投稿日 2021.04.24 更新日 2021.06.21

楽しむ

山の歴史を辿り、妄想を膨らませる”NO PEAK歴史登山” のススメ

YAMAP MAGAZINEで親子登山の様子を愛らしいイラストエッセイでお届けしてきた人気イラストレーターのヤマガスキナダケさん。今回よりスタートする待望の新連載「ヤマガスキナダケの”NO PEAK 山遊び論”」では、歴史巡りや渓流遊び、巨木探訪など、ピークハント以外の様々な山の遊び方について、お届けしていきます。第1回目となる今回は、かの明智光秀が「本能寺の変」直前に通ったと言われる山道「明智越」を歩きながらNO PEAKな歴史登山の楽しみ方をご提案。お馴染みのイラストを交え、軽妙に語られる「ヤマガスキナダケ流 歴史登山の楽しみ方」とは?

ヤマガスキナダケの”NO PEAK 山遊び論”#1連載一覧はこちら


目次

歴史のピースが現地ではまっていく面白さ

幸いにも私が生まれ育った京都はその土地柄、人と山の歴史を今に伝える資料や文献が多く残っています。

どこの山へ行っても、歴史上の人物の言い伝えがあり、至る所に石碑や看板が立っています。そんなこともあって山と歴史を絡める登山に自然と興味が湧いたのかも。

いや、それは歳のせいだろ。と、言われれば完全には否定できないのですが…。実際、日本史に至っては最近まで全くといっていいほど興味がありませんでした。しかし、興味を持って実際に歩くと実に面白い!

私の持つわずかな知識と、山を歩いた際に見かける戦国武将や合戦に関する史実がパズルのようにつながっていく。そして、そこから空想を広げていく。それがとても楽しいのです。歩きながら、未知の歴史を巡り、知識を増やしていく。それは、知識が少ないからこそたっぷりと楽しめる贅沢なのかもしれません。

ともあれ登山に歴史を絡め、ノスタルジックな気分に浸る遊びを覚えてからというもの山頂へのこだわりは次第と薄まり、人々の行き来があったことを感じさせる少し寂しげな山の景色にどっぷりとハマっていったのでした。

ピークハントならぬコアハント

例えば、ルートを山越えの旧街道にしようものなら、登山の醍醐味であった尾根歩きは、沢や谷歩きに変わり、苦手だった薄暗い林道にすら魅力を感じるようになっていきました。そうしていつしか私の登山のハイライトは山頂よりも、人々が生活のために行き来した峠になっていったのです。

街道は昔の人々が省エネルギーで山を越えようとしたルートになるため、高低差も小さくて尾根歩きより楽なのもいい。

心身ともに癒され、おまけに歴史に関する知識を深められる一石二鳥、二兎追って二兎とも得られる魅力的な山遊び! というわけで私の登山はますますNO PEAK思想に拍車がかかり、そして次第に家族をも巻き込むこととなっていったのです。

家族で明智越

中でも思い出深いのは、つい最近まで放送していたNHKの大河ドラマ『麒麟がくる』でお馴染み、明智光秀が「本能寺の変」の戦勝祈願で愛宕山へ向かう際に通った「明智越」を辿る登山です。

ここからはその様子をご紹介したいと思います。

明智光秀といえば当時天下人であった織田信長を「本能寺の変」で襲撃し、短期間ながら天下を取った戦国武将であることは私でもギリギリ知っています。

その「本能寺の変」の数日前、勝利祈願のために訪れたのが、京都市北西部にある愛宕山。私が住む地元でもあります。彼が拠点としていた亀山城から愛宕山へ向かった約8kmの山道が「明智越」と呼ばれており今も京都市の北西部、亀岡市に残っているのです。

その明智越を大河ドラマ放送前、家族で歩いたことがありました。当時は「今度の主役は明智光秀になるらしい」くらいの認識しかなく、どちらかといえば奥さんの方が大河ドラマ好きもあって楽しみにしていたようです。

私はというと、せっかく地元が舞台の大河ドラマが放送されるのだから、地の利を生かして面白いルート選びができたらネタになるな…という下心もありつつ出かけました。

いざ、明智越へ!

まずは京都市内にある自宅から愛宕山の麓の嵯峨野までを自転車で向かうことに。歴史街道ということで、極力人力で行こうではないか!という先人への配慮だったのですが…。

画像中央奥が愛宕山。この山の向こうに光秀が住む亀山城があった

嵐山〜亀岡までは、光秀公にはかたじけないことに、いきなり電車を使わせてもらうことにしました。公共機関を使い、経済を回すことも現代人の役目なのだから致し方あるまい…(歴史口調のつもり)。

という冗談はさておき、嵐山から明智光秀が住んでいた亀山城があった今の亀岡市までは、トロッコ列車が通っており、美しい景観の保津川沿いを堪能しながら遡ることができるのです。今回はアプローチがてら、その絶景も満喫しようというわけ。

愛宕山の急斜面はが峡谷となっていて、舟下りで有名な翡翠色の保津川が流れる

亀岡までの25分間、春は桜並木、秋は紅葉に染まるなんとも風情あふれる路線。列車で一路、亀岡へ! そこからは心新たに歩くのみ! のはずでしたが…。

亀岡駅の手前にある「トロッコ列車亀岡駅」から亀岡駅のそばまで、なんと馬車があるという魅力的な情報を聞き、またもや計画変更。 歴史街道とあればこれを使わない手はない! のどかな風景の中をのんびりと馬車にゆられ進むにつれ、時間感覚も戦国時代へとタイムスリップしていったのでござりまする。

散歩中のおじさんに抜かれるほどゆっくりなペースで川沿いを亀岡駅そばの停車場に向かって進む

亀岡駅そば、保津川の辺りで馬車を降り、そこからはいよいよ光秀公の足跡を辿る歴史登山のスタートです。約30分、のどかな街並みを明智越の登山口を目指し、てくてく歩きます。

麓の集落を歩いて登山口に向かうのも歴史を紐解く大きな魅力

明智越の登山口には説明看板があり、光秀が戦勝祈願のため愛宕山へ向かう際に、この「明智越」の道を通ったことを今に伝えています。

『天正十年(1582)五月二十七日「はた」に山塞を構えた愛宕山次郎坊に属する僧兵(寺侍)に案内されて、愛宕山将軍地蔵に願をかけ、太郎坊の鬮(くじ)を占って運を定め……』 

そして、その6日後の6月2日、光秀は本能寺を襲撃することとなるのです。

明智越の登山口。地図入りの標識が立っているが見落としてしまうかもしれない

妄想爆走!空想明智越えを堪能

恥ずかしながら地元の人間ながら生まれてから40年余り、この道の存在を知らなかったのですが、意外と人の行き来が多いのか登山道はしっかり踏み固められ、旧街道などでよく見る深く掘られたV字型の道が続きます。

「明智越」は行きと帰りで揺れ動く光秀の心中を想像するのが面白い

光秀は、戦勝祈願で愛宕山を訪れた際、3度もクジを引いたと伝わっています。きっと、本能寺の変を前に、不安で心臓バクバクだったはずです。しかもクジは全部「凶」だったらしいので、もう帰り道は放心状態だったんじゃないでしょうか。自分の進むべき道が見えない不安の中、ふと顔を上げると目の前の道がV字型!

「これぞ勝利のVロードじゃ!」と本能寺の変の決行を決めたのかもしれません。

冗談はさておき、引いたクジ全てが「凶」であればおそらく完全に気持ちは吹っ切れたのでしょう。3度「凶」を引いてもその気持ちは変わらなかった、と。行きで揺れ動いていた心が帰りには決心に変わりこの道を下っていったのだと思います。なればこの明智越の復路こそ本能寺の変の決行を決めた場所なのかもしれません。

しばらくは思いのほか急登が続き、子供の様子を伺いながら何度か休憩を挟みながらゆっくりと進みます。展望はないのですが比較的明るい登山道なので時間に余裕を持てば子供でも楽しく歩けると思います。

ちょうどこの場所で休憩をした人はどれだけいたのだろう?もしかしたら光秀公もここで…

「光秀公だって歩いたんだから、頑張ろう!」と言って鼓舞したいところですが「絶対に馬に乗って行ったでしょ」と言われたら言い返せないのでその言葉はそっと心にしまっておきました。

四百年以上前の出来事でもその場に立てば一気に身近に感じることができる

急登を越えれば気持ちの良いなだらかな道が続き、いくつかの史跡を見ることができます。

そのひとつが56代清和天皇を祀ると言われる『峯の堂』。光秀公が辿ったその後の末路からこの塚が後に「むねんどう」と呼ばれるようになったとのこと。史跡の呼び名が変わるほど光秀や本能寺の変がいかに後の人々に大きな影響を与えたかを物語る言い伝えです。

『土用の霊泉』は暑い土用の日にも枯れなかったと伝えられる泉で、光秀が本能寺を攻める際には、この霊泉で薬草を洗い鎧の下に秘めたとの言い伝えがあるそうです。

こうして、歴史の断片を拾い集めながら歩くと、さまざまな妄想が頭の中で繰り広げられます。「ここで光秀も休憩したのだろうか?」「ここでは、この景色に励まされたのかも」。妄想は尽きるところを知りません。

腹が減ってはなんとやら…

しかしその日の我々には史跡より大事なものがあったのです。

今更ではありますが登山当日は3月3日。この日の我々の登山のテーマは「本能寺の変前夜、戦勝祈願! 明智越の足跡を辿る!」ではなく、「家族で歩こう! ひな祭り団子登山」なのでした。なんとも緊張感のない気の抜けるような明智越ではありますが腹が減ってはなんとやら。

人は本能には逆らえない。これぞ「敵は本能にあり」とでもいえようか…

途中、京都の街並みが少しだけ見渡せる場所があります。光秀もこの景色を眺めたのであれば一体何を思っていたのでしょうか。

現代の目線で見ればパワハラ上司と直接対決を前に自社ビルが遠くに見えた瞬間みたいなものでしょうか…いやぁ…、私なら怖気付いてしまいます。相手が織田信長とあれば心変わりしないよう、あえて見ないように素通りした説が濃厚でしょうか…。

今では電線が横切っていますが、遠くに見える比叡山は当時と変わらないのでしょう。街並みは変わっても山並みは変わらない…なんて気の利いたことをこのふたりが思っているはずもなく、団子で空腹を満たした満足げな姿にしか見えません。

ここを出発点として亀岡に下り、保津川下りで帰ってくるというのも良いかもしれない

杉の植林地帯を抜けると今日のゴール地点の水尾へ到着。光秀はここからさらに愛宕山へ登り、愛宕神社に戦勝祈願をしたそうです。でも、私たちの今回のルートはここまで。日暮れも近かったので、ここから先は次の楽しみにとっておき、一路、我が城(自宅)に向かったのでした。

あとで調べてみると写真の中央奥さんの頭のお団子あたりが当時の本能寺の場所

ここからの嵯峨嵐山までの帰りはトロッコ列車じゃなくJRを利用しました。トロッコ列車が25分のところをなんとたった3分で着いてしまいます。登山の下山道でよくある感覚ですが、山から降りて人工的なものが少しずつ目につきはじめると気持ちもどんどん現実に引き戻される感覚に…。

保津川を渡る鉄橋が駅のホームとなっているJR保津峡駅

特に電車の時刻表を見ていると胸の辺りにギュッと緊張感が蘇ってきます。つくづく現代は時間に急かされているなと思わされる瞬間です。

やっと地元に帰ってきたという安堵感がいい笑顔を生む

などともっともらしいことをいっても一番落ち着くのは我が城。現実に引き戻されるとはいえ、なんだかんだ地元に帰ってくると落ち着くのも事実なのです。こうして我が家の明智越は無事ゴールを迎えることができました。

ちなみにここが明智光秀が戦勝祈願に訪れた愛宕山山頂の愛宕神社

今回の徒歩ルート。YAMAPの該当地図はこちらから。徒歩ルート以外の経路は【往路】京都市内自宅→(自転車)→トロッコ嵐山駅→(トロッコ列車)→トロッコ亀岡駅→(馬車)→保津川下り乗船場→(徒歩)→明智越登山口 【復路】JR保津峡駅→(列車)→嵐山→(自転車)→京都市内自宅

マイナーな山にはマイナーで想像が楽しい歴史

今回ご紹介した「明智越」は、歴史好きには比較的メジャーな山。そういった山には多くの文献や遺跡や遺品が残っています。そういった山に登ることが好きな歴史好きな人も多いでしょう。

でも私が本当に好きなのは、文献にも残らないような「庶民的な山の歴史」。きっと今とそれほど変わっていないであろう昔の山の景色に想像を膨らませ、ここを歩いたであろう先人の記憶にお邪魔するのが楽しいのです。

旧街道の峠にある祠。時代を超えて人々が行き交った雰囲気がたまらない

生活道として歩いていた庶民にとっては、峠が休憩場所や待ち合わせ場所になっていて多くの人で賑わっていたはず。残りの道のりの安全を祈る祠のお地蔵様も今はさぞかし暇を持て余してるに違いありません。

生活や仕事の場として山がもっと身近だった頃に人の手で作られたものが、時間を超えて人の手を離れ、自然へとゆっくり帰っていく。なんとも言えない、どこか寂しい夏休みの終わりのような感覚が好きなのです。

ノスタルジックな感傷に浸れるトロッコ軌道跡のような山仕事の痕跡は身近で魅力的な歴史

植林地帯でよく見る炭窯跡は代表的な山仕事の歴史。造りや形からその背景を考えるのも面白い

地元の山ならではの歴史散策

近所の山を散策してみるだけでも意外と面白い素材が転がっているもので、登山をしていなければ知らなかったことが意外とありました。地元だと通い詰めることもできますし、親や知り合いから情報がもらえたりと、生まれ育った土地故のメリットもあります。

そういった住んでる街の新たな発見やミステリーこそ自分の歴史と地続きのリアルな面白さがあり、生活の刺激になると思います。

地元嵐山にあった嵐山城の石垣跡。城どころか嵐山という山があること自体知る人は少ない

裏山で見つけた人工的な謎の横穴。貯蔵庫か防空壕か、それとも…ミステリアスな山の痕跡で妄想するのが楽しいのだ

歴史を絡めた登山は知らないことを知っていく楽しさがあります。でも、知らないことを想像する楽しさもおすすめしたい。どこの山でもきっと人々との関わりがそこにあるはずです。

それは歴史や史跡に限らず木や花、鳥や虫でも同じ。山頂を目指すことを目的にするだけじゃなく、今見えているものひとつひとつに焦点を当て、少し立ち止まって、見て、感じて、考える。

必要なのは柔軟な頭だけ。荷物も少なくて済む最高の山の楽しみ方なのではないでしょうか。

YAMAPが運営する登山・アウトドア用品の
セレクトオンラインストア

すべての商品を見る

記事が見つかりませんでした。

すべての商品を見る