チェックポイント

DAY 1
合計時間
8 時間 59
休憩時間
13
距離
29.7 km
のぼり / くだり
1755 / 2045 m
19
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活動詳細

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今日は高野山にあるらしい、秘密の花園へ出かけたが、この時期にまさかの積雪。花園辺りも❄️に覆われ、小さな花は顔も出せない😔 仕方がないので、高野三山を歩いた😋 下山ルートは前回と同じ、槇尾道を下った

高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) かつらぎ町コミュニテイバスを花坂口(自由降車区間)で下車
かつらぎ町コミュニテイバスを花坂口(自由降車区間)で下車
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 花坂地区の民家
花坂地区の民家
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 馬酔木
馬酔木
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 矢立砂捏地蔵堂
矢立砂捏地蔵堂
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 矢立砂捏地蔵
矢立砂捏地蔵
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 六地蔵と町石道五十九番五輪卒塔婆町石
六地蔵と町石道五十九番五輪卒塔婆町石
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 袈裟掛石
袈裟掛石
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) もう三月も終わりなのに❄️が残ってます
もう三月も終わりなのに❄️が残ってます
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 龍門山、飯盛山方面
龍門山、飯盛山方面
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 大門前、杉の巨木
大門前、杉の巨木
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 高野山 大門
高野山 大門
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 大門前から龍門山方面
大門前から龍門山方面
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 大門前から天狗岳方面
大門前から天狗岳方面
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 祓川弁財天
祓川弁財天
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 湯屋谷弁財天
湯屋谷弁財天
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 町石一番石
一町(108m)毎に3mほどの石柱を建てたのが町石で、一番石は、壇上伽藍の中門付近の道路沿いに建っている
町石一番石 一町(108m)毎に3mほどの石柱を建てたのが町石で、一番石は、壇上伽藍の中門付近の道路沿いに建っている
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 六角経蔵
鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うため、紺紙に金泥で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵
この紺紙金泥一切経は、美福門院がその持費として紀州荒川庄を寄進した事に由来して、荒川経とも呼ばれるた
したがって、この六角経蔵は、別名「荒川経蔵」と言う。現在の建物は昭和9(1934)年に再建された。経蔵の基壇付近のところに把手がついており、回すことができるようになっている。この部分は回転するようにできており、一回りすれば一切経を一通り読誦した功徳が得るといわれている。この経蔵に納められた紺紙金泥一切経は、重要文化財として霊宝館に収蔵されている
六角経蔵 鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うため、紺紙に金泥で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵 この紺紙金泥一切経は、美福門院がその持費として紀州荒川庄を寄進した事に由来して、荒川経とも呼ばれるた したがって、この六角経蔵は、別名「荒川経蔵」と言う。現在の建物は昭和9(1934)年に再建された。経蔵の基壇付近のところに把手がついており、回すことができるようになっている。この部分は回転するようにできており、一回りすれば一切経を一通り読誦した功徳が得るといわれている。この経蔵に納められた紺紙金泥一切経は、重要文化財として霊宝館に収蔵されている
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 高野山 壇上伽藍根本大塔
真言密教の教えを体現する象徴として建てられた塔で、塔内には立体の曼荼羅世界が 広がる
高野山 壇上伽藍根本大塔 真言密教の教えを体現する象徴として建てられた塔で、塔内には立体の曼荼羅世界が 広がる
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 金剛峯寺
金剛峯寺
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 如意輪寺のケヤキ
金剛峯寺前の駐車場脇にある双幹のケヤキの巨木。かなりの古木で、橋に近い方の幹は地上4mほどで折れ、もう片方の幹にも大きな空洞がある
環境省巨樹巨木林DBにも登録がなく、幹周などの詳細は不明
如意輪寺のケヤキ 金剛峯寺前の駐車場脇にある双幹のケヤキの巨木。かなりの古木で、橋に近い方の幹は地上4mほどで折れ、もう片方の幹にも大きな空洞がある 環境省巨樹巨木林DBにも登録がなく、幹周などの詳細は不明
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 圓山弁財天
圓山弁財天
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 美福門院陵
高野山内に唯一の皇室陵墓
鳥羽天皇は美福門院・徳子を深く寵愛し、死後二人の陵墓を京都・安楽寿院境内に隣接する形で準備していた。しかし、美福門院は、遺骨を深く帰依する高野山に納めるよう遺言し、この地に埋葬された🙏

高野山に草庵を結んでいた西行は、美福門院の納骨に立ち会い次の歌を詠んでいる
「♪けふや君おほふ五の雲はれて心の月をみがきいづらむ」
美福門院陵 高野山内に唯一の皇室陵墓 鳥羽天皇は美福門院・徳子を深く寵愛し、死後二人の陵墓を京都・安楽寿院境内に隣接する形で準備していた。しかし、美福門院は、遺骨を深く帰依する高野山に納めるよう遺言し、この地に埋葬された🙏 高野山に草庵を結んでいた西行は、美福門院の納骨に立ち会い次の歌を詠んでいる 「♪けふや君おほふ五の雲はれて心の月をみがきいづらむ」
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 奥之院 参道
高野山は弘法大師空海が開いた真言仏教の一大聖地で、その広大な山内の北東部に聖地・奥の院がある
天竺を連想させる転軸山の東麓に、奥の院があり、その最奥部が弘法大師空海の廟所です。空海は亡くなったわけでなく、今もそこで瞑想し続けているとされており、今でも毎日食事が二度運ばれている
一の橋から奥の院に向う1.6kmほどの参道周辺には、荘厳な雰囲気を醸し出す大杉が林立しており、その参道には20万基以上ともいわれる 大小さまざまな墓碑が現存している
豊臣秀吉など戦国の名だたる武将から、一般人の墓標まで種々様々で、日本人の縮図ともいえる
大杉群は樹齢200年~600年といわれ、その総数は1300本を超える。その中でも「特別母樹林」という標札がある杉は樹形材質に優れたもので、733本が指定を受けて保護されている。また旧環境庁の1988年調査では、幹囲3m以上のものが800本と推定されているように一大巨樹林となっている
その中でも最大樹は三本杉で、「直径252cm、樹齢830年」の巨杉である
奥之院 参道 高野山は弘法大師空海が開いた真言仏教の一大聖地で、その広大な山内の北東部に聖地・奥の院がある 天竺を連想させる転軸山の東麓に、奥の院があり、その最奥部が弘法大師空海の廟所です。空海は亡くなったわけでなく、今もそこで瞑想し続けているとされており、今でも毎日食事が二度運ばれている 一の橋から奥の院に向う1.6kmほどの参道周辺には、荘厳な雰囲気を醸し出す大杉が林立しており、その参道には20万基以上ともいわれる 大小さまざまな墓碑が現存している 豊臣秀吉など戦国の名だたる武将から、一般人の墓標まで種々様々で、日本人の縮図ともいえる 大杉群は樹齢200年~600年といわれ、その総数は1300本を超える。その中でも「特別母樹林」という標札がある杉は樹形材質に優れたもので、733本が指定を受けて保護されている。また旧環境庁の1988年調査では、幹囲3m以上のものが800本と推定されているように一大巨樹林となっている その中でも最大樹は三本杉で、「直径252cm、樹齢830年」の巨杉である
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 一番石塔
数多くの供養塔が並ぶ奥之院の中でも一番大きな石塔が徳川秀忠の正室であり、徳川家光の母である江の供養塔
建立したのは家光と将軍の座を争った松平忠長といわれる
ガイド曰く「息子は父親よりも、母親を大切にする」😳
一番石塔 数多くの供養塔が並ぶ奥之院の中でも一番大きな石塔が徳川秀忠の正室であり、徳川家光の母である江の供養塔 建立したのは家光と将軍の座を争った松平忠長といわれる ガイド曰く「息子は父親よりも、母親を大切にする」😳
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 高野山奥之院 弘法大師御廟
これより先は撮影禁止🚫
約1200年前の弘仁7(816)年に高野山を開いた弘法大師空海は、その29年後、結跏趺坐のまま奥之院最奥にある、現在の大師御廟に入定
大師は今も御廟所で瞑想しながら救いの手を差しのべていると信じられ、奥之院は弘法大師信仰の中心聖地になっている
高野山奥之院 弘法大師御廟 これより先は撮影禁止🚫 約1200年前の弘仁7(816)年に高野山を開いた弘法大師空海は、その29年後、結跏趺坐のまま奥之院最奥にある、現在の大師御廟に入定 大師は今も御廟所で瞑想しながら救いの手を差しのべていると信じられ、奥之院は弘法大師信仰の中心聖地になっている
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 高野三山参詣スタート
高野三山参詣スタート
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 摩尼峠
摩尼峠
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 摩尼山 山頂の祠
摩尼山 山頂の祠
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 黒河峠
黒河峠
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 楊柳山 山頂の祠
楊柳山 山頂の祠
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 祠内の石仏
祠内の石仏
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 楊柳山 三角点

等級種別	三等三角点
基準点名	揚柳山
北緯	34°14′07″.5653
東経	135°36′24″.3096
標高(m)	1008.63
楊柳山 三角点 等級種別 三等三角点 基準点名 揚柳山 北緯 34°14′07″.5653 東経 135°36′24″.3096 標高(m) 1008.63
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 楊柳山 山頂の三輪明神
楊柳山 山頂の三輪明神
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 粉撞峠の祠
粉撞峠の祠
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 祠内の石仏
祠内の石仏
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 転軸山 山頂の祠
転軸山 山頂の祠
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 祠内の石仏
祠内の石仏
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 高野山警察署
大正12(1923)年に建築
正式名称は橋本警察署高野幹部交番といい、高野山総本山である金剛峯寺の近くに位置する国の登録有形文化財
木造2階建で、屋根は切妻造、銅板葺とし正面中央に千鳥破風を配す
外部は真壁造に見せ、1階を板張、2階を漆喰塗とする
舟肘木・間斗束・蟇股や妻の豕扠首など社寺建築の意匠を採り入れた近代和風建築
高野山警察署 大正12(1923)年に建築 正式名称は橋本警察署高野幹部交番といい、高野山総本山である金剛峯寺の近くに位置する国の登録有形文化財 木造2階建で、屋根は切妻造、銅板葺とし正面中央に千鳥破風を配す 外部は真壁造に見せ、1階を板張、2階を漆喰塗とする 舟肘木・間斗束・蟇股や妻の豕扠首など社寺建築の意匠を採り入れた近代和風建築
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 不動坂口女人堂
女人堂は女人禁制の高野山で、女性が参篭して読経や念仏をすることができるよう結界の外に設けられた
高野山は入り口が7か所あり、女人禁制が解ける明治5(1872)年までは、それぞれの入り口に女人堂を設け、女性の入山を取り締まった
7か所の女人堂のうち、現在残っているのは、この不動坂口だけである
不動坂口女人堂 女人堂は女人禁制の高野山で、女性が参篭して読経や念仏をすることができるよう結界の外に設けられた 高野山は入り口が7か所あり、女人禁制が解ける明治5(1872)年までは、それぞれの入り口に女人堂を設け、女性の入山を取り締まった 7か所の女人堂のうち、現在残っているのは、この不動坂口だけである
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) お竹地蔵
このお地蔵さまは建立者の横山竹さんの名にちなんで付けられた
横山竹さんは安政年間に起こった江戸の大地震によって亡くなった夫の供養のために江戸から高野山を目指し、町石道を通ってこの地へ着き、女人堂で参篭した
その後30年間、身を粉にして働いて貯めたお金で、このお地蔵さまを建てた
お竹地蔵 このお地蔵さまは建立者の横山竹さんの名にちなんで付けられた 横山竹さんは安政年間に起こった江戸の大地震によって亡くなった夫の供養のために江戸から高野山を目指し、町石道を通ってこの地へ着き、女人堂で参篭した その後30年間、身を粉にして働いて貯めたお金で、このお地蔵さまを建てた
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 花折坂
京大坂道不動坂の清不動堂と女人堂のほぼ中間に位置する
昔、高野山を目前にした参拝者たちはこの場所で花を摘んで御供えした
花折坂 京大坂道不動坂の清不動堂と女人堂のほぼ中間に位置する 昔、高野山を目前にした参拝者たちはこの場所で花を摘んで御供えした
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 旧高野山森林鉄道トンネル跡
旧高野山森林鉄道トンネル跡
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 滝不動堂
滝不動堂
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 極楽橋
極楽橋
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 長坂弘法大師堂
長坂弘法大師堂
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 優秀な番犬😅
優秀な番犬😅
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 御成婚記念道程標
大正4(1915)年の高野山開創1100年と昭和天皇(当時は皇太子)御成婚の記念碑で、道程標も兼ねている。側面には「至高野山女人堂9000メートル」と記されていて、ここを起点に新高野街道(槇尾道)の改修が行われ、道程標が200m毎に立てられた
現在、徒歩でしか歩けないこの道も、当時は車道として整備され、乗合自動車や人力車でも賑わった
同じ道標は、この槇尾道の3ヵ所に設置されている
御成婚記念道程標 大正4(1915)年の高野山開創1100年と昭和天皇(当時は皇太子)御成婚の記念碑で、道程標も兼ねている。側面には「至高野山女人堂9000メートル」と記されていて、ここを起点に新高野街道(槇尾道)の改修が行われ、道程標が200m毎に立てられた 現在、徒歩でしか歩けないこの道も、当時は車道として整備され、乗合自動車や人力車でも賑わった 同じ道標は、この槇尾道の3ヵ所に設置されている
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 椎出厳嶋神社
椎出厳嶋神社
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) もとは椎出村の産土神であったが、明治44(1911)年、上古沢の厳島神社に合祀され、社殿のみが当地に残された
社殿 は鮮やかな朱色で、社域も良く手入れされていて、鬼の舞等の行事も毎年開催されている
江戸時代後期の社号は「辨財天社」と記されている
もとは椎出村の産土神であったが、明治44(1911)年、上古沢の厳島神社に合祀され、社殿のみが当地に残された 社殿 は鮮やかな朱色で、社域も良く手入れされていて、鬼の舞等の行事も毎年開催されている 江戸時代後期の社号は「辨財天社」と記されている
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 高野線は橋本駅から極楽橋駅まで、19.8km、標高差443mの山岳区間を結び、山肌に張り付くように走る
高野下駅から鉄橋を渡り、ここからが50‰(パーミル)、R100の急カーブの連続となる高野線の山岳区間となり、終点の極楽橋まで続く
山峡に長いキシミ音の余韻を残し、電車が坂を上がっていく
高野線は橋本駅から極楽橋駅まで、19.8km、標高差443mの山岳区間を結び、山肌に張り付くように走る 高野下駅から鉄橋を渡り、ここからが50‰(パーミル)、R100の急カーブの連続となる高野線の山岳区間となり、終点の極楽橋まで続く 山峡に長いキシミ音の余韻を残し、電車が坂を上がっていく
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 玉椎山 地蔵寺
玉椎山 地蔵寺
高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山) 高野下駅ホーム
レールと鉄輪のキシミ音を響かせながら電車が高野山からゆっくりと下って来た
この駅は、大正14(1925)年に南海鉄道が九度山駅から路線延伸した際の終着駅として開業し、高野山の玄関口として賑わった
高野下駅ホーム レールと鉄輪のキシミ音を響かせながら電車が高野山からゆっくりと下って来た この駅は、大正14(1925)年に南海鉄道が九度山駅から路線延伸した際の終着駅として開業し、高野山の玄関口として賑わった

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