の記憶なので、ちょっとあやふやなのですが、この一食で、人生で食べたキノコの種類の総量を一気に塗り替えたのは間違いありません。
私は“種類の多さ”という一事をもっても、この食事の豊かさに目から鱗が落ちる思いでした。今の私たちの食生活は、昔に比べたらいろんな産地のものを選べるし、旬にかかわらず、いつでも食べられます。
しかし食べている食材の種類を数えてみると、意外と少ない。よく考えたら、だいたい決まったものを食べています。これを豊かと言っていいんでしょうか。もちろんおなか一杯いただけるだけでも、生産者や物流の皆さんのおかげですから、ありがたいことなのですけれども…。
対して、出羽屋さんでいただいたキノコと山菜は本当に多様でした。これだけたくさんの種類を採取し、調理するというのは、すごい文化だと思います。山菜料理とは、山を生きる技術と知識の結晶ですね。その結晶をいただけて、私は身も心も幸せな気持ちでいっぱいになりました。
月山の森で貴重な動植物に出会う
出羽屋さんでキノコの美味しさに括目した私は、月山山麓に生えているキノコをもっと知るべく、月山の中腹にある山形県立自然博物園に行き、ガイドをお願いしました。県立自然博物園は245ヘクタールにも及ぶ敷地があり、ブナの原生林を中心とした自然林を散策することができます。散策の拠点であるネイチャーセンターにはガイドが常駐しておられて、広大な園内を案内していただけますよ。
歩いたのは2時間くらいでしょうか。短い時間でしたが、専門家に一緒に歩いていただけると違います。初めてみるキノコにも出会えましたし、モリアオガエルやクロサンショウウオの姿も見ることができました。ブナの原生林は、なんと言いますか、「水分タップンタップン」という感じがしますね。生物の気配が濃厚で、実に豊かな森でした。
案内していただいてつくづく思いましたが、やはり詳しい人に教えていただくのが一番ですね。これは月山に関わらず、どの山でも言えることかと思いますが、特にキノコや山菜は、その山独特の環境で様子も異なりますから、経験と知識のある先達と一緒に歩いたほうが安全ですし、絶対に面白い。茫洋としていた視界が、認識できることで切り替わり、いろんなことがくっきり見えてくる気がします。
食べ物を自分で探せる能力が欲しい
ところで、私はこの数か月間ひきこもり生活を送りながら、生きていく上で最も重要な能力に欠けているんじゃないかと気づいてしまいました。それは「食べ物を自分で探せる能力がない」ということ。
ひきこもり生活の中、地元を1~2時間歩きまわるようにしていたんです。関東平野の丘陵地帯なので山菜はありませんが、いくつか野の食材を発見することができました。しかし私が自信を持って採取できる植物はとても少ない。田舎育ちなので、子どもの頃には探す能力がもっとあったと思うんですが、大人になって、あの頃の感覚を忘れてしまったんだと思います。
コロナ禍の未曾有の事態の中で生活してみて、そういう感性や知識が、実は最も大切な能力なんじゃないかと痛感しました。本来「生きもの」として必要な能力とでもいいましょうか。
自分で探してみて、改めてあの出羽屋さんでいただいたキノコと山菜料理がいかにすごかったかを思います。繰り返してしまいますが、あんなにたくさんの種類を一度にいただけるのは、本当にすごいこと。たくさんの種類が生えているという月山の自然の豊かさもありますが、それを採り、保存できる技術、そんな山の文化あってこそ可能な食卓です。
出羽屋さんの料理は、人々が培ってきた「山の食文化」の究極形です。あの領域は無理としても、少しでも能力を高めていきたいですね。これは私にとって、アフターコロナな生活の一つの柱になるかもしれません。そのためにも、自分が生活する場所の植物や風土について、もっと勉強したいと思っています。そして究極の食文化を体感できる場所である月山に、再び行ってみたい。
今年は難しいかもしれませんが、出羽三山のいずれかでは、山菜を採るツアーも開催されているようなので、そんなツアーにも参加してみたいですね。そろそろリアルな山行の計画を立てられそうな流れですから、いろいろ画策してみたいと思います。
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取材協力/出羽三山神社、出羽屋、山形県立自然博物園(順不同)
出羽屋公式HPはこちら
トップ写真/しーちゃんさんの活動日記より
月山のの基本情報、ルート、登山地図はこちら
文化系アウトドアライター
武藤 郁子
フリーライター兼編集者。出版社を経て独立。文化系アウトドアサイト「ありをりある.com」(http://www.ariworiaru.com)を開設、ありをる企画制作所を設立する。現在は『本所おけら長屋』シリーズ(PHP文芸文庫)など、時代小説や歴史小説などの編集者として、またライターとして活動しつつ、歴史や神仏、自然を通して、本質的な美、古い記憶に少しでも触れたいと旅を続けている。著書に、『縄文神社 首都圏篇』(飛鳥新社)、共著で『今を生きるための密教』(天夢人刊)がある。
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