鎌倉街道_上道 西所沢〜西大家

2024.04.20(土) 日帰り

活動データ

タイム

06:59

距離

25.9km

のぼり

131m

くだり

162m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
6 時間 59
休憩時間
43
距離
25.9 km
のぼり / くだり
131 / 162 m
6 59

活動詳細

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今回の街道歩きは長閑な田舎道が多く、全般的に見どころは少なく感じる道程でした。 さらに天気予報は夏日で晴れ、4月中旬に汗を掻きながらひたすら前進する感覚のあった街道歩きとなりました。 途中、入曽・入間川付近では見所があり、新田義貞所縁の史跡も訪ねることができた。スポットエリアなので刺激感は強かったかな・・・ 北上しながら左手に見える秩父の山々が少しずつ近づき、ロケーションの変化を感じて、次回の出会いが楽しみになってきた。

 今回は新光寺龍宮門から街道歩きを始める
今回は新光寺龍宮門から街道歩きを始める
 ハナミズキの先に旧鎌倉街道道標あり
ハナミズキの先に旧鎌倉街道道標あり
 金剛院本堂 静かで落ち着きました
金剛院本堂 静かで落ち着きました
 金剛院「四脚門」は天明2年(1782)に建立されたもの
金剛院「四脚門」は天明2年(1782)に建立されたもの
 下水野の地蔵尊1685に造立されたもので新田開発で入植した人達の心の拠り所として造られた
下水野の地蔵尊1685に造立されたもので新田開発で入植した人達の心の拠り所として造られた
 クサフジ
クサフジ
 ヤグルマギク
ヤグルマギク
 入間野神社は建久2年(1191)の創建と伝えられる古社
入間野神社は建久2年(1191)の創建と伝えられる古社
 不老川、もともとの名は"としとらず川"。「節分の夜、不老川の橋の下に居ると歳をとらない」という伝説があったのだとか
不老川、もともとの名は"としとらず川"。「節分の夜、不老川の橋の下に居ると歳をとらない」という伝説があったのだとか
 常泉寺観音堂 本尊の木造聖観音菩薩坐像が納められている現在の堂宇は宝永5年(1708)に再建されたもの
常泉寺観音堂 本尊の木造聖観音菩薩坐像が納められている現在の堂宇は宝永5年(1708)に再建されたもの
 七曲井 武蔵野台地はどこも飲料水を得ることが大変困難。深い井戸が必要だったので このように擂鉢状に掘り下げ 底の部分に井戸を掘っていた
七曲井 武蔵野台地はどこも飲料水を得ることが大変困難。深い井戸が必要だったので このように擂鉢状に掘り下げ 底の部分に井戸を掘っていた
 野々宮神社 日本武尊が東夷征伐の帰途、当地に立ち寄り水を得るため掘難の井を掘らせたという伝説がある
野々宮神社 日本武尊が東夷征伐の帰途、当地に立ち寄り水を得るため掘難の井を掘らせたという伝説がある
 入曽の神様
入曽の神様
 モッコウバラ
モッコウバラ
 沿道のツツジも綺麗です
沿道のツツジも綺麗です
 オオツルボ、誰かが沿道に植えたのでしょうか
オオツルボ、誰かが沿道に植えたのでしょうか
 アジュガ、沿道に植えられました
アジュガ、沿道に植えられました
 街道が消滅する手前の白山神社
街道が消滅する手前の白山神社
 西武線の踏切りを渡ると庚申塔祠が
西武線の踏切りを渡ると庚申塔祠が
 慈眼寺
慈眼寺
 慈眼寺境内の裏手に「黒焦げ地蔵」かつての入間川宿には多くの遊郭があったが、その遊女たちの深い信仰を受け常に線香の煙やロウソクの灯が絶えなかったという。いつしかそのススで真っ黒になってしまったのだとか。現物は・・・
慈眼寺境内の裏手に「黒焦げ地蔵」かつての入間川宿には多くの遊郭があったが、その遊女たちの深い信仰を受け常に線香の煙やロウソクの灯が絶えなかったという。いつしかそのススで真っ黒になってしまったのだとか。現物は・・・
 総鎮守・狭山八幡神社 本殿 寛政8年(1796)に初釿をして7年の歳月をかけて完成したという、彫刻が素晴らしい!
総鎮守・狭山八幡神社 本殿 寛政8年(1796)に初釿をして7年の歳月をかけて完成したという、彫刻が素晴らしい!
 本殿脇の切り株は「新田義貞駒繋ぎの松」
北条高時を討つべく鎌倉へ向かった新田義貞は八幡神社に戦勝祈願。その際に愛馬を繋いだ松だそうだ。残念ながら現在は切り株だけとなってしまった
本殿脇の切り株は「新田義貞駒繋ぎの松」 北条高時を討つべく鎌倉へ向かった新田義貞は八幡神社に戦勝祈願。その際に愛馬を繋いだ松だそうだ。残念ながら現在は切り株だけとなってしまった
 入間川神社
入間川神社
 総鎮守・狭山八幡神社
総鎮守・狭山八幡神社
 総鎮守・狭山八幡神社 本殿 (別角度から)
総鎮守・狭山八幡神社 本殿 (別角度から)
 「徳林寺」新田義貞が鎌倉攻めの際この地に本陣を置き その守護仏として聖観音を安置したのが始まりと伝わっている
「徳林寺」新田義貞が鎌倉攻めの際この地に本陣を置き その守護仏として聖観音を安置したのが始まりと伝わっている
 八丁の渡し跡付近が見えるが場所は定かではない
八丁の渡し跡付近が見えるが場所は定かではない
 ひなげし
ひなげし
 石橋供養塔
石橋供養塔
 影隠地蔵 追手に追われた清水冠者儀高が地蔵の後ろに隠れ難を逃れたのだそうだ。元々は木製の地蔵。
影隠地蔵 追手に追われた清水冠者儀高が地蔵の後ろに隠れ難を逃れたのだそうだ。元々は木製の地蔵。
 セイヨウタンポポかな
セイヨウタンポポかな
 狭山工業団地の中を通って智光山公園で一休み
狭山工業団地の中を通って智光山公園で一休み
 オオアラセイトウ群生
オオアラセイトウ群生
 クサイチゴでしょうか
クサイチゴでしょうか
 タチツボスミレ
タチツボスミレ
 鎌倉街道上道碑
鎌倉街道上道碑
 駒形神社 宅地の中にポツンと。。
駒形神社 宅地の中にポツンと。。
 霞野神社
霞野神社
 ハルジオン
ハルジオン
 天神橋碑
天神橋碑
 JR川越線の踏切りとなるが この踏切り名が「鎌倉街道踏切」
JR川越線の踏切りとなるが この踏切り名が「鎌倉街道踏切」
 墓地前の祠の中に寛政7年(1795)造立の「廻国供養塔」
墓地前の祠の中に寛政7年(1795)造立の「廻国供養塔」
 ここは旧陸軍高萩飛行場跡
ここは旧陸軍高萩飛行場跡
 フジ、周辺に香り立っている
フジ、周辺に香り立っている
 旭ヶ丘神社
旭ヶ丘神社
 タンポポとカラスノエンドウでしょうか
タンポポとカラスノエンドウでしょうか
 ライラック、街道脇で
ライラック、街道脇で

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