活動データ
タイム
09:06
距離
39.1km
のぼり
301m
くだり
267m
活動詳細
すべて見る★行程ダイジェスト★ 南海 加太駅→加太港(旧 賀太驛)→大師堂→阿字ヶ峰 役行者堂→和歌山市中筋日延(旧 名草驛)→JR打田駅→JR粉河駅《帰宅》 昔の人は結願後、徒歩で高野山へ参ったはず。だからボクも徒歩で行く。その行程の、四国を出て2日目です。 今回は、淡路島、由良の港から、本州、加太の港へ着いたという所からです。 主治医の許可および治療に資する旨の助言は得て行っています。念のため。(知ってる人が見ると、邪推されますので。) ※一部軌跡が取れなかったため、今回はやむなく修正をかけています。開始・終了は変えていませんので、むしろ、より実質に近い軌跡になっています。 【道の選定】 南海道推定ルートも諸説あり、一部残っていないところもありそうです。元々は、県道7号線→国道24号線を基軸に、それらに並走する道から自分で推定したルートを歩く予定でした。 しかし、調べてみると、良いサイトがありました。 和歌山県観光協会のサイトに、そのまま南海道の推定ルートが載っていました。 https://www.wakayama-kanko.or.jp/plan-your-trip/model-courses/route-map/nankaidou/ これを国土地理院地図に落とし込んで作図しました。 ちなみに、しおり自体はざっくりした地図ですが、これを地理院地図に落とし込んでみると、結構細い道を通っているので、このしおりだけで初見で歩くのは難しいと思います。 【アプリの選択】 YAMAP的には、山で言うところのバリエーションルート扱いになるので、YAMAPでのルート確認はできません。するとすれば、他の方の歩かれた軌跡を取り込んで歩く形ですが、同一ルートを歩いた先人が居ないとできないのと、プレミアムの機能なので、使えないのです。(2人の子育て中の我が家の可処分所得は限りなく少ないのです!旅費をいただくだけでも大変です(笑)プレミアムは…引退後に…考えます(笑)) 前回まで、国土地理院の公式アプリを使って、事前作成した作図を開いていました。しかし、地理院の公式アプリは、ブラウザを使用しているようで、特に写真を撮った前後に勝手にアプリの再起動がかかり、ファイルの読み直しをしないといけないので、ちょっと困っていました。 本当は、軽車道・歩道も含めて記載のある地理院地図に表示させたいのですが、今回は街区間ということもあって、グーグルマップで表示してみました。使ってみて思ったのは、グーグルマップ上は道がなくても、ルートを見ているので推定は利くし、YAMAPの活動中の地理院地図と見比べれば問題なさそうということでした。まぁ、ド山区間では使えないですけど、その時は山の地図があるはずなので。 巡礼・街道・古道のマップ…増えてほしいな…個人的には。 【電車でGo!】 往復の高速料金+ガソリン代が3,000円を超えたら、宿泊を検討するようにしています。見つかった宿が3,000円以上なら、一旦帰りますが…。最近は高速もほとんど使わないので、ガソリン代が主になってきました。 それで言うと、今回の紀北~吉野辺りは、電車で往復3,000円を切るので、電車で行くことにしました。車で行くと、往復ガソリン代が電車賃と同額でも、デポ地への交通費がかかるので…。 ちなみに、必要経費は試算し、予算額も含めて、相方さんに毎回『ガチ』で稟議にかけて、承認を得てから出てきています。前まではそうでもなかったんですが、結願後に、「もう、えかろうもん?(もう、ええやろ?)」と言われ、「行かしてやってください。」と交渉した結果、現行方式になりました……。浮世離れした「修行」のために、ものすごく現実的な作業をしています(汗) そんなわけで、この日は大阪メトロ御堂筋線→南海本線→南海加太線で加太入りしました。5時発の7時11分着。十分ですね。 ちょっと楽しみにしていたのですが、加太線の「めでたいでんしゃ」は、入れ違いで、乗りも撮りもできませんでした…。離合で見かけはしました。(和歌山市行きは通勤通学客はたくさん乗っていたので、撮っていません。) 【淡路島は望めず】 加太駅から加太の街を歩き、まずは港に向かいます。現代においては由良~加太の航路がないので電車で入っているわけで、スタート地点は「加太港」ですので。 友ヶ島汽船の乗り場あたりから、突堤の先まで歩きました。 友ヶ島の『地ノ島』と『沖ノ島』は見えたのですが、その先の淡路島までは望めませんでした。淡路島方面が曇っていたのかもしれません。 それにしても、海はいいですね。 【出発のご挨拶】 ルートを考えていた時に、たまたま大師堂を見かけたのでご挨拶。なかなか目立たないところにひっそりありました。 それから、阿字ヶ峰 役行者堂にも行きました。葛城修験マップを使っているように、葛城修験の地域でもありますが、ボクはあくまで「高野山へ向かうお遍路さん」なので、ご挨拶だけ。なので、他の葛城修験にまつわるところなどは寄っていません。それはまたいずれと思いまして。 【思い通りに行かない身体】 案外、自分の身体って思うように行かないことないですか? 加太駅を発った時、特に何もなかったのでそのまま歩いていましたが、役行者堂から下りたぐらいから、腹痛が…。催したんですよね(汚い話でごめんなさい。) でも、トイレ問題って本当に難しい。なんかこの日は、結構な圧迫感があって、こらえるのに苦労しました…。途中、加太中学校が登校時間だったらしく、校門前にいた先生方に挨拶されたのですが、自分ではにこやかに返したつもりでしたが、実際のところ脂汗かいていたかも…。 役行者堂から地味に1km強ある加太駅までなんとか行き、トイレをお借りできました。でも、もっと進んでからでなくて良かったなと思いました。 【街の迷路】 軌跡はズームの度合いによりますが、結構横一文字だと思うのですが、実際はかなり難しい道でした。 そもそも、へんろみち保存協力会の矢印シールはありませんし、公共団体設置の道しるべもありません。国交省の自然歩道などの指定も受けていないので、とにかく全く表示がないのです。 かと言って、グーグルマップばかり見ていると、スマホ見るために歩いているわけでもないしなぁと思いますし、電池も食いますし…。 さらに、結構古道・旧街道っぽさを感じる道でありながら、地元の車が結構通るというのも難しかったです。庭先を借りて修行しているのはこちらなので、四国でもできるだけ邪魔にならないようには心がけているのですが、避ける場所もないところもあって苦労しました。 【景色が変わらない】 岩出市に入るまでの和歌山市内が特にそうでしたが、案外、和泉山脈も紀伊山地も見えなくて、紀の川からも遠いものですから、目当てに欠けるのも苦労しました。そういう意味では、南海本線、JR阪和線、阪和道との交差は目印にはしやすかったです。 距離表示もないのですが、道も複雑なので、迷いやすそうなポイントを目当てに、まずはそこまで歩くというのを繰り返しながら進みました。 【アウェー】 和歌山県には高野山がありますが、加太から高野山方面へ歩く人があまり居ないからか、文化として根付いている様子はなくって、結構なアウェー感を感じました。とくに、遍路なので白衣・菅笠・金剛杖のフル装備ですから、むしろ訝しがられるというか…。 ちょっと考えていたのは、特に根来あたりは戦国時代は本願寺に与していた雑賀衆の地でしたから、それこそ、かつらぎ町や九度山町あたりまで行かないと、真言宗の勢力は弱いのかもと。 でも、その割には浄土真宗より西山浄土宗のお寺が多かったですけどね。 調べてみると、根来寺は新義真言宗なので、雑賀衆が本願寺勢力で鷺森御坊が本拠、根来衆は協力関係にあったようですね。 【古道の面影探し】 淡路島でもそうでしたが、現代においてさほど有名でもない古道を歩くときには、道標や遺構を探しながら歩いています。 淡路島の南海道に関して調べていた時に知った知識ですが、古代道路には道しるべとして石が立てられていたそうで、これにより、古道の沿線には「立石」や「石立」の地名が残っているそうです。淡路島だと「八木立石」がそうですね。 今回のルート上に地名はありませんが、「これそうかな?」と思うものは見かけました。 【歴史街道】 大阪の人間なので、ミニ番組「歴史街道」のことは知っていました。もうやってないのは知りませんでしたが…。2009年3月までだったそうです。 その「歴史街道」、歴史街道推進協議会の運動に関連するそうで、同会が立てたと思われる石碑がありました。打田にあり、大和街道と書かれていました。 番組開始当時15歳だったようですが、当時何となく不満に思っていたのをおぼえています。なぜかというと、この番組の前番組は「桂南光のこちら夢通り」なのですが、これは2年間だけなので置いといて(笑)、その前、「味の招待席」が子どもながらに好きだったからのようです。米朝師匠のグルメ番組。子ども心には、「歴史街道」の理解は難しく、「グルメ」は理解しやすかったのでしょうね(笑)そういう意味では、世界の車窓からはすごい! 今ならかじり付いて見るだろうけどなぁ…。でも、歴史街道歩きって、この番組でやっていたような、中山道妻籠宿のように物見遊山的観光歩きが居ないわけではないですが、実際には、YAMAPの街道歩きの皆さんのように、汗をかきかきウォーキングスタイルで歩くと思うので、そのギャップがちょっと面白いかも。 歴史街道自体は、松下幸之助の晩年の仕事ですね。でも、今の時代の方が、「あまり有名でない歴史の文物」って、海外向けに訴求しやすいかもしれませんね。そういう意味ではやはり慧眼と言うべきか…。 【矢印発見!】 紀の川市内で、矢印シールがありました。おそらくNPO法人 西国古道ウォーキングサポート(https://www.saigokuws.org/)さんのものだと思います。 改めて見てみると、同会が紹介する西国徒歩ルートで、打田駅~紀伊長田駅間の一部が今回のルートと被っていて、そこに設置されたもののようでした。そういえば、先日歩いた田辺市内にもありましたね。 もっと被っている区間があるのかと思ったら、そうでもなかったですね。その方が色々歩けて面白いですけどね。 粉河から先、西笠田まではまた一部分被るようです。 【通行止め…】 今回、2箇所ぐらい通行止めがありました。大抵歩行者は通れたりするんですが、完全に通れないもの。歩行者にとって迂回って結構ダメージ大きいですよね…。 紀伊長田駅のあたりでは、古い道しるべを見つけた先、工事で通行止めでした。狭い道なんで仕方ないんですけどね…。 【結局焦る】 「慌てなーい慌てなーい」ってなもんで、一休さん決め込んで、帰りの電車の時間は見ないようにしていたのですが、残り500mほどのところで、「もうさすがにいいかな?」と思って確認しました。6分後発車でした…って!走りました!走るの苦手だから歩いてるのに、割とあるこの展開(笑)しかも次が1時間強先だったので、頑張りました。 無事に乗れたので良かったです。 【35km超え】 平坦なのでいけるとは思っていましたが、この日は35km超え、39km程になりました。40kmまではいきませんでしたが、昨夏、何となく距離に関しては自信を失いかけていたので、40km級の歩きも、条件次第でまだまだ出来そうだなと思いました。 35km超えも、四国では31日目以来ですね。松山市から菊間まで行った、あれ以来なんですね~。五色台~高松中心街でも、歩いてそうでそこまで届いていないので、やっぱり距離歩くには標高差の影響は大きいですね。 【ルートのことだけ】 とにかくこの日は、ルートのことだけ考えていて、スマホとにらめっこの1日でした。それって歩きに集中できた…とはちょっと違うように思うのですが、思索を深める1日でなかったのは確かです。 四国遍路もトータル49日になりますが、歩きへの集中度合いや、思索の深まり度合い、地域の文物への興味の度合い、同じ日は1日たりともないですね。午前と午後で違ったりとか。 人間、定まっているようで定まってないんじゃないかなと思うんですよ。そして、変化がある方が、楽しいようにも、まだまだ伸びしろを感じるようにも思います。 49日目 39.1km 49日トータル 1,332.9km (参考:新幹線 東京→鹿児島中央1,325.9km・新大阪→木古内1,303.6km ※実キロ) 生涯歩行距離(※1) 1,516.9km/3.8% 生涯獲得標高(※2) 33,702m/33.7% ※1 2018.12.5四国遍路1回目開始後の四国遍路分+2022.5以降の記録分。生涯目標は4万km(地球一周) ※2 2022.1.22 YAMAP利用開始以降分。生涯目標は100km=10万m(地上から宇宙までの距離) 四国遍路まとめページ→https://yamap.com/moments/485074 《参考》 四国遍路 前日程→https://yamap.com/activities/22486094 次日程→https://yamap.com/activities/22726130
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