活動データ
タイム
04:57
距離
3.9km
のぼり
733m
くだり
735m
活動詳細
すべて見るプロローグ 「山談義 する相手無き 同窓会」 (川柳) 2023年12月17日我が母校、新居浜市立角野中学校、昭和39年度卒業生最後の同窓会が行われました 出席者は73歳~74歳の老人会で、親しそうに挨拶されても誰が誰やらわかりません 双子の兄弟E2号も今回が最後の同窓会と言うので九州から初めて参加していました 私が育った新居浜の角野小学校、中学校時代はまだ住友鉱山(旧別子銅山)では銅の産出が行われ戦後復興、高度成長の活気に溢れた時代でした 多くの鉱山労働関係者の社宅(長屋に近い)が有り、当然ながらその子供達の教育現場、小中学校は共にマンモス校でした 一学年9クラスで、各クラス45人~50人いましたから同級生は400人~450人程になります 運動会のクラス対抗リレーなど色分けの鉢巻をして、もう放送係の実況は大変でした 私の笹ヶ峰登山 で・・「笹ヶ峰」の話になりますが、当時新居浜市内の各中学生は卒業前に全校生徒で課外学習登山を笹ヶ峰で行っていました 角野中学校の場合は下津池までバスを連ねて行き、丸山荘に400人以上が泊まる訳ですからもう活気に溢れていました 子供達は解放感に溢れて初恋の人にそこで告白してフラれたりしていました(私ではありませぬ) 夜に肝試しに山頂まで無断で出かけて校長先生(あだ名は赤鬼)に叱られたりしました 翌日はチチ山を経由して新居浜の学校まで歩いて帰っていましたから引率の先生も大変だったと思います 私が最初に笹ヶ峰に登ったのは小学校6年生の時で、当時新居浜市立北中学校で教師をしていた父の学校登山に連れて行って貰いました そして、中学1年生の兄と小学校6年生双子の兄弟、3人は親父が立ててくれたテントで寝た記憶があります 今日では教師の家族を学校行事に同伴させる事など不可能でしょうが、当時は全てが大らかな時代でした 叉、中学1年生の時には学級担任が日体大卒業の新任で新進気鋭・体育の先生でした その先生がクラス会で笹ヶ峰登山希望者を募って6~7人で下津池から笹ヶ峰に登りました 台風が来てテントが吹き飛ばされそうになり丸山荘へ逃げ込んだ思い出があります ですから小中学生時代に3度笹ヶ峰に登った事になります 「若き日は 還らぬが故 いとおしく」(川柳) 同窓会の後、親しい仲間と私の実家に集まり、その笹ヶ峰登山の話が出て、「明日懐かしい笹ヶ峰に登ろう!」と言っても誰も賛同者は居りません (当然ですが・・・) 結局、私とE2号の兄弟だけで同窓会の余韻を胸に笹ヶ峰に登って来ました さすがに下津池からの沓掛林道は路面凍結や雪が心配で、車で走る自信がありません 寒風山登山口手前から寒風・大座礼線に入り南尾根登山口からのピストンとなりました 前日からの寒波で霧氷や雲海が美しく、E2号も満足して九州へ帰って行きました 余り雪が降らずに冷え込んだ晴天日には笹ヶ峰が絶好の霧氷登山の地となります
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