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熊野古道中辺路2 野中〜本宮の写真

見晴らし台に立ち寄りましょう。大斎原の大鳥居が見えます!! ついに本宮が見えた!!

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えりっき
ID: 2491935

日本古代史、日本神話、神社御朱印に興味があります。2020/11/22の大神神社三輪山登山を契機に、神体山登山に興味を持ちました。奥宮のある山が好きです。季節のお花(夏には貴重な高山植物がみたいな)、お城、街道、産業遺産を絡めての散策もいいですね。奥穂高岳&涸沢カール(涸沢で2泊)、富士山お鉢巡り(どこかで1泊)、新緑の大杉谷~大台ヶ原(2泊)、熊野古道中辺路(2泊x4セット)、九重連山(法華院温泉で1泊)、利尻島(2泊)、尾瀬周回(2泊)、ダイトレ(2泊)など、行きたいところがいっぱいです。一緒にハイキング・ウォーキングしませんか? 注) コラボは複数人or女性希望です。 ・ 伊勢市出身、名古屋市在住 ・ (土)・日・祝で活動 ・ 1000m以下の低山メイン ・ 多忙時・雨天時は名古屋市内ウォーク ・ 雪山では登山よりスキー ・ 困り事: 難病にて疲労で発熱、薬剤性下痢 ・ 体調を考慮しテント/車中泊NG、前後泊推奨 ・ 06:00起きは早起きです ・ 嫌煙家 ・ 山岳会入会を検討中

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もらったドーモ69
08:58
22.3 km
1256 m

熊野古道中辺路2 野中〜本宮

熊野古道 中辺路①(紀伊田辺駅〜熊野本宮大社)(和歌山)

2024.05.04 (土)日帰り

えりっき
えりっき

熊野古道中辺路を歩く企画、第2回目です。 GW後半の連休を活用し、5/3-5/5に母と2人で熊野を訪れました。この日は、私は野中から熊野本宮大社までの約20kmを歩きました。母には難しい行程なので、別行動で熊野本宮観光協会さん主催「朝いち語り部」に参加してもらいました。発心門王子~熊野本宮大社~大斎原までの約7kmを、ガイドさんの詳しい解説を交えつつ、5時間程度でゆっくり歩くコースです。中辺路押印帳・熊野の花ガイドブック・完歩証明木札もついて、なんとお値段は破格の1000円です。脚力に不安がある方でも安心して参加できますし、母曰く、「熊野のことをよく知ることができてとてもよかった」と、大満足の様子でした。 ***** 熊野信仰は、調べれば調べるほどに難解です。どんな神様が祀られているのかすら分かっていない人も多いのではないでしょうか。実際、私も今までに何度か熊野について独自調査をしましたが、ただただ混乱するだけで、よく分からずじまいに終わっていました。今回、熊野古道を歩くにあたり、今一度調査をしてみましたので、簡単にご紹介します。 まず、熊野の主要な神社と御祭神を確認します。 熊野には、熊野本宮大社(本宮)、熊野速玉大社(新宮)、熊野那智大社(那智)の3つの大きな神社があり、それらをまとめて熊野三山と呼びます。それぞれの神社の主祭神は、本宮がスサノオ(= 家都美御子大神)、新宮がイザナギ(= 熊野速玉大神)、那智がイザナミ(=熊野夫須美)です。10世紀頃には三山が相互に祭神を勧請しあい、3神を一緒に祀り、熊野三所権現と呼ばれるようになりました。 11世紀には、熊野三所権現に加えて、天孫族の祖神である五所王子(アマテラス、オシホミミ、ニニギ、ホホデミ、ウガヤフキアエズ)と、四所明神(神世七代の神々)もお祀りし、熊野十二所権現と呼ばれるようになりました。 次に、熊野の歴史を確認します。出雲王家の伝承をもとに記述していますので、記紀との相違があることにご注意ください。 太古の昔(縄文時代頃を推定しています)、日本では精霊信仰(アミニズム)が盛んであったと言われています。全てものに霊が宿っていると考えますが、特に山・川・海・巨岩などを信仰の対象とすることが多かったようです。熊野では、本宮では川および山を、新宮ではゴトビキ岩を、那智では滝を崇拝していたと言われています。 時代が下ると、人々は人格神を崇拝するようになります。出雲では王イザナギと妃イザナミを信仰していました。出雲族の一部は紀伊に移住し、紀伊半島はなかば出雲の分国のようになっていたようです。移住する際に、出雲国一宮熊野大社のスサノオの分霊を勧請し、熊野本宮大社を創建しました。また、イザナミは火の神カグヅチを生んだ際に大やけどを負って亡くなり、古事記によると島根県安来市の比婆山に埋葬され、日本書紀によると三重県熊野市の花の窟に埋葬されたと伝わっています。花の窟も出雲より勧請されたのかもしれません。 弥生時代末期には、別の勢力も紀伊に移住してきました。タカクラジは尾張氏の人間で、天神の血を25%、出雲族の血を75%引いています。彼は丹波に住んでいましたが、母を頼って大和の葛城に移住しました。ところが、異母弟のアメノムラクモ(≒初代神武天皇)がカモタテツノミ(=第1の八咫烏)の道案内で大和に進出し、そこで大王に即位しました。タカクラジは大和にいづらくなり熊野に移住したようで、尾張氏は熊野那智大社の社家となりました。 6代孝安~8代孝元天皇頃、九州に住んでいた物部氏は、イツセを総大将として大和への遷都を計画しました。これを第1次物部東征といいますが、記紀では神武東征として紹介されています。大和への旅路の途中でイツセが戦死したので、弟のウマシマジが総大将に就任し、太平洋を航行して熊野に上陸しました。彼は、タカクラジがもたらした霊剣フツノミタマの力を借りて窮地を脱し、オオタタネコ(=第2の八咫烏)の道案内で大和入りを果たしました。ウマシマジは大王になることは叶いませんでしたが、彼の血筋からは8代皇后と9代皇后を輩出しています。ウマジマジの子のウマシニギタは熊野本宮大社にイツセを祀り、熊野速玉大社に物部氏の始祖ニギハヤヒを祀りました。因みに、フツノミタマはウマシマジとともに大和の石上神宮に祀られています。 続いて、物部氏のイニエ(=10代崇神天皇)は第2次物部東征を計画し、子のイクメ(=11代垂仁天皇)が瀬戸内海航路にて東征し、吉備王国や出雲王国を滅ぼし、大和入りを果たし、大王となりました。以降の歴史はほぼ記紀に記載されている通りです。 以上をまとめますと、熊野では下記のような祭神変更があったと推測できます。 熊野本宮大社(本宮): スサノオ→イツセ→スサノオ 熊野速玉大社(新宮): ニギハヤヒ→イザナギ 熊野那智大社(那智): イザナミ イザナミとスサノオの信仰は古来より一貫しているように感じますが、イザナギの存在感はゼロと言わざるを得ません。また、ウマシマジ、イツセ、ニギハヤヒの話は完全に抹消されており、物部氏の業績は抹消したいという意図を感じます。果たして、真実は如何に。 【前泊】Guest house MUI ・ 住所: 和歌山県田辺市中辺路町野中284-5 ・ これより先、熊野本宮大社までの20kmには良宿がありませんので、滝尻から本宮まで1泊2日で歩く場合に最適の宿だと思います。 ・ 御飯が豪華で美味しいです。 ・ 洗濯機あり、乾燥機なし、お昼のお弁当あり ・ 兄妹のヤギが2匹います。 【後泊】温泉民宿やまね ・ 住所: 和歌山県田辺市本宮町湯の峯171 ・ 源泉かけ流しの硫黄泉で、日本最古の温泉とも。 ・ シャワーはなくカランのみ。お湯は温泉を使用。 ・ 温泉を用いた料理や温泉コーヒーが特徴。味が円やかになるようです。 ・ 洗濯機・乾燥機はありませんが、J-hoppersさんで有料で借りられます。 ・ 熊野本宮大社の氏子総代だとか。 【熊野古道中辺路シリーズ過去記事】 熊野古道中辺路1 滝尻~野中 https://yamap.com/activities/30029950 熊野古道中辺路2 野中~本宮 本記事 熊野古道中辺路3 赤木越・大日越 https://yamap.com/activities/31561004