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山で働く人|北アルプス夏山常駐パトロール隊隊長 加島博文の仕事
繁忙期の北アルプスで遭難防止活動に従事する「夏山常駐パトロール隊」を知っていますか? 登山者への安全指導や、登山道のパトロールを続けつつ、事故や遭難が起きたときには、長野県警察山岳救助隊と連携して救助活動に当たる民間の組織です。今回はその隊長を務める加島博文さんに、山で人を助けるという仕事の意義とやり甲斐をうかがいました。
目次
夏山の最前線で登山者を守る「夏山常駐パトロール隊」とは?
「長野県の観光課から委嘱された公的な組織で、50年以上の歴史があります。夏山パトロール常駐隊とも、常駐救助隊とも呼ばれますが、登山者にはわかりにくいですよね。そこで来年からは『救助隊』という役割がハッキリわかる名称に変えることを検討中です」
そう語るのは南部地区常駐隊の隊長、加島博文さんだ。正式名称は「長野県山岳遭難防止対策協会北アルプス夏山常駐隊」。現在49歳の加島さんは夏山常駐パトロール隊歴27年という大ベテランで、今夏から隊長に就任して現場で陣頭指揮を執り続けている。
加島さんが率いる「南部地区常駐隊」は、北アルプス涸沢に拠点を置き、燕岳から常念岳、蝶ヶ岳と、槍穂高連峰から焼岳までを受け持つ。同様に、後立山連峰をカバーする「北部地区常駐隊」もあり、針ノ木岳から白馬岳までの各山小屋に分かれて常駐している。
活動期間は7月の山開きから45日間の夏山時期と、秋は一部の隊員が交代で30日間となっている。北アルプスが登山者で賑わう最盛期に、その最前線に駐在して事故防止活動を続ける、だから「常駐隊」。全国にも例がない長野県だけの組織だ。
「昨年は50日間、今年は45日間、メインの隊員はほぼ山の上にいます。涸沢の基地に常駐し、そこから隊員が交代で2泊か3泊で北アルプス南部の山域をパトロールします。長野県警察山岳救助隊も一緒に駐在し、北アルプス南部だけで常に3チームが動いている体制をとっています。基本的には登山者に遭難を起こさせないようにするのが一番の目的ですが、遭難事故が発生したときには、真っ先に現場に駆けつけられるよう常に駐在しているわけです」
「声をかけることで遭難を未然に防ぐ」という仕事
山の遭難救助といえば、ニュースでよく目にするヘリコプターによる物々しい救助活動が思い浮かぶだろう。もちろん、実際に遭難事故発生となれば、現場に駆けつけて救助活動に従事するのが夏山パトロール常駐隊の重要な任務。だが、隊長の加島さんによれば、むしろ、それ以上に事故のないときの活動が重要だという。
「登山者に対しての安全指導です。パトロール中、気になった登山者にお声がけして、事故にならないようアドバイスします。遭難救助は見た目にも派手ですし、隊員としてもやり甲斐もあって充実感も得られます。けれどもベストなのは、私たち常駐隊が出動しないこと。遭難事故は、起きないほうがいいのですからね」
実際、登山者への声がけは簡単な仕事ではない。なぜなら、安全を疑いもせずに夏山登山を楽しんでいるところに、思いがけずパトロール隊から指導的なアドバイスがなされるからだ。果たしてそのとき、その言葉に素直に耳を傾けられるかどうか。
「相手が嫌な思いをしないよう、できるだけていねいに接するように心がけているのですが、素直にありがたいと思ってくださる方もいる一方で、なかには『そんなことは言われなくてもわかっている』と怒り出す方もいますからね。なかなか難しい仕事です」
パトロール隊員を10年やれば、服装や歩き方を見るだけで、経験や技術、体力がおおよそわかるという。それを踏まえたうえで、想定されるリスクを相手に伝えて、少しでも自分で考えてもらう。そうしたコミュニケーションが抑止力となって無用な遭難を未然に防ぐ。それが常駐隊の一番の仕事だと加島さんは言う。
常駐隊隊長に聞く、もしもの際の行動とは?
この夏の北アルプス南部地区での遭難救助件数は50件ほど。そのうち、常駐隊員が関わった案件だけで20件近くになるという。誰しも遭難したくて山に行ったわけではないはずだから、明日は我が身かもしれない。そこで、もしも自分が遭難した場合にどう行動したらいいのか、常駐隊としての立場から加島さんに教えてもらおう。
「まずは110番に連絡してください。ほとんどのスマートフォンならGPS機能が内蔵されているので、通話した時点で自分の位置情報を警察が把握してくれます。そこから所轄を経て私たち常駐隊に出動要請が来ます。救助を要請するかどうか迷う場合は、自力で行動できるかどうかで判断してください。たとえば、ケガや病気以外でも、日が暮れてヘッドランプを持っていないため、立ち往生してしまったなどでも構いません。自分ではこれ以上行動できないと思った時点で、遠慮なく110番してください。むしろ、そこで無理をされるほうが、かえって窮地に陥ることになります。命にかかわることですからね、気兼ねなく救助要請してください」
救助要請から救助隊が到着するまでの時間はケースバイケースだ。すぐにヘリコプターが飛ぶ場合もあるし、隊員が地上から駆けつける場合もある。基本的には常駐隊の隊員はコースタイムの半分以下で走れるよう訓練を積んでおり、たとえば、涸沢から北穂高岳までコースタイム3時間のところを1時間強で駆け上がる。また、基地のある涸沢から遠い山域でも、付近をパトロール中の隊員がいれば、無線の指示を受けて駆けつけてくれる。
だが一方で、天候が悪い場合はヘリは飛べず、救助隊員が山道を走っても場所によっては時間がかかるし、救助要請が夕方だった場合は、救助は翌日になる。そのとき、山のなかで一晩を過ごすための装備と食料を持っているかどうかが大事だと加島さんは言う。
「やはり、どんな山行でも、たとえ低山でも、しっかりした雨具などの基本装備は忘れないでください。それに加え、できればツエルトとエマージェンシーシートも持っていってほしい装備です。非常に軽くて小さいものですから、バックパックに入れっぱなしでも邪魔になりません。これがあるとないとでは大違い。雨もある程度しのげるし、一晩は耐えられるんです。一晩がんばれば、翌日は必ず救助が駆けつけますから」
27年間従事していれば、辛いことも良かったこともある
長く常駐隊の活動を続けてきた加島さんは、現場で起きるあらゆることを経験してきた。なかでも一番厳しい場面は、遭難者が目の前で亡くなるときだという。
「登山道から離れた崖下での救助に向かったときのことです。遭難者はシュルンド(岩と雪渓の隙間)に落ちていて、もう虫の息。こちらの呼びかけにギリギリ反応していました。もう大丈夫、すぐに助けますからと声をかけ、急いで安全確保用の支点を構築している最中に、上部のスノーブリッジが崩壊して、その人の上に落下してしまった。あのときは切なかったですね。助けられると思った途端ですからね。27年間もやっていると、そんな案件にはいくつも出会います」
逆にこの仕事に従事していて笑顔になるのは、やはり、救助した人からお礼の言葉を受け取るとき。お礼状はもちろんのこと、わざわざ、お礼を伝えるためだけの目的で涸沢の常駐隊基地を訪ねてくる人も少なくないという。
「あのとき助けていただいた○○です。覚えていますかって。けっこうあるんですよ。軽いケガではなく、九死に一生を得たような場合は特にね。そのときは、ホントにうれしいですね」
過酷な隊員の身を守るアウターウェアは「ゴアテックス」
人気マンガ『岳』ではないが、ヘリでしか行けない危険な現場に送り込まれることや、要救助者に寄り添って岩壁の中で一晩過ごすことは当たり前。冬と違って、夏から秋に限定した任務ではあるが、たとえ荒天でも救助は続行され、隊員は横殴りの風雨に一晩中晒されることも少なくない。そんな過酷な救助隊員自身にとって、アウターウェアの重要度は高いという。
「厳しい現場では、なるべく体を濡らさないようにと考えます。体が冷えることから起こる低体温症には最大限の注意が必要だからです。そこで、高性能なアウターウェアを着るのは当たり前ですが、それとともに、雨が強い日は若干行動のレベルを下げて発汗を抑え、ウェアの内側をできるだけ濡らさないように心がけます。それでも汗はかくし、濡れるんですけどね。だから、一番下にはメッシュのドライレイヤーを着て汗冷えを防ぎ、アウターウェアは透湿性のあるゴアテックス一択です」
加島さんのこの話は、なにも厳しい救助隊の現場に限った話ではない。雨具の防水性を高めれば、たしかに雨や雪は遮断する。だが、山道を歩けば汗をかき、それは熱気とともに水蒸気となり、かえって雨具の内側を濡らす。そして濡れた衣服は体温を奪い、それは危険な低体温症に結び付く。ウエアを濡らしたままで強風の稜線を歩けばどうなるかは想像がつくだろう。夏山でも凍死は十分にあり得るのだ。
それを防ぐには、ウエア内の熱気と蒸れを外に出す「透湿性」という機能を備えたゴアテックス素材の雨具が頼りになる。それは屈強の救助隊員よりも、むしろ、体力や経験の劣る私たちのような一般登山者にこそ必要な装備。山を始めたばかりの人ならば余計にゴアテックス素材の雨具を持ってほしいのだ。加島さんは言う。
「どんなときでも、雨具は確実なものを持ってきてほしいです。いまだに涸沢でもビニール合羽を見かけるんです。あのコンビニで売っているような透明のビニール合羽ですよ。あれだけはホントにやめてほしい。やはりゴアテックスのような高機能の素材を使ったしっかりした雨具上下が登山には必要です。それだけで防げる遭難だってあるのです」
そんなゴアテックス素材のウェアに対し、加島さんは特別の思い入れを持っているという。それは登山を始めた大学山岳部1年の冬合宿でのことだった。
「新人部員だった自分は、先輩が貸してくれたウェアで、厳冬期の八ヶ岳縦走に参加したんです。それがハイパロンという合成ゴムを裏地にコーティングしたウェアだったんです。その頃は違いもわからなかったので、ありがたく着て行ったのですが、途中で風邪を引き、吹雪のなかで気を失ってしまったんです。ハイパロンは完全防水ですが、ビニール合羽と一緒で透湿性はなく、汗をかくとウェア内がびしょびしょに濡れてしまいます。それが原因で風邪を引いたんですね。その後にゴアテックスのウェアを着たときには驚きましたよ。ハイパロンやビニール合羽とは雲泥の差。やはり、透湿性がいかに大事かと、身をもって理解しました」
現在、夏山常駐隊はゴアテックス素材を使ったモンベル製のアウターウェアの上下を使っている。ゴアテックス製品ならではの高い防水性と防風性が、風雨が吹き荒れる北アルプスの悪天候から隊員の身を守り、同時に透湿性が、運動量の高い救助隊としてのハードな行動を支えている。
加島さんは常駐隊以外の季節は、登山道整備や山小屋の補修や建て替えの仕事に就いている。その間も、常駐隊で支給されたウェアが活躍するので、ほぼ1年に渡って山で使っているという。それでも、へこたれることのない耐久性を実感している。
「私はウェアの透湿性を重視するので、2日着たら洗濯するようにしています。そうやって使っていると、2年や3年は余裕で保つんですね。私たちのように使用頻度が高く、日々、酷使していても、です。ホントに丈夫ですよね。なるべくなら、補修して長く使っていきたいですね」
純粋に人の命を助けるという志だけで
加島さんは大学山岳部で本格的な登山を始めた。すぐに山が好きになり、大学にも行かずに年間200日は山に行く日々。その結果、卒業するまでに6年を要している。在学中にネパールヒマラヤに遠征したことが、救助の道を志すきっかけになった。
先輩と二人で遠征隊を組み、登頂を目指している途中、ひとりで来ていた日本人登山者が高山病で亡くなってしまう。放っておくわけにはいかなかったので、自分たちの遠征を中止し、遺体を山からおろして日本に返してあげるためにネパール軍と共に数日間付き添った。その数日間で人生観が変わったという。
「このまま攻めた登山を続けていたら、そのうち、自分が遭難する番になるかもしれない。それならば、自分は助ける側に回ったほうがいい。そう思って、帰国してから夏山常駐隊に入ったのです。それから27年間、会社に就職することもなく、この道ひと筋です。山の先輩にはよく言われますよ。『山のリスクから遠ざかろうと攻める登山をやめたくせに、今は自分からリスクの高い危険な仕事に就いている。お前はほんとにバカだよな』って。たしかに、バカじゃなきゃやれない仕事かもしれませんね」
現在、加島さんを隊長とする北アルプス南部地区夏山パトロール常駐隊は、新人部員の公募を行っていない。隊員同士の信頼感とコミュニケーションが命にも関わるほど重要な職場なだけに、仮に新人が入るときは、あくまで顔の知れた関係者のなかから採用となる。そして、その新人を連れてきた先輩が全責任を負うというのが加島さんの理想とする組織像だ。
「今は一番の若手が22歳。中堅はみんな10年選手で20代後半から30代前半です。基本的に声がけを重視しているので、人とコミュニケーションが取れない人間はダメです。どれだけ技術や体力があっても、どんな資格があっても、高難度のクライミングができても、関係ないんです。給料だって驚くほど安いですよ。でも最終的な結論は、救助は志と思い、ということ。純粋に人の命を助けるという志でみんな生きていますから」
取材・文:寺倉 力
撮影:西條 聡
写真提供:夏山常駐パトロール隊
協力:GORE-TEX Brand
編集者+ライター
寺倉 力
高校時代にワンダーフォーゲル部で登山を始め、大学時代は社会人山岳会でアルパインクライミングを経験。三浦雄一郎が主宰するミウラ・ドルフィンズを経て雑誌「Bravoski」の編集としてフリースキーに30年近く携わる。現在、編集長として「Fall Line」を手がけつつ、フリーランスとして各メディアで活動中。登山誌「PEAKS」では10年以上人物インタビュー連載を続けている。
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