aisai

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ユーザーID: 1194342

  • 熊本, 大分, 宮崎で活動
  • 1976年生まれ
  • 熊本にお住い
  • 男性
20
  • ID: 896061

    ヤマニタマニノボリマス 風 こもれび 蒼空 疾る雲 あつめて なんとなく 体を一度分解して組み立て直した。勇気ではなく覚悟 両親と親友と恋人 植物学者明治ノストラダムス大きくなった木は二酸化炭を吸わない。木は成長する時二酸化炭素を吸って酸素を出す。いちようの木化石神社 石段 銀杏とさくらんぼ宗教と科学 金木犀線路沿い神様はいないけどイエスはいたの神様はいないけど人間イエスはいたの富士夫鎖国センチメンタルジャーニー夏に咲き誇っていた^_^恋は冬に枯れた散った。児玉清海と毒薬例えいづれ死ぬ者でも殺す権利は誰にもない。赤鳥鈴木三重吉北原白秋貧困や病に寄り添うみんな幸せそう 苦しみや悲しみはなさそう花を飾ろう 点と線と天と地と遠藤周作海音寺チヨウジロウ松本清張19969月1988年のビンボール金栗四三徒歩部 自分の意思と人の意思あやつり人形インターネットWindows95金木犀線路脇列車が通ると薫り なしは美味しい 小田急乗ろう 青いたまご 駆ける ひぐらし 舞っている りんどう 夕霧 雨あがり 霞 囁き スサノオの恋 アマテラス の苦悩 山吹色 母の手記父から離婚の申し出 藤城清治 川瀬巴水 紫の上希望の光なんてなくたっていいムラサキノウエの 小麦畑でつかまえろ 大麦畑でつかまったアナグマたぬきハクビシンアライグマ愚作駄作徒労スモークモーセ死者の書文明の奴隷黒人霊歌ジギルとハイドスピードスター動物の血赤チン偉大過ぎると日本人内藤礼リンカーンベンジャミンフランクリンセオドアルーズベルト向田邦子倉本聰寄生獣映像化荒俣宏王貞治努力家康忍耐フランクリンローズベルト民主の終わりマジョリティよりマイノリティの方が正しいアメリカを転がしてきた日本日本はにしでもひがしでもなく真ん中社会資本主義スピードが遅い時間が経つと馬鹿な議員が増える。石原莞爾ナノ バイオしゃべりながら寝る明石家さんまアラビアのローレンス 寂寥のかなた 急な螺旋階段 走っては歩く 追いつかれるずっと泣いていた。 協会の金天使にラブソングアカペラ ゴスペル 福音 讃美歌 ロゼッタストーン^_^本能 軟弱な理性 圧倒的な本能 弱い者夕暮れ 深い緑 太陽が明る過ぎ まばたきににつはにあなあはあひ羊とヤギ 死とタブーひとは矛盾したもの 漱石の孤独 アイロニー 寂寥の彼方 素晴らしい日々 白黒 母の手記 父の遺書話は不安 書き手は安心 乃木三島阿南大西武市清水宗治恋愛かヒロイズムフランス人ハラキリ 泣きながら縫う頭ビール瓶で殴る赤穂浪士寺山修司宮脇俊三 氷点 太陽の季節 野島信二 強弱 躁鬱 陰陽二面性 多重人格 ヤヌス 矛盾 天使と悪魔 天真爛漫無邪気 神経質 潔癖 北の漁場 酒よ 星の王子さま ルイスキャロル 時刻表 点と線 国道とは思えない 井上聞多 世界はナナメから見よ 偏屈のススメ マニアック過ぎて伝わらない日本史 良いキチガイと悪いキチガイ良性と悪性 結婚したくないけど子供欲しいサニーデイサービス町田康花見、木を切るイヤホンつけたまま耳掃除をする トロ子検査薬 釣りをしている人を見ている人を橋の上から見ている人。答えは風に舞っている ゆふ ツバクロ フジヤマ ホタカ 駒子 浅間さん 立山さん 谷川さん 風に吹かれて 風をあつめて 風になりたい風三部作車海老殺したくないもう慣れ合いは好きじゃないゆふの背負った重い十字架スズキジムニー雨漏り靴を帰るたんび洗うつけオッケーメモもしないツルギヤクルトファンツバクロノストラダムス父北鎌尾根死ホタカカーペンターズキャロルキング思い出と呼べない遺書松濤明ユフとかいてゆう生まれ変わりたい起承転結 日本の馬鹿100選 オオイヌノフグリ 酢漿美空 病気には休みがない光と闇精神対物質民主対社会苦痛の時死にたい少しでも和らぐと行きたいと思う悲しみは消えないハイスクール落書きトレイントレインナポリオンヒルデールカーネギー人を動かす こんなに大変な思いをしてまで人を動かそうとは思わないヒトラーの演説2人アイガー北壁黒い霧がゆっくり栗林中将の辞世帝都物語 寄生獣中島敦夢野久作 ロビンソン夫人は満たされないモノでは満たされない小説は虚構だけど虚構じゃない。不完全な虚構だから読めるのよ。完全なる虚構だったら何も感じないと思うの」強盗の法印 榎の僧正 僕は正直言って驚いた。こんなに深く考え Kもミセスロビンソンも怖いの卒業も確かに怖い ケイも先生もロビンソン夫人も苦悩してい 自分もそんな風に苦しみ続け無ければならないのか? Kの心は矛盾していた。ロビンソン夫人も 完全 虚構は作れない使っても貯めても金は役に立つ矢沢成り上がりハードル低く上手い文章は映画に向かないロビンソンの苦悩 ダヴィンチの名言 気にしたら負けやで 菊次郎とさき村上春樹は自分が書いたもん覚えてない 死は統計にすぎない 命は毛筆より軽い 吹けば飛んでく レンジに猫 カブト虫洗う 長島天覧試合 単純作業思考を止めずに済む カタバミの中のオオイヌノフグリウスバカゲロウ やまのぼり 窓の外から山が囁きかける。そして私はなんとなく 行きたくなって ふらりふらりと登るのだ。すぐに息が切れて苦しくなり、ハアハア息が上がるのだがかわいい人とすれ違う時だけは、息切れがバレないように我慢して、澄ました顔してやり過ごし、そうして何とかかんとかふらふらしながら、頂きに着くと適当な岩に腰掛けて、黒豆茶をすすりながら放屁します。ほっとすると出るもんです。しかし山頂に人が居るとなんだか落ち着かなくて、すぐ下山しちゃいます。 下りは息が切れないので好きですが、それも最初だけでその内膝がガクガクなって、足の裏が痛くなって、ヨロヨロしながら五回か六回も転んで、肘とかお尻とかリュックとかドロドロになりながら下山します。心は情け無い気持ちでいっぱいになり、涙が出ます。山登りとは大抵の場合こんな情け無いもんです。快晴から急にもくもくしてきたと思ったら、あっという間に雨なったり、酷い時はゴロゴロなったり、もっと酷い時はピカピカなり出し、つい失禁しちゃったり、馬鹿みたいに風が吹いたり、急に止んだり、ファンキーな虫がずっと着いて来たり、変な動物の鳴き声が怖かったり、動物の糞の上にとても綺麗な蝶がとまっていたり、霧なんだか雨なんだか露なんだか気付いたら全身ベショベショになってたり、ヒグラシと鳥が鳴きすぎてうるさかったり、蜘蛛の巣に100個ぐらい遭遇して繭みたいになったり、クソ熱いのにクソ寒かったり、鼻水が幼児みたいに垂れたり、お気に入りの靴が泥だらけになったり、楽しかったり苦しかったり、美しかったり怖かったり、上がったり下がったり、想像よりも道が悪かったり遠かったり、帰りの車メチャクチャ眠かったり、怒ってると思ったら優しかったり、働いてくれてると思ったらすぐ辞めちゃったり、働いてないくせにブランド物のプレゼントくれたり、と思ったら無心してきたり、愛してくれてると思ったら帰って来なくなったり、一晩で何十万も散財したり、昼間から飲んでたり、たまに博打で大勝ちしたり、甘え上手だったり、癇癪起こしたり、「愛してる」と言った直後に殴ったり、春から夏にかけて青くなったり、夏から秋にかけて黄色く紅くなったり、冬には白くなったり、青くなったり、赤くなったり、白くなったり、ただ一つ山の偉いトコロはそこにじっとして、雨が降ろうと風が吹こうと、寒かろうと暑かろうと、ただそこに居るそれで良いんです。それが有難いのであります。そんな山だったりヒモだったりの事をとりとめもなく考えていたらいつの間にか下界でございます。 富嶽様 古来よりこの日本では山は富士 人は武士 飯は寿司 そしてガリとか言ってますが、最近の富士山はチヤホヤされ過ぎて見っともないです。宝永噴火から100年ぐらいは恐れ崇められてましたが、近頃は人間に媚びているようで、どうも世界遺産に登録されたあたりから、天狗様になってないかと危惧しております。しかしながら新幹線でゲームしたり、おしゃべりしてた修学旅行中の高校生が、左手に富士山が見えた瞬間全員がおおーっと歓声上げて食い入るように見ています。流石は大スターであります。古の時代から日本の大スター富士山です。聖徳太子とか空海上人とか清盛ちゃんとか信長公とか南洲翁とかが徒党を組んでも全く敵いません。日本の有史以来一番人々を惹きつけた大スターであり続けているのです。流石は富士です。子供達を一瞬で虜にします。高校生はまだ子供ですからいいですが、大の大人もこぞってあなたに食らいつきます。全くの野暮です。僕は九州の人間ですから中々あなた様を拝めませんので、メチャクチャ見たいけど我慢します。そんな鼻の高い天狗の富士山なんて嫌いなんです。そしてすごい後悔をします。そして東京に着いてから、小さな三角頭巾のあなたを見つけておっと小さく声が漏れます。北斎の江戸日本橋の様な小さな富士山です。凱風快晴のように人に見られようしていない富士山です。尾州不二見原とか神奈川沖浪裏みたいに人に媚びてない隙のある富士山です。河口湖の逆さ富士とか三保の松原とか桜と富士とかテクニックをつけた富士山は恥ずかしいもんです。宝永噴火あの時代富士山は最高に粋でした。上から噴火するもんだと思ったら横から噴火して日本人の度胆抜きました。大したもんです。そのまま箱根山や阿蘇山見たいに富士山も一回ぐちゃぐちゃにになれば低い山の気持ちや形の汚い山の気持ちも分かったかもしれませんが、なんだかんだで綺麗な形を捨てきれず今に至っています。広重の箱根山 湖水図みたいな粋な山になれなかったんです。しかし僕は帰りの新幹線で見ちゃったんです。貴方の秀麗な姿を!膝から崩れ落ちました。そしてひざまづいて非礼を詫びました。嫉妬です。僕はあなたに嫉妬して妬んでいたのです。ごめんなさい。嗚呼 やっぱり日本の16667ある山の親分はあなたしかいない そう思いました。日本一の標高3776メートル文句なしのダントツです。そしてなんと言っても独立峰でこれだけ優美な裾野の広がり方は唯一無二でございます。東海道からでも中山道からでも何処から見ても美しゅうございます。特に雪化粧された御姿は天下一品でございます。 山は霧 夕霧 山は雪 粉糖 山は花 春竜胆 山は岩 丸くツルツル 山は川 祝子川 山は木 断崖絶壁の小さな松 山は星 夏は蠍 冬は昴 山は虫 七色の斑猫 山は雲 高積雲 山は草 茅 山は獣 貂 狂騒 私は40歳を超えてから嫁のつーちゃんに逆らわない事にしました。理由は言うまでもありません。戦うよりも堪える方が楽だからです。私は野戦よりも籠城の方が、得意なんです。 ある日つーちゃんは100均で首輪とリードと餌皿を買ってきました。私の心はざわざわしました。私の住むマンションではペットは飼えません。 先週末3歳になる息子のさっくんとわんわん広場なる所に遊びに行って、チワワ だのプードル だのポメラなんとかだのラブラドールナンチャラだの 土佐だの秋田だのあらゆる種類の犬と触れ合い、帰りました。それは以外と私も楽しく過ごしたんです。そして案の定と思いきや、普通は「犬が欲しい」と言うのでしょうが、何故かさっくんは「犬に乗りたい」と言い出しました。「犬は乗る物じゃないよ」つーちゃんはケラケラ笑いながら言って、「それじゃあパパに乗ろっか」と言って力づくで四つん這いにさせられ、何故かつーちゃんが乗ってきた。「あっ」私の腰は一瞬でやられました。つーちゃんは自分の体重知らないのだろうか?そんなに体重かけたらと言うか、さっくんなら兎も角つーちゃんあなたはふくよかですから絶対無理ですよ。しかし私は耐えました。忍耐の大切さは40年行きてりゃ、そりゃ身にしみて分かっております。なんとかつーちゃんには降りてもらい、さっくんを乗せてあげたら「ケケケ」「ケケケ」と妖怪みたいに笑います。そして「パパあっち」と言って私を上手に操縦し廊下を20往復ぐらいさせといて 、急に乗り捨てて今度は積み木を私に向かって投げ始めました。つーちゃんはケラケラ笑いながら、「頭を狙うのよ」と言い、当たったら、「流石さっくん上手ね」と褒めていました。私はダブルで頭がクラクラしました。そしてその翌日つーちゃんは100均で犬の3点セットを買ってきたのです。私はつーちゃんの頭の中を疑いました。首輪とリードは兎も角、餌皿っていうのは謎過ぎます。狂人つーちゃんは私の首に輪っかを嵌め、リードを着けて、満面の笑みを浮かべ、大きな声で「さっくん犬パパよー」さっくんはドタバタ走って来て私に飛びつきます。リードを掴んださっくんは水を得た魚のように家中を引きづり回し、そして「ケケケ」と笑うのでした。私が解放されたのはそれから2時間後でした。私は頭と身体が自分の物じゃないみたいにふわふわして、いつの間にか眠ってしまいました。 私は病院にいます。若い小柄で愛嬌のある看護師さんが優しく「これはさぞ痛かったでしょう。もう大丈夫ですよ。安心してくださいね」私は久し振りに人の温もりとか優しさとかいうものに触れ、つい感涙しました。その時でした。その看護師さんが私の首を締めて「ケケケ」と妖怪みたいに笑いだしました。ハッと目を覚ますと、さっくんが歯を食いしばってリードを引っ張っています。私は冷や汗が出ました。反射的に私は四つん這いになり「ワン!」と吠えていました。自己防衛本能です。さっくんは大喜びで「ケケケ」と笑ってリードを緩めてくれました。「あっそうそう寝てる間にこれ買って来たの」つーちゃんはポイっと私の前にチワワのお面を投げました。「これすごくない。とても100円とは思えないクオリティ」つーちゃんはしきりと感心していました。つーちゃんにとって私の心なんてものは遠い銀河の彼方にあってこの地球には存在しないものなのでしょう。私は黙ってそのお面をつけました。そして「わおおおーん」と吠えました。2人は大爆笑でゲラゲラいつまでも笑っています。私もなんだか可笑しくなって笑いました。ふっと心が温かくなりました。するとさっくんが「お外!」と言いました。私がキョトンとしていると「あなたお外よ」つーちゃんが真顔で言っています。私はお面をはずし立ち上がりました。「パパダメェーーーー」さっくんがわんわん泣きだしました「あなた早く!」私はサッとお面を付けて四つん這いになりました。さっくんはピタリ泣き止んで「ケケケ」と笑って「お外」と言います。私は数秒考えて、腹をくくり、「ワン!」と吠えました。さっくんは目を輝かせて外に飛び出して行きました。私は人目につかぬよう小さくなって、さっくんに引きづられて公園に辿り着きました。公園には5人の子供たちと3人のママさんが遊んでいました。私は弁明するのも面倒くさくて 「ワン!」と吠えてやりました。すると1人のママさんがクスクス笑い始めました。つられて全員ゲラゲラと笑いだしました。私とさっくんも可笑しくなって笑いました。私はなんだか楽しくなって公園中をさっくんと子供たちと走り回りました。みんなの心がひとつになったような幸せな気分で駆け回り笑いました。私はもうこのまま犬として一生を終えてもいいとさえ思えて来ました。しかし突然「きゃー!」とママさんが悲鳴をあげて私を見ています。その場は凍りつきました。さっくんも怯えています。視線の先には血だらけの膝が2つありました。気持ちが高揚し過ぎて、全く痛く無かったんです。一瞬にして世界は一変しました。私は立ち上がり、軽く会釈すると、公園に暗い影を残して、さっくんの手を引いて、トボトボと帰路に着きました。帰り道しょんぼりしているさっくんに「ごめんね」と言いました。さっくんは何も言いませんでした。私は犬の気持ちが少しだけ分かったような気がしました。家に着くとつーちゃんが食事の用意をしていました。「さっくんお帰り、早く手を洗っておいで、ご飯よ」さっくんは拳を突き上げて「やったあー」と叫びながら、リードを投げ捨て走って行きました。後から私がリビングに入ると、テーブルに綺麗な形のオムライスが2つ、床に1つありました。私はもう何も考えませんでした。思考停止です。「ハアハア」言いながらオムライスに喰らい付こうとしました。「待て!」さっくんが鋭く言いました。私は反射的に止まりました。「おすわり!」身体は自然に座り、舌を出して「ハアハア」言ってます。「良し!」私はオムライスに飛びかかりました。「あっ!」忘れてました。「あははは、あなた本当に馬鹿ね。お面取らないと食べられないわよ!」チワワのお面はケチャップまみれです。つーちゃんはゲラゲラ笑いました。さっくんもゲラゲラ笑いました。私も本当可笑しくって涙を出して笑いました。3人でゲラゲラ笑いました。これでいいんです。私は心の中で「生まれ変わってもまたつーちゃんとさっくんと暮らせますように」と心から思いました。 仮題 風をあつめて ソノウチワスレル 人はソウイウモノ じゃないと 生きていけないじゃない。 何かで読んだ? 聞いた?ワスレタ 私はまだ忘れられない。その度に首を絞められたような、肺を握られたような、息苦しさを感じる。それは音だったり、匂いだったり、味だったり、風だったり、海だったり、山だったり、霧だったり、雲だったり、あらゆるところから連想されて思い出される。というより引きずり出される。引きずり出しているのは私なのだろうか?ソレトモ .……… 海岸線を走る車の中で僕は取立の免許なのもあるが、生まれて初めてのデートだ。助手席の彼女を見る余裕も無く、とにかく沈黙を逃れる為、喋った。が何を話しても会話が続がなかった。赤信号の時、思い切って彼女を見た。彼女も固まって緊張していた。口元が微かにふるえているようだった。その時ラジオからJUDY AND MARYの「over drive」が流れ出した。「私 、好き」 心臓が止まりそうになった。「ジュディマリ」 意味が分かった。「これ 良いよね。ユキちゃんかわいいよね」それから彼女は堰を切ったように話した。僕たちは「北の国から」や「ひとつ屋根の下」の話で盛り上がった。僕は五郎やあんちゃんのモノマネをして彼女を笑わせた。それから僕たちは海鮮丼が有名な定食屋に入った。注文して待ってる間、阪神大震災や地下鉄サリン事件の事など今までと変わって深刻な話をした。最後に「男はつらいよ」の渥美清が死んだ話をした。彼女はそういう話の時、聞かれてはいけない話をするかの様に小声で話した。それがとても可愛く思えた。海鮮丼の上で車海老が動いていた。「私食べれない。大谷君食べて」彼女曰く生きたままは、可哀想ということらしい。殺して食べるのは可哀想じゃないということでもある。店内ではSOUTHERN ALL STARSの「真夏の果実」が流れていた。僕たちはその後丘の上の展望台に行って、将来の夢や不安、現在の悩みの事など色々な話をした。彼女の心は安定せず、ゆらゆらしているように思えた。「何でも話して、聞くから」僕は優しく言った。「私、ノルウェーの森を読んでから、不安になったの」僕は読んだ事なかったので、よくは分からなかったが、「キズキと直子が死んで、渡辺君は何であんなに」彼女は「とにかく一回読んでみて」と言ってその話は終わった。 展望台からは五つの大きな橋と大小様々な島々が見えた。遠くに積乱雲がもくもくと膨れ上がっていた。僕は帰りの車でキスをした。それを合図に物凄い勢いの夕立ちが降りだした。彼女は震えているようだった。夕立ちは太陽が沈むまで降り続けた。西の空は幻想的な赤だった。僕たちはずっと黙ったままだった。「ごめん 」「ううん 嬉しいの…初めてなの」 彼女はうつむいていた。僕は彼女を女子短大生が住んでいるとは、とても思えない男子寮のような木造アパートまで送って行った。「よかったら…茶」彼女は搾り出す様に小さな声で言った。彼女の部屋は予想通り綺麗だった。本棚には文庫本が綺麗に整列していた。彼女はお茶を入れてくれた。 ジャスミンティーだった。「はい さんぴん茶」白い本当に白い笑顔だった。彼女はお茶を飲むと少し落ち着いたようだった。僕は我慢出来ずにまた 彼女にキスをした。そして痩せた胸を掴み、うなじに優しくキスをした。いい薫りが鼻に、耳には微かな吐息が聞こえた。僕は下半身に手を伸ばした。彼女の華奢な身体は急に硬直した。「ごめん」僕は彼女から離れた。しばらく沈黙が続いた後、「お酒でも飲まない」彼女から意外な言葉が出た。「うん」さらに意外な事に彼女はブランデーを持ってきた。「私 眠れないの」 「毎晩?」「ほとんどそうよ」「どうして?」「不安なの」「何が?」「分からないの」僕たちはそれをストレートで飲んだ。彼女はおもむろにCDをかけた。PETER PAUL&MARYの「風に吹かれて」だった。「いい曲だね」「うん 、歌詞もいいのよ。 答えは風に舞っているって。私本当そう思うの…ボブ ディランの詩は文学だわ」僕にはよく分からなかった。彼女は少し酔ってきた様だった。「ねぇ 私と大谷君だけさぁー何で名字で呼ばれるの? 他の人はみんな名前で呼び合ってるのにね。」確かにバイト先で僕と彼女(赤井さん)だけ名字で呼ばれていた。「私もねぇー名前で呼ばれたいのー」「いとって名前可愛いよね。いとちゃん好きだよー」「あはは ーありがとうー大谷君はサトシ君だねー大好きよー」そう言って2人は大爆笑した。「ねぇお父さんが、つけたの?」「うん お父さん男の子が欲しかったみたいで、私が生まれた日泥酔して、良し!決めた。いとだあ。 赤井いとだあって言って寝ちゃったんだって、お母さん冗談だと思っていたら、次の日も覚えていて、「武士に二言はない」と言って引かなかったんだって」「良い名前だよ。良いお父さんだなぁ」…………「でもね。去年 死んじゃったの」「えっどうして」……「自殺したの……ねぇサトシ君 躁鬱病って知ってる?」「うん 何か聞いたことはある」「鬱の時はいいのよ。ずっと寝てるだけだから……躁状態の時が酷いの。家のお金全部持って散財してきたり、罵声を浴びせたり、私も随分殴られたわ」 「ごめん」「もういいのよ 。私もお母さんもむしろ安心したの……でも私、怖いの」「何が怖いの?」「私もお父さんみたいになるんじゃないかって」「そんなこと絶対ないよ」「何で絶対って言えるのよ?」 しばらく沈黙の後、僕はいとの肩を抱き寄せてキスをした。僕たちはその後、井上陽水の言葉を借りるなら、魚になって、泳ぎ、跳ねて、掻き、反転して、果てた。 いとが眠るまで、僕はいとを抱いていた。いとの寝息が聞こえてからも、随分の間、いとを抱いていた。いとが寝てから、だいぶ経っても僕は目が冴えていた。いとを起こさないよう、気をつけてそっといとから離れた。洗面所で、顔を洗って、いとの本棚から夏目漱石の「こゝろ」を取り出して読んだ。下の先生と遺書から目がが離せなくなった。結局は夜明けまでかけて全部読んでしまった。朝、ひぐらしが鳴き始めると、このおんぼろアパートは隙間が多いのだろう。ほとんど外に居るのと変わらないくらいに蝉と鳥の大合唱だった。大合唱のせいかは、分からないが、いとが「サトシ君もう起きたの?」と目をこすりながら、言った。僕は一睡もしてないとは言わなかった。「うん、まだ眠いでしょ。気にせず、寝てて」いとはまた目をつむった。窓から空を見上げると、もうすっかり秋の空だった。いとは、起きると熱い濃いコーヒーを入れてくれた。最高に、美味いコーヒーだった。「こゝろ」読んだの?」「うん 高校の教科書でちょっと読んで以来、面白かったぁ。」「こゝろ」のさぁ先生の手紙って、滅茶苦茶長いと思わない。不自然なのよ。私自殺する人間…死のうと思っている人間がこんなに長い手紙を書くエネルギーって無いと思うんだよね。でもね私 先生とKの気持ちすごく分かるの。 キズキと直子も……」 「そうだねーそう言われると確かに……でも全然自然に読めたなぁ …小説って虚構だからかなぁ?」「小説って虚構だけど虚構じゃないの不完全な虚構…だって完全な虚構だったら何も感じないと思うわ」僕は正直言って驚いた。彼女私も好きよ」僕たちはまた魚になった。そして跳ねた。もうすっかり昼下がりの頃僕たちは玄関で恥ずかしいキスをしてから別れた。 帰り道 、僕はいとが初めてではなかったと思った。 その晩、いとはバイトを休んだ。代わりに富士夫が入った。富士夫は自分の事を和製エジソンと呼び、発明家を自称していたが、画期的でない物ばかり作っていた。僕らは彼を「崩れ富士」と陰で言っていた。しかし、彼の場合、面と向かって言っても気にしないような奴だった。富士夫は僕の事を馬鹿にしてか大谷先生と呼んだ。僕は、面倒なので相手にしなかった。その日富士夫は明日自分にとっての一大イベントがあるから来て欲しいと懇願した。「大谷先生が居ないイベントなんて清盛のいない平家です」などと意味不明な事を言って口説いて来た。ぼくは明日はいとのアパートに行こうと思っていたけど、富士夫の説得に、負けて海岸に出かけた。行くと富士夫はピンクのヘルメットを被りつなぎ姿で、自転車とゴムボートを足して割って、ペダルの所にヒレみたいな物がついている乗り物にまたがり、演説を始めた。「われわれ人類は自由の精神に育まれ、偉大なる叡智と共についに、ここまで辿り着きましたー人民による人民のための奇蹟の発明が云々」とリンカーンのゲティスバーグ演説が所々とっ散らかった演説をたった2人にした。富士夫はもったいぶって、何が始まるのかを言わなかったが、2人とも知っていた。僕は来た事をすでに後悔し始めていた。富士夫は1年くらい前から水陸両用自転車を作っていた。そんなもん誰も必要としてないと思ったが、富士夫は「これは日本人には売れないがアメリカ人には売れる。アメリカ人は馬鹿だからな」と豪語していたが、売れる 売れないの前にいつも失敗した。富士夫は大きな声で「お前らー歴史的瞬間をしっかりと目に焼き付けておけー世界初の水陸両用自転車 「サイクロン秀樹5号」発進!」彼は川から50メートル程距離をとって全力で自転車いや、サイクロン秀樹5号を漕ぎ始めた。サイクロン秀樹5号は猛スピードで海に突っ込んだ。「おおおおー」僕たちは思わず歓声をあげた。10メートルくらい進んで「おい お前ら見たかー」それから進まなくなって戦艦大和のように船首をゆっくりと上げて沈んだ。「やっぱりねーあはは」僕たちは大笑いした。その時後ろから警官2人が現れ、「アレは何をやってるんだ?」と聞かれ、僕はとっさに「知りません」と言って2人で逃げた。丘の上から見ていると、富士夫は警官としばらく話しをしてそれからパトカーに乗って行ってしまった。「大丈夫かなぁ?」敦士が心配そうに言った。「誰だと思ってんだ富士夫だぞ。」「そうだな 富士夫だもんな。 帰ろっか」帰り道に敦士はGREEN DAYが来日する事やエヴァンゲリオンというアニメの事を教えてくれた。海は穏やかで風が心地よかった。秋が近づいていた。それから、いとのアパートに寄ってみたが、彼女はいなかった。自分の部屋に帰ってみると、富士夫が待っていた。「どうやって入ったんだ?」富士夫は窓を指差して「閉めとけよ」と言って笑った。「ところで、お前、大丈夫だったのか?」「お前ら本当酷いよな。気づいたらいないしさぁーあれから派出所で、最近、海に自転車みたいなのがよく捨ててあるって近所の住人から通報があって、張ってたら俺が海に突っ込んで行くのが見えたって。根掘り葉掘り聞かれて、もうそんなバカな事やめろって言われたよ。」「もうやめろよ」「俺は絶対諦めねーよ」それから富士夫は大河ドラマの話しを始めた。彼は歴史オタクで信長の叔父さんとか従兄弟とかマニアックな事まで知っていた。 大河ドラマ「秀吉」での備中高松城の水攻めの時の農民達が最高だの清水宗治の切腹が見事だの言って、最後は「自分はあの時代に何故生まれなかったんだあああー」と言って泣き出したと思ったら、竹中直人のモノマネで「心配ご無用!」と何度も言って僕を笑わせた。彼は散々喋って帰って行った。 僕は缶ビールを開けて一口飲むと横になった。窓から入る風が気持ち良くて、知らない間に眠ってしまった。 目を覚ますと、すっかり暗くなっていた。「りりりんーりり」とコオロギだか鈴虫だが分からないが虫の音が気持ち良かった。僕は喉が渇いて、横にあったぬるくなった缶ビールを飲んだ。「それ飲んぢゃうんだあー」 「うわあああー」僕は情け無い声あげた。声の持ち主が、いとと分かるまで暫くかかった。「ねぇそれって美味しいの?」「まあまあね」 「どうやって入ったの?」「窓よ」「ここ2階だよ」「梯子の下に「大谷先生の家」って表札がかかってるわよ」富士夫の仕業だった。「崩れ富士の野郎!」「なあに?崩れ富士って?」「富士夫の事だよ!あいつは心だか、頭だか、どっか崩壊してるんだよ」「それで崩れ富士? あんまりセンスないわね。私だったら、そうねー馬鹿富士!」僕はおもわず吹き出した。「いとちゃん それいい!最高!」2人で爆笑した。「だって富士夫君って、馬鹿なのよ。崩壊してるのはあ・た・ま・ だってあの人のメンタルすごくない?」確かに富士夫はバイト先でどんなに怒られても 、「何処吹く風」って感じで、ある意味尊敬していた。「私 富士夫君と仲良くなれそうに無いわ。誤解しないでね。すごい いい人なのは解ってる。」「ねぇいつからいたの?」 「結構前からよ。サトシ君あんまり気持ち良さそうに眠ってたから 起きるの待ってたの」「どうしてバイト休んだの?」「うん ちょっとね……ねぇ映画でも見ない?」「えっ今から?レイトショー?」「違うわ。レンタルビデオよ」僕たちはビデオ屋までの途中「フォレスト ガンプ」のトムハンクスが可笑しかったとか、「ショーシャンクの空に」に感動したとかで盛り上がった。僕が「レオン」の話をすると「私もね。マチルダみたいに強くなりたいの。」と言った。いとは虐待を受けてるマチルダと自分が重なって見えたのだろう。「マチルダって可愛いし、カッコイイよね。」「うん 私も…きっと いつかね」ビデオ屋に着くと店内ではPUFFYの「これが私の生きる道」が流れていた。「最近 これ流行ってるよね」僕は言った。「この2人羨ましいなぁ。なんかさー頑張って無い感じがねぇ。いいのよね。きっと」新着ビデオはほとんど借りられていた。僕は敦士が言ってた。「エヴァンゲリオン」の事を思い出した。「エヴァンゲリオンって知ってる?」「聞いた事はあるけど…アニメでしょ」僕は敦士が面白いと言ってた事を話した。「敦士君なら間違いないわね。それ見ましょ」僕は5話くらいまで借りようと思ったら、「あなた!男でしょ!今日は朝まで見るわよ」と結局24話まで借りた。僕は映画なら2時間だし、その後SEXが出来ると期待していたので、残念だった。しかしまさか朝までは見ないだろうと思った。僕たちは帰りにコンビニに寄ってクラッカーとチーズとワインを買って、また「パルプフィクション」や「アポロ13号」とか映画の話をしながら帰った。エヴァンゲリオンは最初から面白かった。しかし かなり難解だった。分からない言葉もかなり出て来た。「ねぇプロトタイプって何?」「試作機の事よ」「シンクロ?」「同期」「ジオフロント?」「地下空間」「マギ?」「マタイの福音書の賢者の名前だわ」「テーゼ?」「ドイツ語で命題」「リビドー?」「性衝動」いとがこんなに博識なのには驚いた。賢いとは思っていたけど、少し引くぐらい凄かった。富士夫の歴史レベルだと思った。「ATフィールドって?」「単純にバリアーとかっていうんじゃなくて、多分、自我境界線 自分を自分として保てる限界のラインの事」何を言っているのかよく分からなかったが面白かった。「ゼーレ、使徒、ネルフ、S2機関、N2兵器、セカンドインパクト、死海文書、生命の実、知恵の実 ダミーシステム」など、かなり説明無しで出て来るけど、いとはかなり理解して観ているようだった。僕は頭が混乱してまとまらないけど、それがなのかどうか、分からないけど分からないからこそ、その世界の魅力に引き込まれていた。いとは最初は僕の質問に穏やかに答えてくれていたが、中盤からのエヴァの暴走だったり、アスカ ・ラングレーが廃人同然になったり、綾波レイが自死したり、怒涛の展開になって来る当たりから、呼吸が荒くなったり、肩が震えたりしてきた。僕は後ろからそっと抱きしめた。後ろから顔を覗くと目が真っ赤になって口の右端が歪んでいた。「サトシ君ごめんね。私…エヴァの暴走とお父さんがシンクロして…私………」いとはエヴァの暴力とお父さんの暴力が重なって見え、記憶が蘇ってくるみたいだった。僕は優しく抱きしめたまま、今日富士夫が言っていた秀吉の口癖、「心配ご無用!」を心の中で何度も何度も繰り返し、「僕が守ってあげるから」と心の中で誓った。心の底からいとが元気になる事を願った。最後はシンジの精神世界で良く分からないままに終わった。いとは泣いていた。微かだが泣いていた。僕は優しく抱きしめたまま黙っていた。いとも黙っていた。2人に物凄い睡魔が訪れた。東の空は濃紺とオレンジのグラデーションが幻想的な世界を人が寝ているのを見計らってなのか作り出していた。それは宇宙と地球の境界をオレンジのクレヨンで線引きした様だった。そのまま僕たちは抱き合って眠った。爽やかな早秋の昼下がり、僕たちはほとんど同時に目を覚ました。僕は「大丈夫?」と聞いた。「昨日はごめんなさい。それにしてもロボットアニメも馬鹿に出来ないわね」 「でも驚いたなぁ。いとちゃんよく知ってるね。色んな事」 「私ね、お父さんの病気もそうだけど、私自身も情緒不安定だから、色んな事学んだの。自分やお父さんを救う為に。ユング、フロイトやアドラーの心理学 や……デカルトの方法序説や……カントやニーチェや孔子や孟子や……西田幾多郎の哲学から………福音書やコーラン、釈迦や親鸞の宗教まで…でも駄目なの」僕は地球外生命体の言葉を聞いているようで、ちんぷんかんぷんだったが、いとが苦しんでる事は分かった。それから僕はいとを家まで送って行った。送る間僕たちの口数は少なかった。もう欅や銀杏や桜が黄色く色づき始めていた。僕は帰りに仲間の溜まり場の喫茶店「OLIVE」に寄った。予想通り敦士が居た。この喫茶店はギターが置いてあって、誰でも自由に弾いてよかった。敦士はギターが上手くてよくここで弾き語りをしていた。僕が「OLIVE」に入った時、彼はNIRVANAの「smells like teen spirit」を弾いていた。弾き終わった後、敦士は「どうしたの?何か元気ないなあ」「ちょっとねぇ」僕はいとの事を少し話した。「赤井さんが!そうなんだぁ。カート コバーンも、10代の頃から鬱っぽかったらしいよ。薬物が原因で自殺したとか言われているけど」「自殺!」僕は思わず叫んでしまった。「ごめんごめん、赤井さんは大丈夫だよ」それから敦士は「カート コバーンの他にジミ・ヘンドリックスやブライアン・ジョーンズ、ジム・モリソンなどが27歳で尾崎豊が26歳で死んだ」と人の死んだ話をした。僕は山田風太郎の「臨終図巻」を思い出した。それから敦士はBRYAN ADAMSの「summer of 69」を歌って帰った。僕は気持ちがなんだか落ち込んで、コーヒーを飲みながら、こういう時は富士夫だなと思い、店を出ると、富士夫のアパートに行って見た。富士夫はアパートの前で上半身裸で何やらやっていた。僕は嫌な予感がしたので、反転して家に帰ろうとした。そしたら後ろから大きな声で「いやぁー大谷先生ー丁度良かった。近うー近う」見つかってしまった。「何が丁度いいんだ?」「俺が今、何してるか分かるか?」「分からないし、知りたくもない 」「いや 、大谷先生は知りたい」「いや、知りたくない」「知りたい」しりたいしりたくないしりたいしりたくないしりたいしりたくないしりたいしりたくないしりたいしりたい 「ほら!知りたいって言った!」 「もうー分かったよ!何してるんだ?裸で!」「そうか、いい子だ。その前に…」僕は本気で殴ろうかと思った。「俺が将来何になりたいか分かるか?」「変人!」「馬鹿モン!」何故か一喝された。彼のペースに僕はまたしても巻き込まれてしまった。「俺はなぁ……………大きくなったらなあ………………武士になりたい!」「ぶっ!」僕は吹き出してしまった。彼は真面目な顔で、「武士は7歳で切腹の仕方を習い云々…」とか「会津藩の「保科家訓」とやらは素晴らしいとか言って、最後に大声で「ならぬことはならぬものです」と言って泣き出した。僕は可笑しくて、仕様が無かったが、本気で泣いてるので我慢して笑いを堪えながら、「それで何をしてるの?」と聞いてみた。彼は急に元気になり、「よくぞ!聞いてくださった!お見事!」と怒鳴った。僕はもうなにがなんだか分からなくなって疲れ果てその場に座った。「俺はなぁ 武士の命 、刀を作ってる。」彼は真面目な顔で言った。富士夫の前には大きな砥石と鉄の棒があった。彼は鍛冶屋が刀を作って、武士は刀なんか作らない事を知らないのだろうか?僕は思い切って聞いてみた。「それは普通の武士だ。つまり唯のサイヤ人だ。俺はあああーースーパー武士だああー」富士夫は何かに取り憑かれたと思うことにした。彼はホームセンターで買ってきた建築現場などで使う鉄の定規を砥石で研いで刀にするのだと言う。一週間前から毎日2時間研いでるらしい。見た所、ほとんど原形のままだった。これは2.3年かかりそうだと思った。「武士になりたいなら 、サクッと腹切ればいいのに」と言いかけて辞めた。僕は密かに富士夫はもしかしたら将来とんでもないどデカイ事をするかもしれないと思っていた。「じゃあ 帰るね。あんまりこん詰めんなよ。時々休憩しなよー バイバイ」少し間をおいて後ろから「心配ご無用!」と馬鹿でかい声で言ってきた。僕は振り返らずに「してねぇーよ!」と突っ込んだ。僕は帰りながら、富士夫に会って良かったと思った。やっぱり馬鹿だけど、真っ直ぐで正直で完全に吹っ切れてる富士夫には感謝しか無かった。いとはそれから一週間くらいバイトを休んだ。代わりは富士夫だった。富士夫は「赤井さんは俺の事が好きだが、バイトを代わって貰うというちょっと変わった愛情表現しか出来ないのだ」と豪語していた。「赤井さん!ごめんなさい。俺にはもう決めた人がいるのだ。応えられなくてすまないい!」とポジティブ過ぎる妄想を言葉に出して言っていた。富士夫が決めた相手というのも、3回か4回か結婚して子供が、5.6人いるパートのおばちゃんだった。「俺はやっと見つけたんだー」と叫んでいたが、長女が富士夫と同い年だし、旦那さんもいるし、言うまでも無く、そのおばちゃんは富士夫が大嫌いだった。富士夫はそんな事は言っても気付かないし、こう言うだろう「愛情の裏返し」って言う言葉が何故あるか分かるか?」富士夫には敵わない。 いとは一週間休んだ後に何事も無かったかの様に バイトに来た。僕はなんとなく気まずく、2人は仕事の会話以外には何も話さなかった。バイトが終わってロッカールームで着替えていると、いとが入ってきて、軽くキスをしてから「家に来て」と小さく言った。僕たちは黙ったまま歩いた。僕は歩きながら、いとはよくバイトを休むけど、今回は一週間も何をしていたのだろう?と思った。しかし、この間休んだ時も言わなかったし、僕もそれ以上は聞かなかった。いとが自分から言うまでは聞くまいと思った。部屋に入ると、いとは暖かいさんぴん茶を出してくれた。飲みながら、僕たちは肉体関係を持ってるし、恋人同士だと思うのだが、付き合うとか言う事はいとも僕も特に言わないのを自分の事ながら不思議に思った。いとはCDをかけた。SIMON&GARFUNKELの「the sound of silence」だった。僕たちは黙って聞いた。曲が終わるとブランデーを持ってきて「飲も」と白い笑顔で言った。飲むとお互い気持ちがほぐれた。 「サトシ君ねぇ 私バイト休んで何してたか知りたいでしょ?」「うん …まぁ でも言いたくない事だってあるし…」「私ねぇ サトシ君のそういう所が好きなの」「そういう所って?」「ただ優しいとかじゃなくて人の気持ちに自然と寄り添えるトコロよ」僕はなんだかくすぐったかった。「それに比べて富士夫君ねぇ ー今日「バイト代わってくれてありがとう」って言ったら、「赤井お前の気持ちには応えられない。俺には結婚を誓った相手がいるんだ」って言うのよ」僕は思わず吹き出した。「あはははー」「私、意味分からなくて…「あーそれは良かったですね。おめでとうございます。」言ってやったわ」今度は2人で笑った。笑い終わると、いとは急にあらたまって「あのねぇ…サトシ君………あのね……………あのね……あの…………」「どうしたの?」僕は優しく言った。「えい!私と付き合って欲しいのよ!」いとはうつむいて目を瞑ってていた。僕はまた吹き出した。「もう付き合ってんじゃないの?」当然そのつもりだった。「本当?凄く嬉しいわ。」いとは僕に飛びついて顔中にキスをした。おでこ ほっぺ 眉毛 耳 鼻 顎 唇あらゆる所に何度も何度もキスをして、満面の笑みを浮かべた。 いとは本当に可愛いかった。こんなに無邪気な、いとは初めてだった。 「私ねぇ …心が不安定になるとね。山に行くの」僕は一瞬止まって考えた。20歳の小さくて細い色の白い女の子が山の中で……自殺!!「駄目だって!早まっちゃ!」僕は思わず叫んだ! 「あははー」いとは笑ってから、「違うのよ。死なないわよ」それからいとは山に登っている時は全てを忘れて夢中になれる事、大自然の中に身を置くと心が穏やかになる事などを話した。「私のお父さんねぇ。私が生まれる前は登山ガイドしてたの。私が生まれる前くらいから、心の病気が酷くなって辞めたんだけど、それでも私をよく山に連れてってくれたの。私は覚えてないんだけど、2歳ぐらいの私をおんぶして登ったりしてたみたい。お母さんは「危ないからやめてくれ」って頼んだけど聞かなかったって。だから私物心ついた時から山に登るのは当たり前だったし、みんな登ってると思ってたの。」「えー意外だなぁーだって危ないでしょ?」「全く知識も体力もないなら危ないけど、知識と体力と装備がしっかりしてれば大丈夫よ。今度一緒に行きましょ。」「でもさぁー一週間も行ってたの?」「そうよ山小屋だったり、テントだったり、泊まりながら山から山へ縦走するの。それと私、夜間登山にも行くの」「夜間登山?何それ?」 夜、頭にヘッドライトつけて山を歩くのよ」「危ないでしょ。そもそも何でわざわざ夜歩くの?」「夜、山を登ってるとね。そのまま宇宙に行くような感覚になるの。空気が澄んで星が綺麗な日は、星を見上げてるんじゃなくて、三半規管が壊れたかのように上下左右無くなって、もう星に包まれてるような感覚になるのよ」僕はいとの話を聞いて想像してみたら、鳥肌が立った。「宮沢賢治も夜間登山してたみたいなのよ。それで「銀河鉄道の夜」が生まれたと私は思っているの」それからいとは宮沢賢治の「よだかの星」の話をしてからふっと「優しいのよ彼は」と言った。「へぇー、いとと話してると本当に勉強になるし、面白いよ。登山かぁ。本当に意外だなぁー」 いとはブランデーを一口飲んでから、「この間エヴァンゲリオン見てから、かなり参っちゃって、中々立ち直れなくて、でもね昨日、山小屋で太宰治の「ヴィヨンの妻」を読んだの。あっ、山小屋って結構本が置いてあるの。その「ヴィヨンの妻」に大谷先生って出て来るんだけど、富士夫君とはまた違うんだけどもう可笑しいの。ただただ可笑しいの。それで私、サトシ君に逢いたくなって、そしてその小説の最後の台詞がね。「生きてさえいればいいのよ」だって、読み終わったらすっと心が軽くなって帰ろうって思ったの」 その後、若い僕たちの肉体は朝まで、何度も何度も魚のように泳ぎ、蛇のように絡み、蛙のように跳んだ。 次の日、目覚めてから僕はいとを「OLIVE」に連れて行った。そこには予想通り敦士が居た。予想外の富士夫も居た。敦士は中上健次の「岬」を読んでいた。富士夫は白土三平の「カムイ伝」を読んでいた。僕たちが入ると、富士夫が妙な顔をした。席に座ってコーヒーを頼むと、富士夫が何で赤井さんと一緒なのかと聞いてきた。僕は「付き合ってる」と答えた。富士夫は混乱したようだった。すこし間を置いてから「赤井さん。俺の事はもう忘れたのかい?」と言った。いとは立ち上がって富士夫に平手打ちをして、エヴァンゲリオンのアスカのように「あんたぁ馬鹿ぁ!」と言った。僕と敦士は大爆笑だった。その後、敦士は本を閉じると唐突に「中上健次46 石川啄木26中原中也30梶井基次郎31正岡子規34芥川龍之介35宮沢賢治37太宰治38三島由紀夫45で死んだぁ」と言った。敦士は何故か人が何歳に死んだかに詳しかったし、言いたがる。変な性癖みたいなものだろう。 すると今度は富士夫が「有村次左衛門21久坂玄瑞24沖田総司24橋本左内25高杉晋作27岡田以蔵27吉田松蔭29中岡慎太郎29坂本龍馬31近藤勇34土方歳三34武市半平太36大久保利通47西郷隆盛49で死んだあー」と幕末の志士の死んだ年齢を言い、最後に「池田屋事件で死んだ志士の平均年齢は30.7歳だぁー。悔しかったろう…無念だったろう」と言って泣き出した。何でコイツはこんな変な事を知ってるんだろうか?僕はいとに「ごめん」と謝った。「ううん いいの。私も好きよ。こういう雑学。樋口一葉は24歳、金子みすゞは26歳、山田かまちは17歳8か月よ。天才は早死にするのかなぁ?」僕は自分がおかしいのか、この人たちが変なのか分からなくなってきた。頭がぐらついてきた。すると富士夫が「天才は早死にだ。僕ももうそろそろ危ない」と真顔で言った。僕たち3人は同時に「お前は死なねぇーよ!」と突っ込んで爆笑した。富士夫は首を傾げ、「何がそんなに可笑しいのか?」と聞いた。また僕らは爆笑した。笑い終わると、敦士がおもむろにギターを取って、OASISの「sad song」を歌った。すると富士夫が「君たちはロックって言う奴は敵国の音楽なんだよ。君たちは全く非国民じゃないか。憲兵に捕まるよ」とまた訳の分からない事を言い出した。彼曰く太平洋戦争は、まだ終わってなくて、だから日本はまだ負けた訳じゃない。無条件降伏したと相手を油断させておいてその間に力を蓄えて、これからが本当の戦いなのだという自論を展開した。日本人の中にこう思っている人は多分1.2億人の中で富士夫 1人だと思う。さらに富士夫は「何故なら古今東西の歴史を見てもたった四年で戦争が終わる訳が無い。戦国時代でも150年、中国の春秋戦国は500年、ヨーロッパでも30年戦争とか100年戦争などばかりじゃないか?」僕は頭が痛くなった。突然背後から「富士夫君!あなた絶対おかしいわよ。あなたの見ている世界と現実が乖離し過ぎて、他人と全く調和しないじゃない。もう少しまともになってよ。」いとが興奮して早口で捲し立てた。ぼくは驚いた。いとは本当に腹が立ったのだろう。この変人に。「赤井さん、この世界は事実ではなく、認識で出来ているのだ。だから、俺が認識している世界は間違いなく俺の物だ。君には関係ないし、世界中の誰もそこには踏み込めないんだ。」富士夫は落ち着いてゆっくり言った。しばらくいとは考えて「分かったわ。ごめんなさい。尊重するわ。……でもね。社会で生きていく限り、寛容と忍耐は必要よ。」 沈黙の後、敦士が「赤井さん 、富士夫とまともに話したら駄目だよ。この人はただのへ・ん・く・つ なんだ。」と言って笑った。「OLIVE」のマスターはテレビを見ていた。テレビ局はどこもオリックスの優勝とイチローフィーバーばかりだった。「イチローは侍だな」富士夫が言った。敦士がニヤニヤしながら「野球は敵国スポーツじゃないのか?」「ベースボールと野球は違うんだ。野球は正岡子規が作ったんだ。」「ふーん、じゃあ野茂英雄は?」しばらく考えて「彼は名誉非国民だ!」と言った。「何だよそれ!」一斉に突っ込んだ。僕たちは笑った。マスターがマルゲリータを焼いてくれた。富士夫が真っ先に手を出した。「それは大丈夫なのか?」「心配ご無用!これはお好み焼きでござい!」「その飲んでるのは?」「これは黒豆茶でござりまつる」僕たちはまた笑った。全く富士夫には敵わない。僕は感心してしまった。この後店を出て、いとを家まで送った後、散歩がてら遠回りして歩きながら考えた。(付き合ってみて初めて分かったけど、いとにはいろんな側面があって、毎回驚かされるなぁ。そこがいいんだけどね。今日みたいに富士夫に平手打ちしたり、怒ったりするような強さと何かに怯えているような弱さと天真爛漫な無邪気さと物事を深刻に考える真面目さと陰と陽というか、天使と悪魔、太陽と月、相反する矛盾した二面性を併せ持つ?躁と鬱!うーむ。しかし人間誰しもそんな矛盾を抱えてるしなぁ。)僕はその足で図書館に行って、躁鬱病のに関する本を2冊借りて帰った。双極性障害というらしい。僕は分からないところは飛ばしながらとりあえず分かった事は、1.鬱病とは別の病気だという事。2.再発率が90パーセントを越えている事。3.偉人に多い(ゲーテ、ヴェートーヴェン、ヘミングウェイ、夏目漱石、太宰治など)4.遺伝要因が80パーセントである事。5.ほとんどが軽度で重度の患者は少ない事。僕はなんだか安心した。いとの場合は多分軽度だろう。 「う 「大谷君