紀の川土手をさんぽ-2024-01-20 昭和54(1979)年の今日、太安万侶の墓が発見された 出土した場所は、奈良市此瀬町の茶畑で、墓からは青銅製の墓誌が出土し、そこには「左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥年七月六日卒之 養老七年十二月十五日乙巳」と刻まれていた。墓誌の内容は、太安萬侶の住所、位階や勲位、名前、亡くなった日付などを記している これによって、墳墓の埋葬者が古事記編纂者の太安萬侶であり、太安萬侶が平城京左京四条四坊に住んでいた、実在の人物であることが歴史学的に初めて証明された 「古事記」序文では、安万侶が編纂したとされる古事記の成り立ちについて、次のように記されている。 当時の歴史書として、天皇家の系譜を記した「帝紀」と、朝廷の伝承等を記した「旧辞」があった。しかし、諸家が持っていたこれらの書物は、諸家によって異なり、また虚偽を加えているものも多く、その誤りを正さなかったら、幾年も経たずに言い伝えの本旨は滅びさってしまう恐れがあった。そこで、天皇家の支配の正統性を裏づけるため、天武天皇は「帝紀」「旧辞」を修正し、稗田阿礼に誦習させた。711年9月、元明天皇は太安万侶に「古事記」の編纂を命じた。安万侶の類い希なる文才によって、上中下巻からなる「古事記」をわずか4ヶ月で完成させ、712年1月に元明天皇へ献上した

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。