活動データ 日記 活動データ タイム 00:16 距離 1.1km のぼり 0m くだり 0m コース定数 標準タイム 00:20 で算出 やさしい 0 平均ペース 表示 地図 琵琶湖・北側 タグ 登山・山登り GPXデータ エクスポート チェックポイント DAY 1 合計時間 16 分 休憩時間 0 分 距離 1.1 km のぼり / くだり 0 / 0 m 13:35 16 13:51 長浜駅 13:51 活動詳細 すべて見る 今日は午後から長浜で用事あり。その前に長浜豊公園の明治山(YAMAP未登録)へ。冷たくて強烈な雨風が落ち着くのを長浜駅で少し待ってから傘をさして目指しました。明治の鉄道歴史にも関わる山と知り、興味がわきました。 午後から用事があるので、今朝はこの季節に咲くユキワリイチゲを鑑賞に。いつもの場所で咲いてくれてました。ありがとう。 長浜駅に着きましたが、強烈な雨風💦。電車では能登川ぐらいから景色がガラッと変わりました。ようやく雨風が落ち着いたので傘を刺してスタート。 明治13年、敦賀〜長浜間と京都〜浜大津間の鉄道が開通。東海道線ができるまで長浜と大津を大型蒸気船で結ぶ、わが国初の鉄道連絡運輸が開始。大型船の接岸可能な港として長浜城の内堀を利用して新たな長浜港が築造された。この時の大量の浚渫土を積み上げて築いたのが「明治山」である。 (出典) 長浜の歴史13 長浜港の変遷 滋賀県立長浜北高等学校歴史部 湖上連絡運輸の歴史研究 びわ湖鉄道歴史研究会 明治山には旌忠(せいちゅう)塔があります。日露戦争の戦没者の慰霊碑です。 大正13年3月建立。揮毫に乃木希典将軍の遺墨が使われていると書かれています。 以下、参考情報です。 (前文略)なぜ乃木の遺墨を使用したのかという点について考えてみました。推測の域は出ないのですが、明治山旌忠塔が建てられた場所は、現在は陸地化していますが、当時は琵琶湖に突き出た半島状の地形でした。そのため、日露戦争の激戦地である旅順を想起させる場所であったと考え、その場に建てる日露戦争戦死者のための慰霊碑には、旅順攻略の指揮官であった乃木希典の揮毫がふさわしいと当時の関係者は思い至り、ゆえに乃木の遺墨を使用したのではないか、と推測しました。 新近江名所圖会 第129回 「明治山」という祭祀空間 ~長浜市・明治山旌忠塔~ 滋賀県文化財保護協会 帰り道。 ここ慶雲館の琵琶湖側のすぐ前が船着場になっていた。これは長浜港を鉄道連絡港とするため、明治15年、地元の豪商 浅見又蔵が私財をを投じて完成したものである。繰り返しになるが、この時出た浚渫土を堆積してできたものが現在旌忠塔の存在する明治山である。 慶雲館。浅見氏の別荘でもあり、明治天皇の行在所にもなりました。 https://kitabiwako.jp/keiunkan/history.html 長浜駅舎。日本で一番古い駅舎です。 明治はじめの長浜駅付近はこんな感じ。鉄道と湖上運輸の要所でした。 長浜浪漫ビール付近の川堀。ここが長浜城の外堀に当たります。 そう思うと、長浜城はかなり広かったのか。 仲間達と長浜浪漫ビールに。 一杯めは淡海ピルスナー。うんま〜。 もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。 不適切な利用を報告
活動データ タイム 00:16 距離 1.1km のぼり 0m くだり 0m コース定数 標準タイム 00:20 で算出 やさしい 0 平均ペース 表示 地図 琵琶湖・北側 タグ 登山・山登り GPXデータ エクスポート