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石裂山の歴史と文化|霊山を挟む、二つの「かそ神社」
日本各地に点在する里山に着目し、その文化と歴史をひもといていく【祈りの山プロジェクト】。今回のナビゲーターは、神社や暮らしの中にある信仰を独自に研究する神社愛好家で山伏でもある中村真さん。栃木県・西部地方の里山「石裂山」にまつわる山岳信仰に迫ります。
(初出:「祈りの山project」2018年4月18日)
目次
霊山を挟む、二つの「かそ神社」
鹿沼市に広がる低山山脈は標高1000m前後の低山が連なり、その中央に位置する石裂山は鉄ハシゴやクサリ場などが延々と続く変化に富んだ山である。各所に古来から続く信仰の跡が残る霊山で、山頂からの眺望は日光連山、両毛の山々や関東平野まで一望できるほどだ。
山を挟んで、鹿沼市入粟野地区には賀蘇山神社が鎮座し原初の神である天御中主を始め、月読命、武甕槌命という天孫の神を祀る。その反対側である上久我地区には加蘇山神社が鎮座し、磐炸命、根裂命、武甕槌男命の三柱の神を祀っている。これら両神社の繋がりはなく、唯一、出雲国譲り神話で活躍しその後関東守護として鹿島神宮に祀られる武甕槌命をともに祭神に据えているが、後年、関東守護としての存在として加えられたものと考えられている。
賀蘇山神社の主たる神は天御中主とされているが、古来、この神様は北極星及び北斗七星との結びつきから海洋民族の奉ずる神としても活躍していた。海の神が何故、鹿沼の地で奉られたのだろう。また加蘇山神社における磐炸命、根裂命という神名も全国的に珍しいもので、この鹿沼以外の土地では奈良県に一社・御厨子神社という社が祀っている。神意としては「磐」をも「根」をも貫く威力をもった神であり、生気を授ける神であるとのこと。となると、この石裂山の位置が大きく影響しているように思えてならない。というのも、古来、このあたりは二荒山信仰の参詣道(江戸時代以降は二荒を「ニコー」と読み間違えてしまった為に「日光」という呼び名が生まれた)となっており、その道中のエネルギー補給地として、その山容と豊かな森、杉の巨木や磐座などの力を、生気を授ける神と見立てたのではないかと想像する。江戸時代には修験道の行場としての隆盛を極め、賀蘇山神社にも加蘇山神社にも宿坊の跡がみられるが、ともに今は機能していない。
登山口は入粟野の賀蘇山神社にも、上久我の加蘇山神社にも存在し、ともに山を周回する参詣道が続く。特に上久我の加蘇山神社の入口にはご神木にもなっている巨杉郡が広がり山の霊気が宿っているような、神々しい雰囲気に満ち溢れている。その参道を歩くだけで神域へのアプローチを体中に感じる。山中は今では間伐をされた樹々の倒木が激しいものの、そのお蔭で太陽の光が差し込みやすくなっており、天気が良い日などは木漏れ陽の中を歩くこととなる。清滝や天然記念物にも指定された千本桂の巨木を横目に進むと、その昔は中の宮としてお社があったとされる場所にたどり着き、その先には30m以上もある鎖場『行者返し』が迎えてくれる。スリルのある登りの一枚岩を超えるとその先の洞窟の中に加蘇山神社奥ノ宮が祀られていた。奥宮から先に続く岩を登れば、東剣ノ峰。そして難所の鎖場を進むと見晴台の西剣ノ峰に。ここまで来ると、眼前に石裂山(879.4m)の岩壁が現れてくる。さらに尾根道を進むと、石裂山山頂にたどり着くが、眺望を求めるならもう一つ先にある月山山頂をお勧めする。月山山頂には石の鳥居と月読社、磐座である天狗岩が鎮座し入粟野の賀蘇山神社の月読命の奥宮といった世界が広がり、山頂からは日光連山が一望できる。
また石裂山(おざくさん)と読むこの山の両端に、ともに「賀・加」蘇山(かそやま)と読ませる社が存在する理由の一つとして、以前までの地名が関係している。古来この地区は都賀郡と安蘇郡と呼ばれた地の境であり、両地区にまたがる石裂山は都賀郡の「賀・加」と安蘇郡「蘇」をとって「賀(加)蘇山」と呼ばれていた。そう考えると、石裂山の隣に位置する月山は、修験道の勃興とともに東北から持ち込まれた月山信仰と、この山の別名である「かそやま」が重なり、「かそ」を「がつ」に変換することで後年呼び親しまれたのではないかと思えてならない。
今ではこの山で修行をする行者の姿は見られなくなったが、昭和初期までは白装束に身を包んだ修行者たちで溢れていた。時代の流れとともに山で修行をし、山中に身を置くことで神や仏と出会う『登拝』は行われなくなり、週末ともなると数少ない登山者がハイキング気分で楽しむ山となってしまった。しかしこの山の麓で暮らす人々の心の中には霊山としての石裂山を拝む気持ちが残っており、山中に足を踏み入れれば、古来の人々の信仰の足跡をたどることができる。厳しい山容ではあるが、その深い森に降注ぐ陽の光に包まれると、まさに「生気を授ける神」である磐炸命、根裂命のエネルギーに満たされることだろう。
石裂山の登山地図、ルート、現地最新レポート
一の山に、百の喜びと祈りあり。その山の歴史を知れば、登山はさらに楽しくなります。次の山行は、栃木県・西部地方の里山「石裂山」を歩いてみませんか?
イマジン株式会社代表 / 神社愛好家
中村 真
イマジン株式会社代表 / 尾道自由大学校長 / 自由大学神社学教授。神社や暮らしの中にある信仰を独自に研究する神社愛好家。広告代理店・音楽レーベルを経て2005年にインディペンデント・パブリッシャーとして2012年まで雑誌『ecocolo』や書籍『JINJABOOK』などを発行する出版社株式会社エスプレの代表を務める。同年、プランニング会社であるイマジン株式会社設立。同時に広島県尾道市の街興しに参画し、尾道自由大学を創立し校長を務める。その他、日本人冒険家のマネージメント団体『人力チャレンジ応援部』や、全国の農家と都市部の若者を繋げるインターネット上の農業大学『TheCAMPus』の立ち上げにも参加。全国各地の地域プロジェクトと連動し多拠点での暮らしを実行中。神社や日本人の心の在り方を模索する中で山と出会い、神や仏と出会うために山に登る『登拝』をライフワークとし、各地で『献笛』をおこなっている。
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