「医惟在活物窮理」 文化2年10月13日(1805年12月3日)は華岡青洲が世界初の全身麻酔による手術に成功した日 この手術は、アメリカで行われたジエチルエーテルを用いた麻酔の手術よりも40年以上前のことであった 青洲の麻酔手術成功以前にも、全身麻酔を用いたという伝承は世界に残る。しかしいずれも詳細は不明であり、実例として証明されている全身麻酔手術は青洲の物が最古となる 全身麻酔手術の成功を機に、華岡青洲の名は全国に知れ渡り、手術を希望する患者や入門を希望する者が殺到した。青洲は全国から集まってきた彼ら門下生たちの育成にも力を注ぎ、医塾「春林軒」を設け、生涯に1000人を超える門下生を育てた 青洲が春林軒で乳癌の手術を行った患者143人の内、術後生存期間が判明するものだけを集計すると、最短で8日、最長は41年で、平均すれば約3年7か月となる 同時期、ヨーロッパで乳癌の手術は試みられていたが、治療成績は芳しくなく、19世紀後半を代表するドイツの外科医ビルロートでさえ、手術後の再発率は80%を超え、3年生存率は4~7%程度だったとされている 華岡青洲の名は和歌山県出身の小説家である有吉佐和子によって、小説「華岡青洲の妻」が新潮社から出版されベストセラーとなり、医学関係者の中で知られるだけであった青洲の名前が一般に認知された 華岡青洲の名言に「内外合一、活物窮理」がある。これは、外科を行うには、内科の知識も必要である。治療の対象は生きた人間であり、それぞれが異なる特質を持っている。 そのため、人を治療するのであれば、人体についての基本理論を熟知した上で、深く観察して患者自身やその病の特質を究めなければならないという教えらしい マニュアルに沿った診療しかできない、病気を診て患者を診ない医師の存在が問題視される昨今、現代医療が失ったものを、学び直してほしい 1)華岡青洲像 2)母や妻の献身的協力による麻酔薬開発 3)世界初の全身麻酔による手術 4)春林軒の客間、「医惟在活物窮理」の掛け軸 5)春林軒母家全景 6)妻加恵の実家、名手本陣 7)名手本陣台所 8)名手本陣母屋居室 9)説明不要、青洲の名を世に知らしめた名作

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