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福島・会津トレイル|JR只見線の絶景と里山のんびり旅
福島県西部に広がる会津地方。磐梯朝日国立公園、越後三山只見国定公園をはじめとした自然公園が点在するこの大地は訪れる人々を魅了してやまない2,000m級の山々が天高くそびえたちます。自らの足で歩き、この豊かな大地の魅力を全身で感じとることができる会津トレイルを今回は1泊2日のツアーで歩きました。2022年10月に全線運転再開した絶景スポットの宝庫、JR只見線の魅力にも触れる旅のはじまりです。
目次
会津トレイルと3エリアの特徴
「会津トレイル」は、福島県西部の3つの国立公園及び国定公園の中にある7つの町と村に整備された15コースの総称です。総延長は約167km。それらの自然公園を中心として磐梯・猪苗代エリア、只見柳津エリア、尾瀬・檜枝岐エリアの3つに分かれ、それぞれの特徴を生かしたコースが設定されています。
磐梯・猪苗代エリア(磐梯朝日国立公園)[北塩原村、猪苗代町]
会津のシンボルである磐梯山を真ん中にして、顔の異なる北麓の北塩原村を中心とした「裏磐梯」と南麓の猪苗代町を中心とした「表磐梯」に分かれます。
「裏磐梯」は1888年の噴火に伴う山体崩壊で風景が一変し、桧原湖を中心とした大小の湖沼群が生まれました。特に五色沼一帯は絵に描いたような自然美が見どころ。
一方の「表磐梯」は東北一の大きさを誇る湖、猪苗代湖を中心に田園が広がり、古いまち並みが今なお息づく地域で、冬季はスキー場を中心に賑わいをみせます。また、この地域は磐梯山の東側に鎮座し、日本百名山の安達太良山の西麓でもあり、中ノ沢温泉などの温泉地があることも魅力です。
只見柳津エリア(越後三山只見国定公園)[柳津町、三島町、金山町、只見町]
日本海から越後山脈を越えてくる豪雪によって起きる雪崩などで削られた雪食地形、只見川が長い年月をかけて作った河谷、そして日本の原風景のような趣のある集落はこの地特有の景観を生み出しており、特に只見町は只見ユネスコエコパークとして登録されています。
さらに絶景路線として知られるJR只見線は只見川を縫うように走り、四季折々の風景を楽しませてくれますが、只見川を下っていくと、天然炭酸水が湧き出る大塩集落、アザキ大根の花が咲き誇る太郎布高原、約5,600年前の噴火によって誕生した二重式カルデラ湖の沼沢湖、川霧の絶景地である霧幻峡を有する金山町があります。
そして、古くから会津桐の産地として知られ、峡谷に架かる第一只見川橋梁をはじめとした絶景橋梁を目当てに多くのカメラマンが訪れる三島町がその東に位置し、会津を代表する民芸品である赤べこ発祥の地、虚空藏尊、あわまんじゅうの町として知られる柳津町がエリアの北東部に位置しています。このエリアは個性あふれる町が連なる観光地としても魅力あるエリアです。
尾瀬・檜枝岐エリア(尾瀬国立公園)[檜枝岐村]
ハイカー憧れの地、本州最大の湿原である尾瀬ヶ原、只見川源流の尾瀬沼、北日本最高峰かつ日本百名山にも選ばれた燧ヶ岳、同じく日本百名山の会津駒ヶ岳の名峰が並び、奥会津の四季折々の風景を楽しむことができます。また、尾瀬の玄関口である麓の檜枝岐村は豊富な温泉と赤錆色に統一されたまち並みの美しさもあり、夏場は多くの観光客が訪れます。
3つのエリアには互いに違った風景が顔をのぞかせ、癒しを求めて歩くにはとても気持ちの良いルートばかりです。
会津トレイル、旅のはじまり
今回歩くのは、1日目は柳津町ルートの虚空藏尊の周辺を歩くコースと2日目は金山町ルートにある大塩炭酸場とその周辺をめぐるコースです。
虚空藏尊は会津地方の民芸品である「赤べこ」発祥の寺として知られているそうです。また、大塩炭酸場は日本でも珍しい天然の炭酸水が湧き出しているとのこと。いったいどんな場所なのでしょうか。
13時過ぎ、会津若松駅から新潟県の小出駅行きの普通列車に乗車します。阿賀川を渡ると左右の車窓は水田が遠くまで広がり、いつの間にか車両は森の中へと吸い込まれました。会津盆地に別れを告げ、最初のトンネルを抜けると、先ほどの景色とは打って変わって、只見川の削った大きな谷筋に出ました。
柳津の歴史は虚空藏尊に通ず
会津若松駅を出発してちょうど1時間経った頃、本日の出発地、会津柳津駅に到着しました。今回は特別にガイドさんが先導してくれるとのことで、会津柳津駅からスタートし、虚空藏尊、観月橋、道の駅会津柳津のショートトリップを歩きます。
会津柳津駅で待ち合わせしていたガイドさんとともに虚空藏尊へ向かいます。途中、散歩中の地元の方に声を掛けられ話を聞くと、奇遇にも虚空藏尊でお札やお守りを参拝者に渡すお仕事をされていたそう。地元の方々と触れ合えるのも、このコースの魅力の一つです。
虚空藏尊は禅宗である臨済宗のお寺であり、正しい呼び名は霊巌山圓藏寺といいます。地元では親しみを込めて“こくぞう様”と呼びますが、虚空蔵(こくうぞう)とは無限の徳や知恵を司る仏様で、古くから日本で信仰されているそうです。大きな虚空藏堂の中へ入り、ご本尊の福満虚空藏菩薩像の前で日頃の感謝を伝えます。お堂の外では、只見川が一望できました。
虚空藏菩薩に別れを告げ、石段をゆっくり下りながら、山門をくぐって門前町へ。あかべこ通りの名が記された街灯の下を歩きながら、Coffee、おみやげ、ぱん工房、地酒、あわまんじゅう、だんご、食堂と書かれた看板が次々と目に飛び込んできます。ここは参拝者の空腹を満たしてくれる通りなんですね。
只見川を挟んで虚空藏尊の対岸にある、きよひめ公園で大きな赤べこと出会いました。赤べこの“べこ”とは牛のことを指し、会津地方に伝わる赤い牛の張子です。今から約400年前にこの地を襲った地震で、虚空蔵堂は大きな被害を受け、再建に使う木材を運んでいた黒牛が難儀していたところ、赤毛の牛たちが突如現れ、虚空藏堂を建てることができたそうです。
その後、この牛たちはいつの間にか姿を消し、感謝の気持ちを込めて「赤べこ」と呼ぶようになったそうです。それ以来、忍耐、力強さ、福を運ぶ「赤べこ」として多くの人々に親しまれており、これが「赤べこ発祥の地」と言われている由縁です。
赤べこを後にして、ウグイの群れが棲む魚淵に立ち寄りました。「柳津うぐい生息地」として国の天然記念物に登録されているそうです。昔から地元では祟りを恐れて、ウグイは獲らないそうですが、1611年に会津藩主の蒲生秀行が福満虚空藏菩薩像を彫った木くずがウグイの群れになったという伝説を疑い、毒を流したところ、ウグイは一匹も死なずに、その年に地震が起こって、翌年には秀行は急死したという史実が伝わっています。
ウグイと戯れた後は吊り橋の観月橋を渡ります。虚空藏尊は戊辰戦争の際に鶴ヶ城と間違われ、銃で撃たれたという話もありますが、確かにここから見ると、お城と見間違うほどの立派な建物に見えます。瑞光寺橋から只見川右岸を上流に向かって歩くと、本日のゴールである道の駅会津柳津に到着しました。自分へのご褒美に、柳津の名物であるあわまんじゅうをいただきました。
至福のひととき奥会津の温泉
道の駅を後にして隣接するお宿へ向かいます。柳津は虚空藏尊が有名ですが、知る人ぞ知る温泉地でもあります。源泉かけ流しもできる豊富な湯量に恵まれ、泉質は塩化物泉。そして、このお湯は何と虚空藏尊の境内から湧いています。
お待ちかねの今晩の宿は、悠々と流れる只見川のほとりに立つ、地元の旬の食材を用いた心づくしの料理が自慢の「瀞流の宿かわち」さん。
川に面した部屋からは美しい瑞光寺橋を眺めることができ、ゆっくりと寛げそう。食事の前に疲れを癒しに露天風呂へ向かうことにしました。ヒノキ造りの露天風呂で今日一日の疲れを全て落とします。ちょうど良い湯加減で身体の芯からポカポカと温まっていくのが実感できました。
夕食は新鮮な馬刺しや郷土料理のこづゆなど会津の食材を使った料理が次々と運ばれてきます。日帰りではなく、一泊したからこそ味わえる至福の時間、ごちそうさまでした。
2日目は只見線の絶景車窓
2日目は、JR只見線の会津柳津駅から旅の最終目的地、会津大塩駅に向かいます。電車に揺られ小さな三角屋根の滝谷駅を過ぎると、只見線で一番の高さを誇る滝谷川橋梁を渡ります。そして、絶景の呼び声高い第一只見川橋梁に差し掛かると、運転士さんが歩くような速度に落としてくれ、美しい山河をじっくりと目に焼き付ける時間をもらえました。
会津宮下駅を過ぎると、左右に只見川が顔をのぞかせ、霧幻峡(むげんきょう)と呼ばれる浪漫あふれる名が付けられた峡谷では、川舟を操る船頭さんが列車に気づき、手を振ってくれました。
そして、電車は最後の只見川に架かる橋梁を渡り、会津大塩駅に到着しました。都会では味わえない約1時間半ののんびりした車窓の旅はとても満足度の高いものでした。
ゆっくり、じっくり、歩く旅
“会津トレイル”で紹介されている正式なルートは会津横田駅からスタートしますが、そのルートをベースにしながら、今回は会津大塩駅をスタートとゴールとしたオリジナルコースで歩くことになりました。
まずは、先ほど列車で渡ってきた第七只見川橋梁が眺められる四季彩橋へ向かいます。田んぼの真ん中の道を東へ行くと、水色の弓なり型の橋が徐々に姿を現しました。橋の真ん中まで行き、下流部に目を移すと、真新しい景観に溶け込んだ茶色の橋が架かっていました。第七只見川橋梁です。2011年7月に起きた未曽有の豪雨によって流失し、2021年に新たに架け替えられたそうです。
一方の上流部は、左岸の木々が燃えるように染まり、遠くの山々は一言で“黄色”とは言い表せない多様な色彩に山肌が塗られていました。まさにここは、“四季彩”の名にふさわしい場所です。
只見川に一旦別れを告げ、歩みを進めます。右手に熊野大権現という石碑とともに、木造の鳥居が姿を現しました。ここは「熊野神社」という境内の入口のようです。山の奥へと続く階段。その横には大権現清水という冷たい湧き水が噴出し、私よりも先に地元の方が水を汲まれていました。
「熊野」というと、紀伊半島の和歌山県南部に位置する熊野地域を思い浮かべますが、そこに鎮座する熊野三山に祀られている神が熊野大権現または熊野権現と呼ばれています。この遠い福島に熊野信仰が伝わってきたのでしょうか。
石段を登るにつれ、苔むした石畳の道が姿を現し、その先には小さな本殿がたたずんでいました。軒下まで足を運び、二礼二拍手一礼で日頃の感謝の祈りを捧げます。耳をすましてみると、木々の揺らぐ音、鳥のさえずりを無意識に受け取り、なぜこの地に熊野神社が鎮まったのかを感じることができました。
里山歩きの醍醐味が詰まったひととき
熊野神社から集落を東へと進み、会津横田駅の手前まで来ました。すると、比較的新しい石碑を見つけました。
「横田鉱山跡」
ここはかつて鉱山があった集落だったそうです。石碑には1910年頃から探鉱が始まり、最盛期には銅、亜鉛、鉛などを生産していたたこと、オイルショックが引き金となり、1972年に休山となったことが記されていました。目の前に広がる風景からこの土地にそんな歴史が刻まれていたとは…。いったいどんな鉱山だったのでしょうか? 当時はさぞ活気にあふれた集落だったに違いありません。
さて、これからこのコースで最も標高が高い四十九院峠を登っていきます。本日、三度目の踏切を渡ろうとしたとき、遮断機の下に「鉱山第二踏切」と書かれたプレートが目に入りました。こんなところに鉱山の名残が刻まれていました。断片的だったピースが繋がっていくのも歩く旅ならでは。高さを稼ぎながら、会津横田駅とその周りに広がる家々と田畑を左手に見下ろし、峠に到着。ここからは未舗装の山道を東の尾根伝いに歩いていきます。
しばらく歩くと、落ち葉に覆われた下り坂が待っていました。そうこうしているうちに集落が見えてきます。青い屋根が連なる光景が真っ先に目に入り、整然とした区画に家が立ち並んでいました。鉱山住宅の名残でしょうか。
集落まで下る間際、供養塔の一種である大きな五輪塔が鎮座していました。なぜ、こんなところにと疑問でしたが、“和光院本城寺跡”と書かれた碑を見つけ、納得。
本城寺は、かつてこの地にあった紀州高野山の末寺。周辺を支配していた山ノ内氏によって建立され、数多くの仏像が祀られていたそうです。しかし1590年に豊臣秀吉によって山ノ内氏が越後(現在の新潟県)に追放されるとともに、本城寺は廃寺となったとのこと。
その後、集落でお堂の維持に尽力していましたが、1907年に古物商らに貴重な仏像を40円で売却し、跡地には小学校が建てられました。さらに1969年、大水害に見舞われた同じ町内の集落がこの地に集落移転してきたとのこと。先ほど見た五輪塔は寺の唯一の遺構だとわかりました。この小さな土地に刻まれた紆余曲折の歴史に触れると、景色も一層奥行きがあるものに感じられるから不思議です。
国道を少しだけ歩き、JR只見線と並走する脇道へ入ります。右手に水田を見ながら、会津横田駅方面に歩いていると、かすかな警笛が聞こえてきました。心躍るように駅へ。どうにか間に合ったようです。警笛が山々にこだまし、線路から伝わってくるガタンゴトンの音色が次第に大きくなってきました。霧幻峡で見たヒスイのような只見川の水面と当地に降り積もる雪景色のようなツートンカラーの2両編成の列車が猫の額ほどのプラットフォームに止まりました。下から列車を見上げると、車両がとても大きく感じます。
炭酸水を五感で感じとる
駅を後にして、舗装と未舗装の道を交互に歩きながら、大塩集落に入ってきました。集落北側にある山すそから炭酸水は湧いています。
「炭酸場」
道に面するように一本丸太に掲げられた「炭酸水」の文字と奥には大小二つの社が目に入ります。大きな社は井戸のようで、金網がかけられていましたが、中は暗くてよく見えません。隣の小さな社には石をくりぬいた手水鉢があり、そこに音を立てて、勢いよく水が注ぎこまれています。“大塩”という地名から連想し、もしかしたらしょっぱいのかもしれないとふと頭に思い浮かべながら、右手を出してみました。手のひらに小さな泡がくっつきます。
普段、私が飲んでいる炭酸水と比較すると、実に優しい味です。のどの奥でほのかに炭酸を感じるという感覚が近いでしょうか。塩分は感じません。とても飲みやすく感じます。幾度か炭酸水を口に含ませて、歩き始めてからここまでに使い切った水分を補います。
天然かつ炭酸で途切れることなく湧き出していることがとても驚きです。なんだか、おすそ分けを頂いたような気持ちで心の中で感謝を伝えました。
さて、少しずつ今日の旅が終わりに近づいていましたが、最後の立ち寄りスポットが炭酸場のすぐ西側にありました。表面が磨かれた二対の石柱には「宇奈多理神社」と彫られ、その背中にはいかにも長い年月ここに居たぞと言わんばかりの大きな古木がこちらを見つめています。
老杉(ろうさん)と呼ばれる杉の木で樹齢500年と推定され、ご神木として大切にされてきたようです。室町時代に根元の洞穴に諏訪大明神の石祠(せきし)が安置され、成長と共に内に包み込まれたという伝説があるようです。今の言葉を借りれば、“パワースポット”でしょうか。
数時間前に出発した会津大塩駅に戻ってきました。待合所の中にはノートが置かれ、全国から只見線の再開通を願った思い、記帳した方々がこの地で過ごした時間を共有することができます。それぞれの訪問者の思いが詰まった待合所の椅子に腰を下ろしていると、少し開けていた扉の向こうからかすかな警笛が聞こえてきました。まもなくこの地ともお別れです。
歴史と文化、そして風景と結ばれる旅
今回は1泊2日の虚空藏尊と大塩炭酸場を中心にめぐる旅でしたが、私はJR只見線の列車の間隔が長いことは時間に縛られないメリットだと感じました。会津トレイルでは自分が歩きたいテーマを持ち、“余白”を持ったプランで、偶然の出会いを楽しむ。そして、出会いから生まれた地域に落ちている歴史や文化のかけらを拾い集めて、それが断片的に今とつながることで、この地域の風景の中に自分自身が刹那的に結ばれていく。“余白”を意識することは、地域への愛が生まれるきっかけとなり、自身の生き方をより多様に、豊かにしてくれると信じています。
次も会津の大地で獲れた食材を手に取り、静寂に包まれた漆黒の闇に光る月とともに晩酌を楽しむ。そして、東雲の空から昇る朝日で目を覚まし、まだ見ぬ風景を求めて歩いていく。“余白”をさらに増やしてみたら、一体どんな出会いが会津で待っているのでしょうか?
文・写真:Ikeda Taishi
協力:福島県(令和4年度福島特定原子力施設地域振興交付金事業)
YAMAP MAGAZINE 編集部
登山アプリYAMAP運営のWebメディア「YAMAP MAGAZINE」編集部。365日、寝ても覚めても山のことばかり。日帰り登山にテント泊縦走、雪山、クライミング、トレラン…山や自然を楽しむアウトドア・アクティビティを日々堪能しつつ、その魅力をたくさんの人に知ってもらいたいと奮闘中。
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