活動データ
タイム
05:04
距離
13.5km
のぼり
951m
くだり
545m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る★行程ダイジェスト★ 愛媛県内ビジネスホテル・前泊→(車)→大窪寺・駐車→(バス)→広瀬橋バス停→うどん「溜」→87長尾寺→前山おへんろ交流サロン→女体山→88大窪寺〔結願〕・車回収→(車)→ホテルサンオーシャン(阿南市)・車駐車→阿南駅→(鉄道)→徳島駅→がっちゃんと祝賀会→徳島駅→阿南駅→ホテルサンオーシャン・泊 1番へ輪繋ぎするので、これで終了ではありませんが、遍路にとっての最大の目標は間違いなく「結願」です。いよいよ、その時を迎えました。どんな思いが去来したでしょうか。 主治医の許可および治療に資する旨の助言は得て行っています。念のため。(知ってる人が見ると、邪推されますので。) 【年末恒例】 お遍路をはじめて以降、年末は妻子を妻の郷里へ送り、ボクは遍路へ行くということが恒例になりました。妻子はその後、義姉さん家族と一緒に帰阪します。ボクは30日には遍路を終えて帰宅し、31日にはおせちの引き取りという仕事が待っています。 今回は元々、29日・30日の2日間予定でしたが、がっちゃんが結願祝賀会をしてくれるというので、29日だけにして、30日は室戸路へお接待に行くことにしました。 年末の宿の取り方はバラバラですが、今回は妻の郷里のビジネスホテルに妻子とともに(別部屋)泊まりました。 【いつもの朝ごはん】 一応伏せているものの、これを書くとだいたい場所の想像ついてしまうのですが、妻の郷里へ行った際は、割といつも、朝食は箕浦駅前の「上戸うどん」で食べます。今は違いますが、以前は香川の最西端うどん店で、大阪からはアクセスが難しかったのです。妻と結婚してからは、ずいぶん身近になりました。だしのイリコ率が高くて好きなんです。 【吉野川下り】 ナビは、箕浦からなら国道377号線経由を示してきたのですが、川之江へ戻って、国道192号線経由とすることにしました。三角寺から雲辺寺への道、民宿岡田のあたりを通って、吉野川沿いを下り、穴吹で北へというルートです。 川之江からしばらく行くと、椿堂あたりからが、歩いた道になります。「こんなに長かったっけ?」と、思いながら進みました。境目トンネルを抜けると、民宿岡田への分岐があって、横目に民宿岡田の方を眺めつつ、思い返していました。 あとはひたすら吉野川沿いを東進です。 【さぬき市コミュニティバス】 ロングドライブなので心配はしていたのですが、大窪寺へはずいぶん早く着くことができました。念のため早朝から動いて正解でした。1時間半ほど待って、10:00大窪寺発のさぬき市コミュニティバスに乗りました。このバス、予め運転手さんに行き先を告げておくようです。とっさに「広瀬橋」が出なくて焦りました。(※長尾寺へ直接戻る場合は、旭町〔250m〕・大川バス本社前〔300m〕です。大川バス本社を経由しない14時大窪寺発の場合、ハローワークさぬき〔600m〕です。) 【さぬきうどん溜(たまり)】 広瀬橋BSまで行ったのは、おすすめいただいていた『さぬきうどん溜』さんへ行くためでした。バス停から650mです。 セルフ店で、地元の方がどんどん来られていて、人気店なのがわかりました。つるりとして伸びのある中太麺。価格も香川価格で、天ぷらやおにぎり類も充実していました。めずらしく遊び心を出して行ってよかったなと思える店でした。 「遍路だから歩くんだもの」というボクですので、前後は基本、歩きたくない(笑) ですが、広瀬橋BSから長尾寺方面のバスが、12:33だったので、約2キロ、散歩しました。血糖スパイク予防には良いことです(笑) 【長尾寺】 前回、長尾寺は前を通過しただけでした。山門は鐘楼門になっているのですが、綱が外されていて撞くことは叶いませんでした。 境内は広々としていて、本堂・大師堂も横並び、とてもわかり易いお寺でした。 この日の「遍路」スタートが札所、結願へ向けてということもあり、無事結願をお祈りしました。 町中の遍路は、新しい車道である場合も多いですが、長尾からは、ほとんど旧街道でした。結願に至る町という意識が強く表れていて、案内表示はとてもしっかりしていました。 住宅がまばらになってくると、前山ダムへ向けて徐々に登っていきます。それでも、アスファルトの緩やかな登りで、さほど苦ではありません。 【前山おへんろ交流サロン】 大窪寺への道はいくつかルートがありますが、女体山経由もいくつか道があります。ただ、前山おへんろ交流サロンに寄るのであれば、ダムの上を渡るルートに行かず、そのまま道なりに進みます。 前山おへんろ交流サロンでは、歩き遍路に「遍路大使」、自転車遍路に「自転車遍路大使」の任命書を授与してくださいます。また、「同行二人バッジ」もいただけます。無料でいただけるので、必ず寄るようにと、カヨちゃんと民宿岡田のご主人に助言を受けていたのでした。ちなみに、謀って受けることもできますが、不両舌の誓いがありますからね、そんな人はいないでしょう。 前山おへんろ交流サロンは資料館にもなっていて、貴重な展示資料を見ることもできますが、遍路大使授与や資料館の機能以外にも、大切な機能があることがわかりました。ルートに関する助言です。 この後出てきますが、女体山は結構厳しい山です。ところが、ボクも含めた「登山経験に乏しい」巡礼者は、距離で測ることが多いので、無謀に突入する人がいるのだと思います。そこで、サロンの職員さんが確認してくださいます。大窪寺から移動するための公共交通機関は、さぬき市コミュニティバスだけで、大窪寺終発が16時です。それまでに間に合わなさそうでしたら、門前の宿に泊まる場合を除いて、止められると思います。 仮にタクシーなどで帰るとしても、山中日没が予想される場合は止められると思います。時間が厳しい場合は、女体山に登らないルートを案内されると思います。この後書きますが、くれぐれも助言には従いましょう。ここまで歩いてきた遍路ならば、それがお大師様のお導きであることはわかると思います。 幸い、私は女体山ルートへ導かれましたが、時間が厳しくなるようでしたので、展示を見ることなく出立していきました。 【走馬灯】 ずっと、遍路を人生になぞらえてきました。そうなると、結願は旅の終わり、旅人としての入滅、死を意味します。女体山への道は沢沿いを登っていくルートになりますが、「これが三途の川かなぁ」などと思っていました。 歩いていて思い返すのは、これまでの遍路道、ここはどこに似ているだろうかということです。谷筋なのはわかっていたので、モエ坂のように谷の突き当たりの急登を予感していたのですが、そこへ至る道は比較的なだらかで、測ったように徐々に斜度を上げていく道でした。その道の様子が、遍路の集大成として、培った実力を試されているような気がしました。 ボクは基本的に、自然の音を大切にしたいので、遍路中に音楽は聞きません。でも、頭の中でメロディーが回ることがあります。前は「水戸黄門」のテーマ曲が流れたことがありましたっけ(笑) この日は、クライスラーのヴァイオリン・ソナタ、「愛の悲しみ」でした。 遍路の思い出で思い返すのは、苦労した道の思い出。対照するように確かめていきます。合間合間に、これまでの人生について思い返していました。決まって、悲しい思い出です。 死を目前にして、走馬灯にように思い出していきました。 【朴葉】 特に遍路の前半は、余裕もなくてあまり意識していませんでしたが、途中から、植栽を意識するようになりました。この女体山の遍路道は、落葉広葉樹が多いように感じました。冬ですから、落ち葉が積み重なったフカフカの道です。遍路道全体では、比較的、杉を中心とした針葉樹林が多かったように記憶しています。 イチョウの葉を見て、浄蓮庵(一本杉庵)の石段前、黄色いイチョウの葉が絨毯のようになっていたのを思い出していました。 そして、ここまでの道では見なかった葉がありました。朴葉(ホオバ)です。 ボクは朴葉に悲しい思い出があります。しかし、先の日記にも書いたかもしれませんが、その悲しい思い出は、松任谷由実のいうところの、「キラキラした」悲しい思い出です。 頭の中に流れているクライスラーの愛の悲しみ。朴葉の思い出。 遍路は人生の疑似体験だと思ってきましたが、本当にそうなんだろうなと思いました。 【昇天への道】 死ぬと、肉体は土に、魂は空へ還るといいます。出立地点は35m、女体山標高は774m(YAMAP掲載は768m)、これは昇天の道の体験なのだと思いました。つまり、この体験は、魂の道の体験。善入寺島で激しい驟雨にあった時、自分の鼓動に重ねた、鈴の音を聞きながら進みます。 試すようにどんどん斜度を上げ、最後の方は岩を登るような道になりました。登攀までいくものではありませんが、遍路としては非常に厳しい道。あまり、遍路道では憶えのない険しい道。焼山寺道もここまでではなかったんじゃないかなと思いました。通じる方は少ないと思いますが、ボクの少ない経験のなかで対照できたのは、岡山で療養中に登った龍之口八幡宮の段原参道の後半でした。 ここで思っていたのは、女体山のピークこそが、遍路としての最後の関門なのではないかということでした。ここでは、お大師様=金剛杖は、お助けくださるというよりは、落とさないように庇いながら歩くことになります。最後の最後は、自分の力を試されているのだと思いました。実践主義のお大師様が、最澄を喝破したように、最後は実践あるのみ、体を動かせと言われているように思いました。 【器用は不器用】 ボクは多分、最澄に似ているのだと思います。波乱の多い人生にあっても、周囲の期待に沿うような、一般的に理想とされるような、手堅い人生を送ってきたように思います。でも、この最後の岩場で考えていました。 それは本当に自分が心の底から願った人生の有り様であったか、と。 ボクはよく、器用な人と言われます。手先が器用なんです。優等生的な振る舞いもしてきたように思います。逆に言えば、特に思春期や青年期は、堅物で面白みのない人間であったと思います。 それが今、しがらみになって、ボクの人生をまさに「呪縛」しています。 奔放に生きている(ようにボクが感じている)、仲の悪い弟や、がっちゃんの方が、実はよっぽど自分に忠実に生きていて、生き方の面で器用なんじゃないかと思いました。ボクはずいぶん、不器用だなと。 この最後の岩場でそう思ったということは、今の生き方を続けていては、きっと今際の際にそう思いながら死んでいくのかもしれないなと思いました。 なんて悲しいことだろうか…。 気づけたボクは幸せだと思いましたし、遍路のもつ力を、遍路の意味をまざまざと見せつけられたように思いました。 【生き抜く】 ボクは思春期青年期に、生きる意味をずっと問うていました。社会人になってからはさすがにそんなことはなくなりましたが、それでも、社会の中での振る舞いには悩み続けていました。 真面目にやるばかりでは、批判されることも多いのです。ここ数年は、理不尽もずいぶん感じるようになってきました。言われるようにしてきたのにな…どうして?と、そう思ってきました。 でも、この岩場のところで、思いました。 人生はやり直せない。その時々の失敗も、挫折も、きっとそれでいいのでしょう。何より大事なのは、天の配剤で与えられた最期の時まで、しっかり生き抜くことなんだと。 何度か命の危機のあった、自分の半生を振り返りながら、そう思っていました。 【自分の人生を自分の手に】 女体山の山頂に立った時に思いました。 「自灯明」「犀の角のように」「毒矢の教えのように、戯論を捨てて」これまで教えていただいてきた、触れてきた言葉を思い返しながら。 自分の人生を自分の手に取り返そうと。今からでも遅くないと。もう、いかにもそれっぽい、優等生じみたことはやめようと。 いい年なので、全て投げ捨ててグレるようなことはしません。しかし、ひたひたと時間をかけて準備して、じわじわと、人生の主導権を自分に、自分の手に取り戻そうと思いました。 でも一応、『器用な』がっちゃんに相談してからと。 【ピークハントの意味】 遍路では、目的地への到着がメインなので、峠を超えることはあっても、案外、意図してピークハントすることはありません。石鎚山はわざわざ経由しましたが、そうでなければ、意図的に登ることはほとんどありません。山上のお寺も、必ずしも山頂にあるわけではないことが多いです。 しかし、最後の最後、88番を目前にして、ここに険しい女体山が置かれていて、山頂を極めるようなルートになっている意味が、この旅の振り返りをし、総括し、一種の解脱をさせるものなのだと、ボクは思いました。 【再びお大師様に】 最後の最期、本当に大切なところで手を離した『お大師様』。ピークを極めて旅を修めたと見るや、下りの転げ落ちるような下り道は、再び助けて下さいました。さながら、冥界の入口へ誘われているような、そんな気分でした。 助けるばかりが、支えではないのですね。そして、大事なところでは、きちんと導いてくださるのです。 【入滅の地】 大窪寺へ着いた時は、完全に膝が笑っていて、足の震えが止まりませんでした。でも、もう急ぐ必要はありません。35分はありましたので、納経は十分間に合うとわかっていましたから、ゆっくりと噛みしめるように納経しました。それでも、納経所閉鎖時間が近いので、線香とろうそくはやめておきました。このような気働きも、遍路を重ねて身についたものです。 コロナ禍以降、納経では黙読しているのですが、大師堂では幸い他の参拝者もおられなかったので、感謝の気持ちを精一杯込めて、ゆっくり声を出して読経しました。お堂のお大師様、ボクの傍らのお大師様に感謝しました。 結願の記念の写真はどこがいいかな?と思ったのですが、寶杖堂で撮ることにしました。お大師様と一緒に。歩きにとって杖は単なる装備ではなく、パートナーですから。同行二人の具現ですからね。 もっと込み上げるものがあるかと思ったのですが、山頂までの道である種の悟りを感じていたからか、これから先の1番への繋ぎと、次の遍路への期待、希望に満ちた清々しい気持ちだけで、淀みのない、スッキリとした気分でした。 【秘密】 この日、実は1つ致命的な忘れ物をしたのです。それ忘れるか?みたいなもの。ボクは、メモ魔記録魔なので、ここでも割と何でも書いているとは思いますが、珍しく、秘密にして、胸にそっとしまっておきます(笑) 当ててみていただいても構いませんが、賞品はありません(笑) あ、当たってるかどうか回答はしますよ(^^) 気になる方はコメントではなく、メッセージでどうぞ(笑) 【急がずに急ぐ】 帰郷先としての故郷を持たない、両親ともに大阪で、大阪で生まれて育ったボクは知らなかったことなのですが、妻と結婚してから知ったことがあります。年末年始は、地方の宿は本当に取れないのです。徳島で祝賀会をしようとなっていたので、できるだけ近くで取りたかったのですが、ようやく取れたのが、阿南のホテルサンオーシャンでした。それも残り1室。 最近モーメントで書いていましたが、遍路を始めてから、詰めて行くようになってから、距離感覚が本当にめちゃくちゃです。地図上の一定の縮尺範囲に入っていたら、どこでも近いと思うようになっています。阿南は同じ徳島だし、この1巡目の遍路で、まだまだ足も身体もできていないときでも、観音寺から恩山寺、立江寺の手前まで歩いているのだから、そんなに遠くないと勝手に思っていました。 遠かった(笑) そもそも大窪寺から引田までが「遠っ!」と。そりゃあ、次の1番への繋ぎ、引田への距離を27kmほどと自分で調べたではないですか、という感じなのですが、27kmって遍路的には「やや軽い」ので…。 それでも、事故などもってのほか!急がずに急ぎました! お大師様のご褒美だったのか、18:40頃にはホテルサンオーシャンに着きました。荷物は車に積んだまま、がっちゃんに見せたいものだけカバンに入れて、チェックインしてすぐに「外出」(笑) 阿南駅18:58発の列車に間に合いました。阿南駅で増結見られたのも良かった。動画はきっと、娘たちが喜ぶはずです。 車内に、「初詣は薬王寺へ」の広告があり、臨時特急「やくおうじ」の記載がありました。いつか乗ってみたいな! 【祝賀会】 悟ったワタクシ、がっちゃんに先程書いた「人生相談」をしました。背中を押してくれました。この男が言うのなら、間違ってなさそうだと、確信が持てました。 大阪と徳島なので、そうそう会えませんし、酒を酌み交わすのなど本当に久々だったのですが、2人で大いに盛り上がりました。 実はがっちゃん、大学での第一印象は「全然合わなさそう」だったんですよ。そんな「阿波の狂犬」(命名 ボク)とこんなに深い仲になるとは…ですよ。特に、遍路始めてからは本当に特別な関係になりました。 遍路的にはがっちゃんの方が先輩なので追い越してしまいましたが、競争ではないですからね。どちらかといえば、ボクが遍路にどっぷりで、がっちゃんが山にどっぷりという、それだけなのです。 次の祝賀会はがっちゃんの結願やね~と、話していました。 他の中身は二人の秘密です(笑) 【ほろ酔い終列車】 お酒、弱いんです。でも、好きなんです。飲み方がわからない頃は、すぐ頭ガンガンなっていましたが、この日は本当に良い感じに酔ってました。 じわじわとした結願の充実感と、これからへの希望の気持ちと、心地よい気分でした。 昭和製の垂直なシートに揺られて、ふわふわと楽しい気分のままホテルへ帰りました。 生きてりゃ色々あるけれど、悪いことばかりではないですね、ね! 45日目 13.5km 45日トータル 1195.5km (参考:新幹線 東京→熊本1167.3km・新大阪→新青森1190.3km ※実キロ) 生涯歩行距離(※1) 1268.1km/3.2% 生涯獲得標高(※2) 25,668m/25.7% ※1 2018.12.5四国遍路1回目開始後の四国遍路分+2022.5以降の記録分。生涯目標は4万km(地球一周) ※2 2022.1.22 YAMAP利用開始以降分。生涯目標は100km=10万m(地上から宇宙までの距離) 四国遍路まとめページ→https://yamap.com/moments/485074 《参考》 四国遍路 前日程→https://yamap.com/activities/21376181 次日程→https://yamap.com/activities/22138981
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