投稿日 2021.01.18 更新日 2023.05.23

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大橋未歩の海外登山 ジョン・ミューア・トレイル(JMT)体験記 #06|マンモスレイクの思い出

登山好きとしても知られるフリーアナウンサーの大橋未歩さんが、アメリカのロングトレイル 、John Muir Trail(ジョン・ミューア・トレイル)を歩いたときの”旅の記憶”を綴るフォトエッセイ。連載第6回目は入山5日目にしていったん街へ。マンモスレイクで絶品バッグリブとビールを堪能した大橋さんを待ち受けていたのは、心温まるスペシャル・サプライズでした!

大橋未歩のジョン・ミューア・トレイルの山旅エッセイ #06連載一覧はこちら

目次

街へ

日本を出る時は「大自然ととことん向き合いたい」なんて言いながら、入山5日目で肉とビール欲しさに街まで降りることになろうとは。でも仕方がないさ、人間だもの。それにこの煩悩のおかげで、私たちは人生最高の味に出会うことになるのだから。

この日は夜明けとともに目を覚まし、白息を吐きながら南へと歩みを進めた。16km先のデビルズポストパイルにあるバス停を目指すのだ。ひどい時には昼近くまでテントでイビキをかいている私たちにとってこの行動は奇跡に近い。食欲酒欲は人を更生させることもあるものかと感心する。脇目も振らずに歩いた。思い返せば、この辺りで植生も景観も大きく変化するはずだから、道中には足を止めて観察すべきものが溢れていたはずだ。けれどそんな一つ一つは肉を求める力強い歩みを止めるほどの引力を持たず、私たちは狂ったような勢いでバスに乗り込んだのだった。

14時すぎにはカリフォルニアを代表するリゾート地「マンモスレイク」に降り立っていた。近くにはマンモスヨセミテ空港があり、ロサンゼルスやサンフランシスコから国内線で1時間半以内という好アクセス。夏季はハイキングや釣りに冬季はスキーなど、1年中アクティビティが楽しめるとあって、一帯にはホテルが林立し、街を周遊するシャトルバスも走っている。華やかな街並みは埃まみれの私達からするとまるで文明開化だ。

登山靴で慣れないアスファルトを徘徊しながら、レストランの外看板に出ているメニューを物色する。テラス席の入口に「Beef Beer」の文字が高々と踊る店を見つけて音速で入店。バックパックを下ろして、「とりあえずビール」だけを夫にことづけて、レストランのトイレに向かった。

まじまじと鏡の中の自分を眺めた。鏡で自分を見るのも5日ぶりなのだ。アメリカの山を50km歩いてきた私の風貌は、日焼けしてくすんだ肌に、髪は乾燥でパサついてまるで落ち武者。リップを塗っていない唇は日照りの続いた田んぼのようにひび割れている。けれど、何故か誇らしいのだ。なんだろう、この内側から湧き出る自信は。瞳だけは黒々と力強く輝いている。今まで出来ないと思っていたことが少し出来ただけなのに、単純な私は勇者を見つめるような気持ちで鏡の中の自分を讃えていた。

用を足しながら、拭いた紙をジップロックに入れなくてもいい便利さを噛みしめる。何もかもが天国だった。山に登る度にいつも思う。登山は「苦労の自作自演」だと。山あり谷ありをあえて経験することで、街へ戻ってきた時に、何でもない日常がいつもより愛おしく思えてくる。

Beef! Beer!

トイレから戻ってきた私を待っていたのは、夢に見た光景そのものだった。アメリカサイズの大皿に、今にもこぼれ落ちそうなバッグリブが載っている。その横に鎮座するのは、静かなる気泡を湛えた黄金に輝く液体。
もう1秒足りとも我慢できない。

「乾杯!」

ビールを体に流し込む。その液体は、舌でもなく、喉でもなく、脳天をダイレクトについた。快感で脳がシュワシュワと泡立っている。液体が体内を巡っていくのを感じて体がしびれる。2口目はきめ細やかな泡が喉を濡らす。3口目の苦味が4口目を誘う。もうなにも考えられない。ビールに溺れたい。

次はバッグリブだ。口に入れた瞬間、分厚い身は骨からホロリとほぐれ、口の中に脂の甘味と肉の旨みをもたらす。噛む度に、溢れ出す肉汁とテラテラと輝く甘酸っぱいソースが合流して、極上のシロップとなり舌の上で踊る。間違いなく、人生最高の酒と肉だった。

モーテルにて

さて、次は今夜の寝床を探す。高級リゾートホテルは周りにいくらでもあるが、テントに慣れた私たちにとってはシャワーがあればどこも一緒。川じゃなくてお湯で体を流せれば何でもいい。街でも特に安いモーテルを選んだ。

4日ぶりのシャワーはまるで脱皮だった。

「きもちぃ~~~!!!」叫ばずにはいられない。

バスタブに沈殿する真っ茶色の泥水を見ながら、自分の体がいかに汚れていたかを思い知った。スポンジで擦っても擦っても新たな泥が皮膚から湧き出してくる。石鹸も歯が立たない。体を3周したくらいでようやく足元のお湯が透き通ってきた。次はシャンプーだ。山ではガスの残量を気にしながら沸かした湯を少しずつ頭にかけてもらっていたことを苦々しく思い出しながら、久しぶりのリンスを終えた。体が新品になったみたいだ。

軽やかにシャワーから出ると、ベッドで夫が呻いていた。見ると、ほとんどの指先がこんもりと腫れている。シエラネバダ山脈のあまりの乾燥で指のササクレが悪化し、そこから菌が入ったらしい。

ホテルに着いて安心したのか、急に痛み出したようで、パンツの上げ下げもままならない。仕方なく私が手伝うことになってしまった。仰向けで四肢をばたつかせて悶絶する夫にパンツを穿かせる。格好だけは赤ちゃんのオムツの交換みたいだが、すね毛が濃くてげんなりもいいところだ。少し腹も出ている。抗生物質を塗りたくり、腫れが引くのを待つことにした。

補給

翌朝、夫が不自由そうな手でいそいそとパッキングをする音で目が覚めた。今日私たちは山に戻るのだ。名残惜しいが、こういう場所はたまに来るから楽しいことも、数十年の人生で知ってしまっている。モーテルを出た私たちは、ここまでの工程で消費した食料や燃料を補給するため、ショッピングセンターへ向かった。

バスに揺られていると、一人のおじさんが夫の荷物をまじまじと見ている。すると突然「You are a genius!」と声を上げたではないか。

アメリカではハイキングが文化として根付いている。街中でも大きなバックパックを背負っているだけで「どこへ行くの?」と話しかけられる。そこへきて、夫が背負っているのは、バック“パック”ではなく、背負子にクマ缶を二つくくりつけた「No Pack Style(夫自ら命名)」。多くのハイカーがクマ缶をバックパックにねじ込むことによって生まれるデッドスペースと無駄な重量増に頭を悩ませる中、バックパックの袋部分を排して骨組みだけを残した背負子にクマ缶をむき出しで縛り付けるというこの発想は、地元のおじさんの目に天才と映ったらしい。

天才!と言われて鼻高々な夫。天才とはまた大げさなと内心鼻で笑っていたが、実はこの背負子スタイルにある秘密があることを知るよしもないまま、私はショッピングセンターでバケツのような容器に入ったアメンリカンチェリーなどを買いあさっていた。

陽のあるうちに再びバスに乗り、ジョンミュアートレイル沿いのキャンプサイト、レッズメドウに到着。ここには小さな商店、食堂、ランドリーがある、JMTの数少ない補給地だ。当初の予定では、マンモスレイクまで行かずにここで食料や燃料を手に入れようと思っていたが、マンモスレイクまで行って正解だった。だってあんな至高の御馳走に出会えたんだもの。コインランドリーで洗濯したふかふかのフリースを身にまとい、この日は1日ぶりのテントで眠った。身も心も満たされた。明日はきっと今まで以上に歩けるはずだ。

だがトレイルに戻ったその日に、私たちは山の怖さを思い知らされることになる。山の恐怖はクマだけじゃなかった。雷だ。急に灰色の厚い雲が空を覆ったと思った途端、雨が降ってきた。急いでレインウエアを着ている間にもどんどん雨足が強くなってくる。すると、ビカッ! あたりが不気味に照らされた。その直後に、耳をつんざくような稲妻の音。やばい、雷だ! 標高が高く、周囲に高木が無数に生えている場所での雷は危険すぎる! 地図を確認したらこの先は下りだ。標高が下がれば落雷の危険性は下がるだろう。10kmのバックパックを背負っていることも忘れて、ただトレイルを小走りに急いだ。その間にも、光と音が繰り返し襲ってくる。しかも光と音の感覚がさっきより短くなってないか!? 雷はすぐそこにいる!?

そういえばここに来るまでの数日間、雷が直撃して絶命した樹を何本も見た。太い幹が無残に焦げ朽ちて、裂かれた漆黒の断面があわらになっていた。周囲の瑞々しい針葉樹と、生命の営みが止まり物体となってしまった樹の対比がとても印象に残っていた。乾燥しているシエラネバダで落雷は当たり前にあることなのだ。だからといって、私たちはどこに逃げたらいいのかも分からず、ただ祈りながら先を急ぐしかなかった。

無我夢中で20分ほど下り続けただろうか。まだ雨は降っていたものの、光と音の感覚も次第に長くなり、小さくなっていった。とりあえずの落雷の危険は回避できたようだ。それだけで命拾いした気がした。ただ、雨が止んでいない以上、まだ油断は出来ない。地図を見ると近くにテント場があるので、今日予定していたテント場より一つ手前でテントを張ることにした。

そこはキャンプ場になっていた。まだ時刻は14時頃だったが、2張の先客。いつもなら少しがっかりするが、今日ばかりは自分たちと同じく雷から逃げてきたハイカーなのだと思うと運命共同体のような気がして安堵した。

私たちも素早くテントを張らねば。と思うのだが、体が言うことを聞かない。どうやら雨に打たれ続けて体が冷え切ってしまったようだ。意思に反して震えが止まらない。指先が上手く動かない。頭も痛くなってきた。8月で防寒具を着ていても、雨に打たれるとこうなる。これが山の恐ろしさだ。濡れながらテキパキとテントを立てている夫に傘を中途半端にさしかけて、膝をガクガクさせながら突ったっていることしかできなかった。

テントの完成と同時に中に滑り込む。バックパックを乱暴に開けてありったけの防寒具を着込むがまだ震えが止まらない。夫がテントに入ってきたので、夫にしがみつく。人は何故こんなに温かいのだろう。どんな高品質なダウンより、やはり人が一番温かいのだ。体の小刻みな振動が小さくなっていく。

安心したのも束の間。

「くっさっ!」
夫が私の頭の匂いを嗅いで言い放った。

毛量が多い私は濡れると髪がすぐ蒸れてしまう。夫にしがみつく私の頭部がちょうど夫の嗅覚を刺激したらしい。私はイラっとして、嫌がらせついでに頭部をさらにこすりつける。臭いと言われようが、やはりこの人間湯たんぽは手放せないのだ。そうこうするうちに眠ってしまった。

60年保証

目が覚めた頃には雨はすっかり止んで、柔らかな陽射しがテント差しこんでいた。2時間ほど寝てしまったようだ。

外に出ると、植物が生き生きとその青さを取り戻していた。滴をしたたらせている葉が光を浴びて輝いている。さっきあったはずの他のテントはもう無くなっていた。雨が止んで出発したようだ。今日の私たちは10kmしか歩いていないけど、靴下もずぶ濡れだし、もう歩く気にはなれなかった。火を起こしてゆっくりコーヒーでも飲もう。

ここは直火が許されているキャンプ場らしく、キャンプファイヤーをしていた気配が至るところに残っていた。先人が椅子がわりにしていたであろう巨木に私も腰掛けて、木の枝にずぶ濡れの夫の靴下を引っ掛けて火にかざして乾かす。

炎を見ていると、心が落ち着く。パチパチという音だけが森の中に響く。赤いひだが踊るように波打っている。生き物みたいで綺麗だな。見とれていたら、なんと夫の靴下を少し焦がしてしまった。

一応報告すると、無言でテントに入ってしまった夫。あれ? やっぱり怒ったかな。ほらでも穴が空いたわけじゃないし。少し焦げただけだし。履けるし。などとブツブツ心の中で言い訳をしていたら、突然、

「お誕生日おめでとう」背後から声が聞こえた。

驚いて振り向くと、夫がロイヤルブルーの箱を持って立っていた。

そうだ、山での日々に必死で忘れていたけど、今日は私の誕生日だったんだ。手渡された箱を開けると中には手紙とシルバーのネックレス。そのネックレスには油性ペンで「ハイパーマッサージチケット」と書かれていた。そして手紙には「疲れた時にはこのネックレスを僕に渡してください。60年保証」と書かれていた。

「60年保証」という言葉を見た途端、ぶわっと涙が溢れ出てしまった。私は夫より10歳(この日をもって11歳)年上なのだ。今はいいかもしれないけど、私が50歳の時、彼は40歳、私が60歳の時、彼は50歳。その時彼はどう思うのかなぁと、ぼんやり考えることも無くはなかった。でも60年後なら私は100歳。命尽きるまで家族でいようと言ってくれてるんだと私は勝手に理解した。ありがとさん。


「バレないように持ってくるの大変だったよ」

夫が得意気に明かす。確かに、荷物の重量を少しでも減らすために、歯ブラシだって子供用にした。そんなせめぎ合いの中で、このプレゼントをこっそり背負子に忍ばせて運んできてくれた行程を思うと、有難くて涙が止まらない。

「はい記念写真撮るよ、40歳さん」
人を年齢で呼ぶんじゃないよと毒づきつつ、忘れられない誕生日となった。

だが、人間は愚かなのだ。こんなに素敵な誕生日を迎えた翌日には、ネックレスを首にぶら下げながら夫婦喧嘩をすることになる。ジリスも食わない夫婦喧嘩の模様はまた次回。最終回でお会いしましょう。

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