tanayuki
YAMAPプレミアム
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- 東京, 神奈川, 山梨で活動
- 東京にお住い
- 男性
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馬事公苑通り→世田谷通り→野川→小金橋→野川緑地公園→一中通り→喜多見→松葉通り→ニノ橋びっくりドンキー→滝下橋緑道→次大夫堀公園→野川→吉沢橋→大蔵通り→玉川病院→瘡守稲荷→環八ニトリ→用賀一条通り→弦巻通り→馬事公苑通り。 何の気なしに短パンTシャツ姿で外に出たら思いのほか寒くて迷ったが、走ってるうちにあったまってくるだろうと高を括ってたら、いっこうに体温も上がってこないし途中から小雨も降り出して、すっかり体が冷えてしまった。 オーディブルはカズオ・イシグロ『忘れられた巨人』の続き。 「間違っていたら言ってください。思うに、この修道院では、僧が順番に体を野の鳥に差し出すのが習慣になっているんでしょう。それは、かつてこの国で犯され、罰せられないままできた悪行への償いになるこおとを願ってのことでしょうし、いまわたしが目の前にしている醜い傷も、そうしてできたものではないのですか。しかし、それで生じる苦しみなど、どうせ信仰で癒やされ、痛みは和らぐのでしょう。あなたの顔のひどい傷を見ても、わたしは哀れみなど感じません。最悪の行為をベールで覆い隠しておいて、どうしてそれを償いなどと呼べるでしょうか。あなた方キリスト教徒の神は、自傷行為や祈りの一言二言で簡単に買収される神なのですか。放置されたままの不正義のことなど、どうでもいい神なのですか」 「私たちの神は慈悲の神です、羊飼い殿。異教の徒であるあなたには理解しがたいかもしれません。その神に罪の許しを乞うのはーー罪がいかに大きいとしてもーー愚かな行為ではありません。私たちの神の慈悲は無限です」 「無限の慈悲を垂れる神など何の役に立つのです、神父。あなたはわたしを異教の徒とあざけるが、わが祖先の神は法を明確に示し、その法に背いた者を厳しく罰する神でした。あなた方キリスト教徒の言う慈悲の神のもとでは、人は強欲に衝き動かされるまま、土地を欲しがり、血を欲しがる。わずかな祈りと苦行で許しと祝福が得られるとわかっていれば、そうならざるをえません」 「この修道院にも、いまだにそう信じている者が確かにいます、羊飼い殿。しかし、これは申し上げておきましょう。ニニアンと私はとうの昔のその幻想を捨てていますし、私たち二人だけに限ったことではありません。神の慈悲を悪用してはなりません。しかし、この修道院の兄弟たちにはーー院長を含めーーそれを認めようとしない者が少なくありません。あの檻と不断の祈りで十分だといまだに信じています。……」 社会を安定させるには、対立する利害を調整するためのルールが必要なのは誰でもわかること。問題はそのルールを「誰が」決めるのかということで、1人の王に決めさせるとバカな王が出てくるたびに民は苦しめられることになるし、優秀な(と本人が思い込んでる)エリートたちに決めさせると一部の特権階級とそれ以外のあいだの格差は広がる一方だし、村の長老たちによる話し合いではいつも若者たちの意見が無視される。穏やかな平時にはそれでよくても、有事には進取の気性に富んだイノベイターの存在が不可欠で、長老たちの支配を受けないハグレ者のなかにこそ、そういう人がいたりするから、ややこしい。というわけで、人間じゃない神様に決めてもらおうというのは、ひとつの発明ではあると思う。どんなに威張り散らしてる人間でも、神様がいうなら聞くしかない。 だが、神を神格化して(というのも変だが)絶対的な存在に近づければ近づけるほど、神にとって、1人ひとりの人間の生き死にや幸不幸はどうでもよくなる。神は、あなたがどうあろうと、つねにあそこにあらせられる。祈っても祈っても届かぬ思い。ならばなぜ、神なんか信じるのか。「神の慈悲を試してはならない」というのは、神が決して私たちの個々の要請にはこたえてくれないことを知る聖職者がよく使うロジックで、要するに、黙って従え、ということだ。ところが、社会が成熟して、民主的な手続きによって、全員とはいわないまでも、おおかたの人たちが納得できるようなルールづくりが可能になると、神の存在価値は、一気に目減りして、やがてプライベートな領域に限定されるようになる。カエサルのものはカエサルに、ではなく、パブリックなことは法律やコミュニティに委ねるのが正解で、プライベートなことは、そうしたい人だけ神に頼る、という役割分担が明確になる。 そうなったとき、つまり、宗教の対象が個人の良心の問題に限定されていったとき、原理的に個々人の要請にこたえてくれない神というのは、いったいなんなのか。「祈るだけ」で許しが与えられ、「お経を唱えるだけ」で救われる宗教には、個人の欲望を制御することはできない。だって、あとからでも祈っておけばいいわけだから。それがわかっているから、「神の慈悲を試してはならない」というロジックが出てくるわけだけど、それもまたある種の欺瞞にすぎないという話は前に述べたとおり。結局、この堂々巡りから出てこれない宗教の、少なくても「社会的」役割はもうほとんど終わったと思うのだけど、どうだろうか。 #街ラン #朝ラン #早朝ラン #ランニング
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馬事公苑通り→千歳通り→経堂五丁目→烏山川緑道→蘆花恒春園→水際の散歩道→千歳烏山→旧甲州街道→仙川→大蔵運動公園アスレチック広場→砧公園→用賀七条通り→馬事公苑通り。 相変わらず笑っちゃうくらいYAMAPのGPSの精度が低くて、要はスマホを取り出してYAMAPのアプリを確認したとき以外はほとんどログが録れてない状態なので、さすがにおかしいだろと思ってググってみたら、街中のWi-Fiが干渉してる可能性があるから、Wi-Fiをオフに+機内モードをオンにしてみて、とあったので、次回はそれを試してみよう。 オーディブルはカズオ・イシグロ『忘れられた巨人』の続き。 カズオ・イシグロの作品を読むときは、ちょっとした違和感があとで大きな意味を持ったりするので、「霧」の中に放置しておかないように気をつけて読み進めないと、と思うと緊張する。この独特の緊張感が持続するところが、たぶん、かれの作品の醍醐味でもあるので、上手に付き合いたい。エドウィンの傷と、思わせぶりな戦士ウィスタンの言葉。エドウィンの頭の中で反芻される老ステッファの、ある種の呪い。記憶をなくす「霧」の正体は、神様の忘れ物? #街ラン #朝ラン #早朝ラン #ランニング
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馬事公苑通り→農大通り→経堂→すずらん通り→赤堤通り→八幡山→東八道路歩道橋→高井戸東小→上高井戸児童館→浜田山→柏の宮公園→神田川→瀬田貫井線→下高井戸→山下→常徳院→城山通り→桜木トンネル→松ヶ丘交番→JRA住宅→馬事公苑通り。 今朝の最低気温は12℃。雨上がりの曇天で風もあったので体感温度はもっと低く、ひと月以上季節が戻ってしまった感じ。Tシャツの上にフーディニジャケットを羽織っていったが、最初は肌寒く感じた。YAMAPでもログを録ってたが、今月に入ってから立て続けに3回もGPSをロストしてまともなログが録れなかった。街ランではしばらくYAMAPアプリを使うのは控えようと思う。 オーディブルはカズオ・イシグロ『忘れられた巨人』の続き。 わずか1週間前の出来事でもともすると忘れてしまいがちなアクセルとベアトリス。アルツハイマー病でも、為政者や司祭による洗脳でもないとすれば、その忘却の原因は何なのか。2人はそれを確かめるべく、おぼろげに記憶に残る息子に会いに、旅に出る。 雨宿りのために立ち寄った廃屋で出会った鳥のような小さな老婆と背の高い痩せた船頭は、解釈の違いこそあれ、記憶をなくしたわけではなかった。では、以前に村にきた黒いボロを着た旅人の女が語ったという「この国は健忘の霧に呪われている」という言葉の意味は? #街ラン #朝ラン #早朝ラン #ランニング
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日比谷→日比谷通り→大手門→内堀通り→代官町通り→千鳥ヶ淵→一番町→麹町四丁目→紀尾井坂→紀之国坂→迎賓館→鮫ヶ橋坂→神宮外苑→神宮球場→千駄ヶ谷トンネル→原宿→代々木公園通り→富ヶ谷→上原水道通り商店街→ 航研通り→三角橋→池ノ上→淡島通り→若林陸橋→松陰神社前→世田谷通り→ボロ市通り→一服おじさん→弦巻四丁目→馬事公苑通り。 ヒューマントラストシネマ有楽町で映画「アナザーラウンド」と「アイダよ、何処へ?」を見たあと、20時50分ごろ雨の日比谷をスタート。台風14号あらため温帯低気圧の影響でガッツリ降られるも、シェイクドライが守ってくれたおかげで不快感はそこまでなかったが、どういうわけか身体が重く、まるでキレがなかった。途中あまりにお腹が空きすぎたので、コンビニおにぎりをパクついて事なきを得た。 #雨ラン #夜ラン #ランニング
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