投稿日 2026.03.17 更新日 2026.03.17

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キャップなしトレッキングポールの負荷|北アルプス・三俣山荘の植生保全と道直し

北アルプス・黒部源流。三俣山荘の赤い屋根と、その背景にそびえる鷲羽岳は、日本アルプスを象徴する景色の一つだ。しかし、近年のトレッキングポールの普及によって、周辺の登山道脇の植生が次々に失われる状況になっているという。

この状況を危惧する三俣山荘は2025年、一般の登山者にも現状を知ってもらおうと、登山者にポールのキャップの使用を呼びかける活動を本格化。「植生保全協力クーポン」というユニークな取り組みを実施した。

その背景にあるのは、「風景が後退していく現状に対して、登山者の方々にできることがあるということを知ってほしい」という、植生保全と道直しに日々かかわるスタッフたちの切実な思い。

キャップのないポールの先端が、登山道にどのように負荷をかけているのか。山荘代表の伊藤敦子さん(46)と石川吉典さん(45)が実態を話してくれた。

目次

知らないうちに景色を壊しているトレッキングポール

登山道整備を行う石川さん

三俣山荘のスタッフとして、植生保全と道直しにかかわっている石川吉典さん。何百人という登山者を受け入れた連休やお盆明けなどには、小屋周辺の登山道を巡回する。

「ああ、またここも……」

登山道脇の高山植物が部分的に剥げ、土が出た場所が増えていることに気づく。山に自然を楽しみにきた人によって、この風景が毀損されていく現実。悪気がないのはわかっているが、それは複雑な心境だ。

植物がはげてしまった登山道脇

「植生部分にある特徴的な穴の痕は、登山者が使うトレッキングポールのキャップのない先端だとはっきりと分かるのです」

特に、登山者が足を高く上げる必要のある段差では、体重をあずけるようにポールを使う人が多くなる。ラバーなどのキャップがなく、先端の金属チップがむき出しになっている場合、脇の植生に深く、はっきりと突き刺さった痕が残るという。

トレッキングポールの使用で登山道脇がえぐれ、枯れてしまった高山植物

三俣山荘によると、10年ほど前から両手にそれぞれポールを持つダブルストックが主流になり、現在では「体感で6〜7割ぐらいが利用している」というほど普及し、登山道と周辺の植生の状況を悪化させる一因になっている。

両手に持つことで、一本のときと比べてもポールが左右ハの字になりがちになり、体の幅より広げて先端を突いてしまうシーンも増える。三俣山荘周辺では、登山道の脇の緑のある場所が突かれ、登山道が少しずつ広がり、外側の植生が傷み、枯れて失われている状況が目立つようになっている。

ダブルストックの普及によって、登山道の脇の植生が荒らされる影響がある。写真はイメージ。

登山道の整備にかかわっていない人には、なかなか意識や理解はされにくいが、登山道の状況をほぼ毎日のように観察する石川さんや伊藤さんには、その影響ははっきりとわかる。

「ゴムキャップなしの尖った先端が草地に刺さると、地面に穴があき、えぐられます。今度は、その穴に雨水が流れ込み、えぐられた部分の土を流してしまう。乾燥が進めば草の根が枯れ、根が失われた土もまた流れ落ちる。この悪循環が、登山道両脇の草地を、静かに、確実に荒廃させているのです」(石川さん)

「全てがトレッキングポール起因ではない」

三俣山荘の背後にそびえる鷲羽岳。日本アルプスを代表する、岳人憧れの景色のひとつだ

ここで気をつけたいのは、目の前の登山道や植生の荒廃が全てトレッキングポールが原因であるとは言っていない点だ。

荒廃を進める大きな要因は、その後の直射日光や雨であるが、あくまでそれぞれの場所で荒廃の最初のきっかけを生んでしまっている一因としてトレッキングポールの影響も見過ごせないということなのだ。

トレッキングポールが、疲労や膝の負担を軽減し、安全に登山できる道具であることはわかっている。伊藤さんも、「三俣山荘でも、ポールの使用を全面的に反対しているわけではない」と強調する。

しかし、山の現場で整備にかかわる立場として、「ゴムキャップを装着していれば、登山道の荒廃を軽減できる」という確信があり、具体的な行動に移していく。

「植生保全協力クーポン」で3分の2が整備に寄付

三俣山荘ではこれまで、登山道の整備の現状について、小冊子の発行や小屋内でのジャーナルの掲示、Instagramで情報発信を継続的にしてきた。しかし、登山ボランティアなど、登山道整備に関心の強い層にはリーチできていたが、一般の登山者全体に届くには限界があると感じていた。

そこで、三俣山荘に立ち寄る数千人単位の登山者にメッセージを届けたいと、2025年に行ったのが「植生保全協力クーポン」。

小屋・テントでの宿泊の受付の際に、「トレッキングポールを使っていない」「ゴムキャップをつけて使っている」という人を対象に、500円分の金券を手渡し、「食事やお土産の割引に使う」か「登山道整備への寄付にする」かを選んでもらう仕組みだ。

伊藤さんの狙いは、費用の工面だけではなく、別なところにあった。

「最初はもう、会話のきっかけをつくれれば、と思っていたんです。宿泊者のみなさんに、ここで起きていることを少しでも知ってもらいたくて」

クーポンの説明を小屋の受付時にすると、利用者からは「知らなかったです」「気をつけます」という反応が多く、伊藤さん、石川さんも手応えを感じることができた。

約5,000人が寄付を選択

実際、約8,000枚発行したクーポンのうち、約5,000人が寄付を選択。集まった寄付の総額は約250万円相当にのぼった。

三俣山荘がこれまで年間の登山道整備に充ててきた費用とほぼ同額。集まった資金は2026年度以降も、資材購入や人件費・ヘリコプターによる資材運搬費などに継続的に使われる予定という。

山荘に来た登山者からの共感が得られた一方で、岩稜など、山域や地形・地質、道の状況によっては、ポールの影響が気になりにくい場所もあり、山岳ごとに一概には言えないからか、ほか地域の山小屋からの反応はまちまちだ。

「多くの山小屋が整備を『やむなくすること』と捉えているのが現状」(伊藤さん)。また、行政や関係機関との連携についても、活動に理解は示されるが、整備の体制を後押しする具体的な流れにはまだつながっていない。

また、毎日のように登山道に向き合う現場で、キャップなしのポールが原因であることは明白だが、SNS上では「ポールが登山道を荒らす証拠がない」など、否定的な意見も散見される。こういった主張について、石川さんは「ぜひ現場を見てほしい」と願う。

一度失われた表土は、人間の寿命のうちには取り戻せない

土が流れ出すことをとめる土留めが登山道整備で重要になっている。キャップなしのポールが、そのきっかけの一つとなっているという

石川さんが三俣山荘周辺の整備を担い始めて約5年。三俣山荘から三俣峠、そして峠から伸びる「巻き道」を中心に整備を重ねている。

そこでの大事な作業の一つが、「土留め」。森林限界より上にある登山道周辺では、大きな樹木も少なく落葉も乏しいため、新たな表土はほとんど生まれ得ない。

大雨などの影響で自然に流れるものもあるが、その土を流すきっかけとなる、トレッキングポールの植生地での誤った使用は、登山者の努力で、食い止められる。

石川さんによると、わずか10cm程度の表土が形成されるのには、数千、数万年かかる。北アルプスの場合、ひとたび流出すると、残るのは植物が根を張りにくい無機的な砂礫だけ。雨が降れば高いところから低いところへと流れ落ち、基本的に土は減る一方となる。

そこで、流れた土を数百メートル先から背負い上げて運ぶ作業もしているが、「それでも残っているのは土というよりほぼ砂礫です。高山帯で有機的な土を元に戻すのは、人間の寿命で考えたら、ほとんど不可能です」(石川さん)。

登山道整備は「歩きやすくする」だけではない

登山道整備と聞くと、「登山者が安全に歩けるように道を直すこと」を想像するかもしれない。だが、石川さんが口にした動機は、それだけではない。

「この風景が荒廃していくのを見ていられないんです。山には、その美しさに価値を感じて登りに来る人が多いけれど、その風景が山を好きな人たちによって毀損されているのです」

「山への恩返し」の先へ

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登山道整備に充てるために、登山者が負担する入域料の議論もあるが、北アルプスは登山口も多く、足並みをそろえるのは難しい。

理想として、伊藤さんたちが思い描くのは、整備を行う技術者を育成し、専門的な整備チームが継続的に山域を担う仕組み作りだ。

多くの人が訪れ、経済合理性のある北アルプス南部、上高地周辺の地域にはすでにプロの整備チームが活動して機能しているが、奥深い三俣エリアにその人員はいない。

それでも変化の兆しはある。近年は、アウトドアショップやブランドとの交流をきっかけに、外部の人々が整備に参加する動きが年々広がり、2022年には12人だったが、2025年には111人が参加。三俣山荘のこれまでの地道な積み上げが、少しずつ結実している。

ただ、それはまだまだ過程のはじまりにすぎない。石川さんは最後に、登山者に向けて、次のようなメッセージを寄せてくれた。

「『山に恩返しがしたい』という言葉が、美辞麗句になってしまわないか。

ボランティアに関心を持つ人が増えたことは嬉しいけれど、山荘によって用意された『道直しプログラム』というパッケージに参加して終わりにならないようにする必要があります。

一人ひとりが山とのつながりを実感し、本質的な関係性を考えはじめるなかで、それぞれが山や道直しに関わる強いきっかけを生み出すような機会や作業へと進化させていくことが、これからの課題です」

北アルプスを訪れ、自然を愛する登山者の皆さんへ

次に山へ行くとき、そのポールにキャップはちゃんとついているだろうか。

体力や筋力がある人は、本当にそのポールを使う必要があるのだろうか。

「悪気がなくても、自分たちが今みている景色を次世代に残せないかもしれない」。北アルプス最奥地の山小屋から、登山者に向けて問いが投げかけられている。

三俣山荘の登山道整備や最新情報を知る:
公式サイト
Instagram

登山道整備を詳しく知りたい方へ

『風景と道直し』(三俣山荘)

「道直し」を単なる作業にしてしまえば、それは限られた人たちの問題になってしまう。登山道の荒廃は、山を歩くすべての人たちが関係している。 風景の未来を考えるため、三俣山荘が、登山者と整備の現状を共有し、一緒に取り組んでいくために制作した一冊。

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写真提供:三俣山荘

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