紀の川土手をさんぽ-2023-12-02 1872年の今日、近代化を進める明治政府から「明治5年12月3日をもって、明治6年1月1日とする」という詔書が発表された日 日本の暦が旧暦から新暦に変わるタイミングで、旧暦の12月2日が大晦日になり、翌日が明治6年の元日となった 1年の長さや年月日を決める暦法は主に3つ その1つが太陽暦。ナイル文明の頃から使われ、太陽が黄道を1周する約365.2425日を1年の単位とする。端数の0.2425日ゆえに生じる暦と実際の季節のずれはごくわずか。4年に一回の閏日で調整するだけでよい。この暦法の正確さに感心したカエサルがローマに持ちこみ、ユリウス暦が誕生した。後に若干変更されたグレゴリオ暦が、現在のグローバルスタンダードとなった 日本で明治5年まで使用されていたのは太陰太陽暦。2~3年に一度の閏月、つまり13カ月目の月を入れ、太陰暦のずれを太陽暦に合わせるという方法で、日本の気候風土や農事中心の生活と相性がよかった 太陰暦は月の満ち欠けの周期を基準とする。イスラーム圏で使っているヒジュラ暦がその代表。太陰暦は約29.5日である朔望月を基準としているため、月には「29日の小の月」と「30日の大の月」とが存在する。これらがおおむね交互に繰り返され、ちょうど12暦月分そろったところで1暦年ができる。そうしてできた1暦年は約354暦日であるから、毎年約11日ずつ、季節や太陽暦とズレていく。このように季節を反映しないので、農事暦や財務暦としては不向きである。しかし、ムハンマドが神の啓示を受けて信仰の証として採用した太陰暦が、今でも重要な基準となる 明治政府がなぜ旧暦から太陽暦に改暦したのか。一説には財政難の明治政府が閏月の多い旧暦からの変更で官公吏の給料節約を図った、といわれている。明治5年は閏月の年で13ヶ月分の給料が必要であったが、太陽暦を採用すれば閏月がなくなり、その分の給料は不要となる。更に、布告第374号において2日間だけの12月も給料を支払わないこととし、合計2か月分の給料を節約したのです😤 真相はともかく、当時西洋化へ進み始めた日本は、暦も西洋列強に合わせて、世界に並ぼうと考えたのだ

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