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高野山へと続く1200年の巡礼路|空海の足跡をたどる歩き旅
日常のバランスを取り戻すため、親友と向かったのは聖地・高野山。幼馴染の登山ユニット「山歩きJP」の2人が、歴史に造詣の深い低山トラベラー・大内征氏とともに、歩いて高野山を巡ります。
1200年前から続く祈りの道で、彼女たちは何を感じたのか。歴史の足跡を辿りながら、現代を生きる自分自身と向き合う、2泊3日、総距離50kmの特別な歩き旅の記録です。
目次

ユウ(右)とジュン(左)の幼馴染ふたりによる登山ユニット。関東を中心に全国の山々を歩く様子をYouTubeなどで発信している。今回の記事では、ユウが執筆を、ジュンがイラストを担当。それぞれの感性を通して、山の魅力を伝えている。
旅のはじまり
日常
平日はほとんど一日中、仕事用のPCの前にいる。その反動のように、週末は山を歩く。
これが、ここ数年の私の生活のバランス…のはずだった。
けれど最近、忙しくしているうちに、気づいたらこの均衡が崩れ始めていた。
私の重心は今、どこにあるんだろう。
日々のタスクに追われ、命を無駄遣いしている感覚がある。
ベッドに潜って眠気が来るのを待ちながら、夏に投稿した登山の写真をインスタグラムで眺める。数ヶ月前の自分が、遠い青春の記憶のようだ。
そんなとき、高校時代からの親友・ジュンからメッセージが届いた。
「高野山へ行こう。」

ジュンは、私を登山の世界に誘ってくれた人だ。出会った頃から持久走が早くて、今も体力おばけ
旅のしおり
和歌山県にある高野山は、弘法大師・空海が真言密教の教えを広めるために選んだ修行の地。1200年前から続く山上の聖地であり、今では「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産にも登録されている。観光地としての知名度は高いけれど、参詣道である「町石道(ちょういしみち)」や「女人道(にょにんみち)」などを歩いて訪ねる人は、まだそこまで多くないらしい。

高野山は観光の町のイメージがあるが、町石道や女人道を歩いてみるとその印象は大きく変わる
特定のピークだけを目指さず、道を歩くことそのものを楽しむロングトレイルには、前から興味があった。これまでの私は、つい山頂を一番の「山場」にしてしまいがちだったけれど、どうやらそうではない楽しみ方があるらしい。
ジュンが立ててくれた計画では、高野山の旅は前泊をしてから2泊3日。初日の「町石道」と2・3日目の「女人道」を合わせて、3日間で約50キロを歩くルートだという。数字だけ聞くと「そんなに歩けるかな」と身構えてしまうけれど、一日ごとの距離配分はちょうどよくて、ペースさえ守れば無理なく歩き切れそうな行程だった。
さらにこの旅には、頼もしい案内役がいた。
高野参詣道に造詣の深い「低山トラベラー」こと大内征さん――私たちは親しみを込めて「セイさん」と呼んでいる――が、歴史と地形の解説をしながら一緒に歩いてくれるという。歩く旅と歴史旅、その両方がぎゅっと詰まった3日間になりそうだ。
この旅に、何か具体的な答えを求めていたわけではない。
ただ命を無駄遣いしているような今の感覚、このモヤモヤごと背負って行ってみようと思った。
DAY1町石道(慈尊院〜大門・約20km)
町石道を歩く

朝7時、慈尊院から旅が始まる。副住職さんにお話を聞いて、旅のモチベーションが高まる
今回の旅の出発点・慈尊院。最寄りの九度山駅から徒歩20分程度のお寺。
ここから高野山まで続く「町石道」は、高野山への表参道として知られる参詣道で、道自体も世界遺産に登録されている。
町石道はその名の通り、一町(約109メートル)ごとに「町石」と呼ばれる石柱が建てられている参詣道。鎌倉時代に建立された町石は、「高野山まで、あと何町」と距離を示す道標であると同時に、巡礼者たちの祈りの区切りでもあったそうだ。
今も多くの町石が当時の姿のまま残っていて、かつてここを歩いた方々と同じ時間を歩けるようで、少しどきどきする。

慈尊院の本堂でお参りをし、副住職さんに挨拶すると、「遠いところからご苦労様です」と言いながら、この道の由来を教えてくれた。
女人禁制だった高野山で修行する息子・空海を思い、なるべく近くでと母が滞在していた場所が、この慈尊院。
空海は、母に会うためにこの町石道を3日に一度歩いたという。3日に一度、つまり月に九度。それが由来となって、この地を『九度山』という。その道のり、片道約20キロ。
「20キロを3日に一度か……」
たった一回歩くだけでドキドキしている私は、空海のバイタリティに驚く。
山に入ると、話で聞いていた通り、等間隔に町石が現れはじめる。

109メートルごとに置かれた町石が、文字通りこの道のマイルストーンに

町石に彫られた梵字は、現代人にはかなり可愛い。この梵字は顔みたい
町石道は全体として急なアップダウンが少なく、標高差もゆるやかだ。息が上がるような急登はほとんどなくて、「山歩き初心者でも、このペースなら1日かけてたどり着けそうだな」と感じる歩きやすさだった。
3人で町石道を歩きながら、ときどきセイさんにこの地の歴史を教えてもらい、その瞬間は「ほー」と昔に思いを馳せる。
一方で、今の私にとって気になるのは、目の前の山の景色だ。
木々のすき間からこぼれる白い朝の光。踏みしめた落ち葉から立ち上る、少し湿った土の匂い。一歩ごとに「しゃくしゃく」と静かな山に響く足音。

光が指す登山道はいつでも気持ちがいい。午前中の優しい太陽にはどこか懐かしさを感じる
やがて、樹林帯を抜けてぱっと視界が開ける。一気に展望が広がり、さっきまで歩いてきた街を遠くに見下ろすことができた。歩みを進めるごとに、見える世界が少しずつ広がっていく。この瞬間が、たまらなく気持ちいい。

登った距離が目に見えた瞬間が登山の喜び。山がどこまでも繋がっているように見える
109メートルは、想像していたよりずっと近い。歩きながら、日常の雑念が少しずつそぎ落とされていく。思考は内側に潜っていきそうになるが、一定のリズムで現れる町石が「これは祈りの道なんだよ」とリマインドをしてくれる。
「過去の後悔」や「未来への不安」が頭を占拠しがちな現代社会において、「今」を意識できる機会は案外と少ない。五感を研ぎ澄まし、一歩一歩に集中する登山は、私に「今」を感じさせてくれる貴重な時間だ。自分の中に溜まっていたキャッシュのようなものが少しずつ削除されていき、頭の空き容量が増えていく。一歩歩くごとに、体が透明になっていく──これが、令和を生きる私が山を歩く理由なんだと思う。
町石道を歩くリズムは、やがて自分の心拍と重なっていく。修行の道と聞いて身構えていたけれど、実際の道は想像よりも穏やかで、光がやさしい登山道だった。
寄り道
林道から急に舗装路に出る。登山道のすぐそばで普通の暮らしが存在していて、この道が「山」だけで完結する場所ではないことを教えてくれる。

13時半、矢立茶屋に立ち寄る。トラックで名物のやきもちを買いに来ている地元の人がいた

ご当地のものを食べないと、旅が始まらない。緑はよもぎ味だ
休憩で立ち寄った茶店で食べた「やきもち」が、最高だった。薄く伸ばされたあんこを香ばしい餅が包んでいる。
あまりの美味しさにもう一つ買おうとしたら、すでに売り切れ。
日が傾きはじめると、さっきまで心地よかった静けさに、少し物悲しさが混じる。早く今日のゴールに着きたい。でも、夕日に照らされた木々や町石が、スポットライトを浴びたみたいに光る瞬間があって、そのたびに足が止まる。
大門

夕日に照らされた大門は静かな迫力をもち、今日のゴールとしてふさわしかった

この時間だけの特別な発色。つい写真に収めたくなる不思議な魅力
最後の急登を登り切った先に、それは突然現れた。
高野山の入り口に立つ「大門」だ。西に向かって立つ巨大な門は、ちょうど夕日を全身で浴びていて、朱色の柱がさらに濃いオレンジに輝いている。いままで見たどんな歴史的建造物よりも、圧倒的に荘厳で、凄まじい存在感。
ここまで1日歩いてきて辿り着いた最後の楽園のようにも見えるし、ラスボスのいるステージに踏み込んでしまったような気もする。自分の力ではどうにもならないような、何か大きなものに立ち向かう感覚。
昔の女性たちは、この門から先に入ることを禁じられていた。その事実を思い出した瞬間、「ここまで一日かけて歩いてきて、『あなたたちはここまでね』って言われたら、そりゃないぜ」と心の中で毒づいた。
大門に一歩踏み入った時、昔この地を訪れたかった過去の女性たちに「ごめんね」と思う。
でも、私たちもちゃんと自分の足で歩いてきたから、許してね。私は私で、あなたたちがかつて想像もしなかった現代の悩みを抱えて、必死に生きているよ。この20キロの道のりそのものが、今の私には必要な「儀式」だったのだと思った。
宿坊で羽休め

布団もふかふかで、お風呂もちゃんとある。歩きがメインの旅と聞くと「ストイックな山小屋泊」を想像して身構えていたけれど、宿坊は普段の旅行と同じくらい快適で、歩き旅初心者でも安心して泊まれる
夕日が沈みきるのを見届けたい気持ちをこらえ、私たちは今日の宿坊「本覺院(ほんがくいん)」へ向かった。高野山滞在中は、山上の町に点在する宿坊に泊まる。
宿坊に泊まるのは初めてで、夜はどれくらい冷えるのか、ご飯はおなかいっぱい食べられるのか、不安とわくわくが半々だった。門をくぐると、にこやかに迎えてくれるお坊さんたち。
町石道を歩いてきたことを伝えると、
「あそこは私たちも修行で歩かされましたが……」
と、珍しいものを見るような顔をされて、ちょっと誇らしかった。
丁寧に磨かれた廊下を通って案内された部屋は、すでに暖房が入っている。初めて来た場所のはずなのに、おばあちゃんの家のような雰囲気。たくさん歩いて疲れた足の裏に、畳の感覚が懐かしい。


18時の夕食は初めての精進料理。野菜中心で物足りなくならないか心配だったが、いろんな味付けで大満足した
やがて夕食の時間。生まれて初めての精進料理は、想像していた「ダイエットごはん」的なものとはまるで違っていた。野菜や豆腐、こんにゃくを中心にした料理は、一品一品が丁寧で、味付けもやさしい。
たくさん歩いたあとだからこそ、体に染み込む塩気が気持ちいい。
ご飯はしっかりおかわりもできて、おなかも心も満たされた。途中で挨拶に来てくれた副住職さんの、控えめでやわらかい人柄も印象的だった。
DAY2女人道西エリア・高野山内(約15km)
勤行からはじまる朝
翌朝6時半。まだ外は薄暗く、体も完全には起きない。本覺院の本堂に座って、朝の勤行が始まるのを待っていた。
空海は、抽象的で難しい密教の教えを、五感で感じられるかたちに落とし込んだと言われている。その一部を体験できるのが、この勤行なのだそうだ。
読経が始まると、お坊さんたちの声がほとんど振動のような低い波になって本堂を満たしていく。後頭部と横顔のシルエットだけが見えるお坊さんたち。その向こうで揺れるろうそくの火。線香の香り。
宇宙の真理だとか悟りだとか、大きなスケールのことを考えようとしても、私にはちょっと遠すぎる。だから、私は自分の中の小さな宇宙――つまり、自分の生活のことを考えていた。

お坊さんたちの奏でる厳かな雰囲気で1日が始まる
日々の生活は、祈りの連続だ。
健康に生きられるように、という祈り。
また朝が来るように、という祈り。
明日も友と笑って過ごせるように、という祈り。
また山に来られるように、という祈り。
ここでは、それを毎朝きちんと形にしている人たちがいる。
イベントとしての「非日常」ではなく、「日常」の一部として。
それって、とてつもなく丁寧な一日の始め方なんじゃないか。
雨の女人道
出発しようと外をみると、雨が降っていた。
「今日はどちらまで?」と副住職さんが気にかけてくれる。
「女人道を歩きます」と答えると、また不思議そうな顔をされていた。

足元の落ち葉は濡れて滑りやすくなるけれど、女人道の道幅は全体的に広く、危険な箇所も少ない。悪天候でも「怖い」というよりはしっとりとした静けさを感じる

雨なので荷物は宿坊にデポして極力身軽に歩けるよう気をつける
女人禁制だった高野山で女性たちが入ることを許されたギリギリの地点。山上の聖域に入れない代わりに、その周りをぐるりと囲むように道が作られた。
今日私たちが歩く女人道は、そんな歴史をまとった道だ。

聖域を間近に感じながら、女人道を辿る。しっとりとした雰囲気に、自分の心もしずまっていく
雨の日の山歩きは、実は嫌いじゃない。
視界も音も雨音で遮断されて、景色を楽しんだり、同行者とわいわい話したりすることが難しくなる。
そのかわり、自分の内側の声がどんどん大きくなっていく。
仕事のこと。
人間関係のこと。
人生のこと。
私はいま、何を目指してこんなに必死で生きているんだろうか。
かつてこの道を歩いた女性たちも、こんなふうに自分と対話しながら歩いていたのだろうか。
今よりずっと貧弱な装備で、足元もおぼつかない状態で。
高野山の街歩き

高野山は街全体で一つの宗教世界を作り上げている。街をぐるりと取り囲むように女人道が走る
歴史を「聞くだけ」じゃなくて、自分の脚で「体感できる」こと。
これこそ、旅におけるハイカーの特権だ。
歩くことそのものに意味を見出せる私たちは、きっとこの土地に来る資格がある――なんて、少しだけおこがましいことを考える。

高野山の街歩きは魅力的なものがたくさん。明日の行動食用にまたやきもちを買ったが、その場で食べてしまった

胡麻豆腐が名物の「角濱ごまとうふ総本舗 小田原店」で昼食。やさしい胡麻豆腐のおかずが染み渡り、山歩きと観光が近い距離で楽しめることがうれしい
街歩きを楽しみながら、いよいよ今回の旅のハイライト、「奥之院」へ向かった。
奥之院には、数えきれないほどの墓石が並ぶ。その間を歩き、橋を渡りお堂に辿り着く。ここは、いまも弘法大師が修行を続けているとされる場所。
肉体があるかどうかという話ではなく、「そこにいる」と信じられてきた空海の終の棲家だ。

奥之院は背の高い杉林に囲まれ、無数の墓石が並ぶ高野山の最奥部。この先の「御廟」で、弘法大師・空海が今も修行を続けていると信じられている
背の高い杉の林を進んでいくと、歴史に名を残した武将の名前が刻まれた供養塔が続いている。
死してなお、自分の魂の置き場所を選べるほどの力を持っていた人たち。その間を、「いま」を生きる私たちハイカーが歩いている。死ぬ場所はわからないけれど、生きた私たちはどこへでもいくことができる。
弱まった雨が墓石を静かに濡らしていて、その光景は不思議と美しい。かつて女性が立ち入れなかった場所の、さらに奥の奥――高野山の「核」に、自分が足を踏み入れようとしている。
女人道を歩いたことで、ここに来られなかった女性たちの気持ちが私に乗り移った、なんて大それたことは言えない。それでも敬意を払って背筋を伸ばし、「すみません、おじゃまします」と心の中で頭を下げた。

奥之院の静けさを体に残したまま、金剛峯寺と根本大塔へ

令和を生きる「いまの女性」としてここに立っていることを、静かに噛みしめる
人の暮らしの匂いは一切しないのに、過去の気配だけが濃く残っている場所。頭の中を空っぽにして、何を願うでもなく目を閉じる。
こうして自分の足でここにきていること自体が、意味のあることなんだと思う。耳をかすめる読経の声は、高野山で過ごす私にとってもはや日常のようで、いつからか私の一部になったようだ。
女人道の西側を歩き、高野山内の散策をして、2日目は高野山の核に触れる1日だった。再び宿坊に戻ってあたたかい風呂に浸かり、翌日訪れる最終日を思って眠る。
DAY3女人道東エリア・高野三山(約13km)
三山縦走

山の名前がついていて、山頂を順番に踏んでいくとなると、急に自分のホームに戻ってきたような気がする。登山としての山頂ハントは、もはや私たちの得意分野だ
3日目は、昨日歩ききれなかった女人道の続き。「高野三山」と呼ばれる3つの山――摩尼山(まにさん)、楊柳山(ようりゅうさん)、転軸山(てんじくさん)を縦走するコースだ。
「今日でこの旅も終わりか」と思うと、歩きながら自然と反芻モードに入る。
昨日訪れた奥之院を体の半分で感じながら、ジュンとセイさんと並んでいたはずの歩幅が、少しずつずれていく。

気づくと2人の背中が少し遠くなっていた
週末に山へ出かけるとき、何か救いを求めたり、悩みのテーマのようなものを持ち込むのは、なんだかずるい気がする。別に山はそういうつもりでここに存在しているわけじゃないし、ましてや高野山の1200年の歴史からしたら、私たちの存在なんてあまりにも刹那でちっぽけだ。
でも、旅の終わりに何を思い、何を自分の中に持ち帰るのかは、歩いた人それぞれに委ねられている。
旅の終わり
今回の旅では、合計50キロを歩いた。
数字だけを見ると途方もなく感じるけれど、毎日しっかり休んで、朝から夕方までのんびり自分のペースで歩けば、思っていたよりずっと現実的な距離だった。

旅を終えて東京に帰ってからも、服にうっすら残った線香の香りと、たくさんの写真がこの高野山を歩いた証として残る
出発前に感じていた「命を無駄遣いしている気がする」という感覚は、きっと間違いなんだろうな。
町石道を一歩一歩歩いて辿り着く大門や、女人道のしっとりとした土の感触、雨に濡れた奥之院の空気、朝の勤行で耳に染み込む読経の振動。無心に歩き続けるうちに、どこか遠くに浮いていた意識がゆっくりと足の裏へ、地面との接地面へと降りていく。 これらのパーツを集めることで、今生きている自分のことを信じることができた。
自分の重心がどこか分からなくなりかけたとき、思い出せる場所がひとつ増える。
そしてまた街で日々を過ごし、いつの日か再びこの場所に訪れるだろう。その時は誰と来たいと思うだろうか。

町石道も、女人道も、奥之院の参道も、答えをもらうための道ではなく、自分の重心を確かめるための道だった
きっとまた、忙しない毎日に飲み込まれそうになる日も来る。
それでも、ときどき町石のリズムや女人道に降っていた雨の匂いを思い出すことができれば。そのたびに少しずつ、私は自分の輪郭を取り戻せる気がしている。
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高野山についてもっと詳しく知りたい方はこちら
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コース企画・ガイド:大内征
撮影:川野恭子
文章:山歩きJP(ユウ)
イラスト:山歩きJP(ジュン)
モデル:山歩きJP(ユウ、ジュン)
協力:和歌山県観光振興課
山歩きJP
ユウ(右)とジュン(左)の幼馴染ふたりによる登山ユニット。関東を中心に全国の山々を歩く様子をYouTubeなどで発信している。今回の記事では、ユウが執筆を、ジュンがイラストを担当。それぞれの感性を通して、山の魅力を伝えている。
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