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大峯奥駈道 3泊4日 withピークハンターの写真

2024.04.28(日) 06:52

この写真を含む活動日記

144
44

41:14

95.0 km

8160 m

大峯奥駈道 3泊4日 withピークハンター

大峯奥駈道 その1(吉野~山上ヶ岳) (奈良)

2024.04.26(金) 4 DAYS

沢登りなどで大峰に行くことが多かったので、いつかは吉野〜熊野本宮を縦走してみたいと思っていたところ、今年のGWにその機会はやってきた。 今回同行させてもらったのはいつものジュン氏と初対面のYAMAP4位ピークハンターのパル氏だ。 特にパル氏は実力もすごかったのだが、ピークハンターと縦走することの意味を最初はわかっていなかった。大峯奥駈道はピークを巻いている箇所も多いが、寄っていくとより上級モードとなった。 また、今回は各自のペースを重視して進み、宿泊場所で合流する方針とした。 計画コースタイムは×0.8プラス休憩1時間で設定。 3泊4日で踏破した方の記録を見ると大体これくらいの時間であった。 ========= ★1日目(4月26日曇り) 吉野駅〜小笹の宿 計画9時間→約7時間 22km 累積標高2375m 同行するジュン氏とパル氏は車で前入りして正式な起点である六田駅から先にスタートしている。 私は電車なので大阪から吉野への交通手段を調べると、大阪阿部野橋7時発の近鉄特急が吉野8時19分着だが、直通でラクそうなので、これで行くことにする。 ジュン氏とパル氏とは1時間くらい遅れているので、追いつけないかもしれないが、宿で会えればいいくらいに考えていた。 贅沢にも特急指定席で吉野へ向かい、8時半ごろ出発する。 観光地だが、連休1日前なので、あまり人がいない。 桜の散った吉野を下千本、中千本、上千本とひらすら歩いていき、金峯神社も抜けると登山道に入り、10時ごろ青根ヶ峰を通過する。まだ先は長い。 四寸岩山1235mへの登りをトレランのおじさんと競うようにして登り11時ごろ到着。一息入れる。 そこからは少しなだらかな尾根となり、下りは軽くランで流す。二蔵宿小屋から急登となり、頑張ってのぼっていく。 12時半ごろようやく大天井ヶ岳(おおてんじょうがたけ1439m)に登頂!一人女性がいたが、この先の山上ヶ岳は女人禁制のため行けないので、五番関から一度降りるという。大変だ。 13時すぎに五番関につき、女人結界門をくぐる。ここから山上ヶ岳の登りだ。 せっせと登って14時すぎに泥辻茶屋に着く。 なんとここで休憩していたジュン氏と合流できた。パル氏は先ほどまでここにいたが出発したらしい。 足の速いパル氏は今日中に行者還小屋まで行くかもしれないということなので、一言挨拶するために少し休憩して後を追う。 しかし、パル氏に追いつく気配はない上に、行場の登りが続くので、半分諦めかけていたところ、鐘掛岩の上にいた。 初対面なので、なんとか挨拶をすることができた。 そこから3人で西の覗きを見学したりしながら、15時ごろ山上ヶ岳に到着。宿坊などもあるが一度来たことがあるので、さっさと本日の宿泊予定地である小笹の宿に向かい、15時半前に到着する。パル氏もここで泊まるようだ。 今夜から天気が崩れる予報なので、できれば小屋に泊まりたいところ。避難小屋は果たして・・・誰もいなかった。4人くらいしか入れないサイズで、後から1名来て満員となった。 小笹の宿は水が豊富というか、沢みたいな感じ。小屋には紐が張り巡らされ、衣類も干せた。アルファ米の食事をして、隠し持ってきたウイスキーを大体空けて、19時までに就寝。夜間は雨が降った。また、明け方は少し寒かった。 ============ ★2日目(4月27日霧雨→雨) 小笹の宿〜深仙小屋 計画12時間→約11時間 25km 累積標高2143m 4時半起床、6時前に出発する。雨は霧雨といった感じで、みんなレインウェアは着ずに先に出ていき、自分もやはりレインウェアを脱いで出発するため、遅れて出発する。 阿弥陀ヶ森は巻道があったが、霧で気付かず登頂し、大普賢岳に向かう。7時前に大普賢岳1780mに登頂する。 大普賢岳は難所というイメージがあったが、縦走路ではそれほどという感じで、むしろその先は笹に覆われたゆるやかで綺麗な縦走路が続く。晴れてたらなあ。。。 例によってみんな早く、なかなか追いつかない。国見岳のピークハントしているパル氏にようやく追いつく。 七曜岳を超えて8時過ぎに縦走路から離れた行者還岳へピストンでパル氏は向かうという。さすがピークハンター。自分も頑張ってついていく。もちろん山頂はガスだったが。 8時半に行者還避難小屋に着く。部屋がいくつかあり、小笹の宿とは比較にならない立派さだ。水は手前の沢で取るようだ。 その後もゆるやかで綺麗な縦走路をすすみ、9時半ごろ行者還トンネル西口からの道と合流したあたりから登りとなる。いよいよ弥山1895mへの登りだ。小屋が空いていれば、カップ麺を買ったり、ビールなんか飲んだりして、、と妄想が膨らむ。 霧雨は徐々に雨らしくなる中、我慢ののぼりが続く。弥山から降りてきた登山者に聞くと、どうやら弥山小屋が正式に開くのは29日かららしい。ガッカリする。 11時に弥山に到着し、弥山小屋の売店の雨戸?をこじ開けてブザーをならすが、反応なし。 雨も強くなってきたので、小屋の中に入らせてもらい、お湯を沸かして予備のラーメンを食べ終わったころに、小屋の人が出てきた。ビールはもういいけど、今晩の酒がないことに気づき、黒霧島200ミリを一本買う。 レインウェアを着込んで、雨の中最高峰八経ヶ岳1915mを目指す。12時すぎに登頂し、先を急ぐ。明星ヶ岳を越えるとここからは未知の領域だ。 下り基調だからと言っていたが、道はやや荒れた場所が多い中を進む。14時前に楊枝の森をピストンでピークハントに行く。なかなかいい山頂で景色が無いのが悔やまれる。 14時楊枝ヶ宿小屋につく。なかなか良い小屋で一人宿泊者がいた。先を進む。 その後15時前に仏生嶽、15時半孔雀岳ともに縦走路を離れてピークハントする。10時間近く行動しているなか、パル氏のピークハントに着いていくのは大変だ。 ここから本日ラストとなる釈迦ヶ岳までがなかなか大変だった。まず岩場が多く体力を使う上に、いくら登っても次の岩塊が現れ、なかなかつかない。パル氏ともどんどん離れていく。。 16時20分ごろようやく釈迦ヶ岳1799m登頂。しんどかった。 雨はほぼ止んできた。濡れているし早く深仙小屋で着替えたい。 16時45分ごろ深仙小屋に到着。小屋は空いているか・・・2人いた。詰めて入れてもらう。 その後結局数人が来て、7人満員となった。 水場は小屋の近くだが、岩の割れ目からちょろちょろと。。。雨水ちゃうかなと思うが、時間をかけて汲む。 着替えて食事をして、弥山小屋で買った貴重な焼酎を・・・と思うが、疲れもありあまり進まない。 明日は玉置神社の売店で食事とビールが買えると思っていたが、小屋の人たちの話から17時に閉まるということだったので、4時発で急いで行くことにした。 19時ごろ就寝。人数が多いからか小屋はあったかかった。 ============ ★3日目(4月28日晴れ) 深仙小屋〜玉置山 計画15時間→約12時間 29km 累積標高2537m 気合いの3時半スタート。小屋を出て綺麗な星空を見ながら、長い1日になりそうだと思う。 早速大日岳という岩場の行場が待ち受ける。巻けるがピークハントのために寄らねばならない。(と思いこむ) 結構なスラブを鎖をつかんで4時登頂する。ウォーミングアップ完了か。 暗い中笹原の道がわからないなか進み、太古の辻で「これより南奥駈道」の看板を見て、少しテンションが上がる。 そこから明るくなる中、石楠花岳〜天狗山〜地蔵岳〜般若岳は笹原に覆われたゆるやかな下り基調の縦走路で、3人バラバラとなったり、合流したりしながら17時門限のことを考えてランで飛ばすことにする。ただし、昨日の疲れがあるのか右膝に違和感あり。 このとき昨日の雨に濡れた笹が靴下を濡らし、その水分が靴の中に溜まり、ジャブジャブ状態になっていたので、靴下を絞ったら水分がジャーッと出てきた。それも3回も!これが後々悪くなる。 証誠無漏岳(しょろうむろうだけ)、阿須迦利岳(あすかりだけ)を超えて7時ごろ持経の宿(じきょうのやど)に到着。ここには新宮山彦ぐるーぷの方と宿泊者がいた。右膝の痛みもあり痛み止めを飲む。 先を急ぎ、パル氏に再び追い抜かれるものの、平治の宿、8時ごろ転法輪岳(てんほうりんだけ)、倶利伽羅岳(くりからだけ)を超えて、いよいよ行仙岳の長い登りをじわじわと登り、9時半ごろ登頂!結構つかれた。 天気が良く周りの山々がよく見える。 行仙宿の小屋で休憩したり、食べ物やビールを買ったりできないかなと期待して目指して進むが、10時前に着いたものの誰もいない。水も2リットルあり足りそうなので、先へ進む。 この後の笠捨山は途中のピークを何度も超え、たっぷり1時間かけて11時に登頂。すでに7時間以上行動しており、さすがに疲れを感じたため、山頂で20分ほど虫にたかられながら昼寝をすることにした。 実際寝たわけでは無いが、少し元気になったので先に進む。 ここから後半戦は地蔵岳に向けて難所が続く。マンガのように尖った地蔵岳をきっちり山頂まで登っておりるので、急登というより壁を登って降りるようだ。12時半ごろ通過する。 その後、13時ごろ東屋岳からは玉置山まで下りが続くが、濡れた足裏がふやけて針の上を歩くように痛い。右膝も痛くて走るのは無理だ。17時目指してできるだけ早く進む。 それもゆるやかな下りを想像していたが、稚児の森に向けて激しく下り、そこから玉置山まで登りとなる。これは17時に間に合うか?と思っていたらジュン氏に追いつかれた。ビールに間に合うかかなり気にしているので、このペースだと16時すぎに着くだろうと言う。 その後、玉置山までの登りはゆるやかで、車道もありじわじわ進むことでなんとか16時に玉置山駐車場に到着! 玉置山は車で混雑しており、残念なことに売店のうどんやめはり寿司は完売していた。 ただ、店のおじさんと話すとうどんの代わりにもちを入れた特製力もちをご馳走してもらう。ビールと一緒にいただき、死ぬほど美味しかった。 駐車場の下の第二駐車場がテント場になっており、我々以外にも3組ほどいた。 ツエルトを張って、ここまでくれば終わったようなものとビールで乾杯した。 明日は昼前から雨だそうだ。できれば濡れたくないので午前中に終わらせようと話をしてツエルトで星を見ながら寝た。 ============= ★4日目(4月29日くもり→雨) 玉置山〜熊野本宮大社 計画8時間→約6時間 18km 累積標高1070m 周りのテントの人は4時にはみんな出発したようだ。物音で4時には目が覚め、準備をして5時半ごろスタートする。 足裏は少しよくなったが、やはり痛い。右膝の痛みも消えていないので、朝から痛み止めを飲む。 玉置神社から結構下りながら進み、大森山を目指す。やはりそれなりに時間がかかり7時前に登頂する。 それからも登ったり降りたりを繰り返し、五大尊岳の前後は急登なのだが、直登のずるずるの道をすべらないように進む。 9時前に大黒天神岳を過ぎると、大きな熊野川が見えておおっとなるが、縦走路はまだ登り下りが続く。 しかしこの道はほとんど緩やかなトレイルというのは無く、登るか降るかの連続だ。足の痛みに耐えながら進む。 10時半に七越峰に到着し、これが最後のピークかと喜んだが、そこから熊野川までまだ2つのピークがあり、急な登り下りが連続したのは閉口した。しかしもはやそれにも慣れていた。 11時にようやく熊野川に到着し、対岸の旧熊野大社に向けて渡渉する。水位は膝下くらいか。 靴下を脱ぎサンダルになる。熊野川はすぐ渡れたが、サンダルだと広い河原の石が痛かった。足ツボ地獄だった。 旧熊野大社の近くに駐車していたパル氏の車に、11時半ごろなんとか雨が降る前に到着することができた。 あっという間の4日間だった。 温泉とラーメンを食べて、帰路につく。 (とりあえず日記のみ記載したが、また時間があれば装備や食料、大峯奥駈道の宿泊計画についても記載したい。) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 (追記)装備と軽量化について 自身の備忘メモとして衣食住の順に記載 出発前軽量では、水2.5キロ入れて11キロだった。 下記の通りあと1キロ減らせたと思う。 ●衣類 基本的には毎日着替える派なので、4日分用意したが、3キロ近くになった。 半袖半パンの行動着と長袖長ズボン停滞着の2セットに絞ることで、1キロ減できた。 帰りは停滞着で電車で帰った。 ただし手拭いは+予備1にしたのは雨もあって良かった。 靴下は4足用意したのも良かった。雨の予備として途中でザックのメッシュで乾かしてもう一度履いても良かったかも。 靴はゴアにしたが、どうせ雨で中まで濡れるので、履きながら乾くノンゴアでも良かったかも。 ●食事 朝はラーメン、味噌汁 昼は行動食 トレイルミックス お菓子 アメ 夜はアルファ米(リゾッタ) 味噌汁 サラミ ちゃんと4日分3キロ持って行ったので、足りないこともなく概ね良かった。 たた、トレイルミックスは飽きる上に、行動中食欲がなくなったので、12時間行動とかのロングでは休憩も兼ねてラーメンでも用意したほうが良かった。 それと、トレイルミックスは2袋持参したが、結局1袋半残したため、1キロくらい余分に荷物をもっていたことになる。 これも削減できた。 補食として、小さなチキンラーメン的なものを持っていたが、これはそのまま食べてもよいし、味噌汁に加えても良く、使い勝手が良かった。 ●住=宿泊道具 ファイントラックのツエルト泊 シュラフはナンガダウン=モンベル#3相当 シュラフカバーはエスケープビビイ マットはzライトソルの1/3と、モンベル沢ザックの背面パッド取り外し。 薄手のダウンジャケット 結果的に避難小屋2泊で玉置神社でキャンプ1泊だったので、良い選択だったと思う。 5月は明け方微妙に寒かったので、シュラカバもあって良かった。 避難小屋は銀マット豊富なので、そこを軽量化する手もあるかもしれない。 あとは枕があっても良かった、かな?重くなるので微妙だが。 ●その他 モバイルバッテリーは10000mAhと5000mAhを二つ持っていき、10000だけで4日足りた。 携帯はずっと省電力モード、機内モードにした。 薬だが痛み止めあって良かった。 ロング走はテーピングも持っておく。 ガスはコッフェルのフタのみとし、フタはアルミホイルにした。十分400mlお湯を沸かせた。テルモスは削った。 ただ、何らかのコップはあったほうがよかった。後半はアルファ米容器でお湯を飲んでいたが。 浄水器持って行って、小笹の宿では時間があったので使ったが、他は使わなかった。 ただ、水切れで水溜りの水を飲むこともあり得るので、リスク管理上あって良かったと思う。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 (追記)大峯奥駈道の日数と泊場所について 標準的な泊場所(山と高原地図 大峰山脈)5泊6日 1日目 山上ヶ岳宿坊 2日目 弥山小屋 3日目 前鬼小仲坊 4日目 行仙宿 5日目 玉置神社 6日目 熊野本宮大社 これなら行仙宿と玉置神社以外は小屋泊なら食料を減らすこともできそうだ。 しかしGWは混雑するし、それ以外の時期は営業していなかったりするので、結局テント泊、大量の食料持参(20キロくらい?)となるのではないだろうか。 今回先輩方の記録から3泊4日として、結果的にも問題なかったと思っている。 あえて言うなら2泊3日の可能性はどうだろうか、というのが出発前の考えであった。 日程が短いほど、食料の軽量化はできる。 結論としては、2泊3日はやらないかなと思う。 まず、これ以上長時間行動をすることは体力的には可能だが、回復時間が減ってより辛くなる。 具体的には6時発〜21時着(15時間行動)で、23時に寝てもまた4時起きみたいなサイクルになるので、殆ど休めないのは辛そうだ。 あとせっかくシュラフやマット持っていくなら2泊はもったいない。 参考まで2泊3日の泊場所だけ考えてみた。どなたかやってみませんか(笑) 1日目 弥山小屋 12時間 2日目 行仙宿 12時間 3日目 熊野本宮大社 12時間 結局吉野や熊野本宮で前泊と後泊も必要になるので、大阪への移動を考えると日数の短縮にはなりそうにない。順峯なら可能か? あと、1人だけトレランの人が1泊2日で挑戦していた。 楊枝ヶ宿で泊まったと言っていた。 1日目 楊枝ヶ宿 14.5時間 2日目 熊野本宮大社 20.5時間 (参考)主な宿泊場所と時間 ※私の実績ペース(大休止含まず) 吉野 7h 小笹の宿 2.5h  行者還小屋 2.5h 弥山小屋 2.5h 楊枝ヶ宿 2.5h 深仙宿 3h 持経の宿 3h 行仙宿 6h 玉置神社 6h 熊野本宮 (参考)割と平坦でランで短縮が図れそうな区間(難所含む) 阿弥陀ヶ森〜弁天の森 舟ノ峠〜孔雀岳 石楠花岳〜涅槃岳 東屋岳〜如意宝珠岳 五代尊岳〜七越峰 (参考)登りがしんどかった山 大天井ヶ岳 弥山 釈迦ヶ岳 涅槃岳 行仙岳 笠捨山 地蔵岳