13:35
50.4 km
4693 m
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50.4 km
4693 m
11:16
27.1 km
2688 m
石鎚山・堂ヶ森・二ノ森 (愛媛, 高知)
2024.04.06(土) 日帰り
良い季節になってきました 久々に瓶ヶ森から石鎚山へ縦走します せっかくなので菖蒲峠から勝負です😁 UFOライン開通前の静かな縦走路を楽しんできました 気になるシャクナゲの様子も‥ ガスに包まれた天狗岳 いつもと変わらず静かに迎えてくれました♪
70:53
116.3 km
8977 m
皿ヶ嶺・梅ヶ谷山・うなめご (愛媛)
2024.04.01(月) 7 DAYS
愛媛県久万高原町「スキーランド」から、香川県観音寺「道の駅とよはま」まで、四国山地を歩く11泊12日の山旅を計画しました。 1日目 いままでの山旅の最長は3泊4日。 11泊というのは完全に未知の領域。12日分の食料を詰め込んだザックは経験したことがないくらい重たい。しかも、12日間のうち10日間が雨予報という不安要素だらけのなか、バス停に向けて出発する。 バス停に向かうまでも、バスを待っている間も、バスに乗っている間もずっと緊張していた。 と思ったら、バスの通路を挟んで反対側に座っているおじちゃんが話しかけてくれた。 おじちゃんは岡山県倉敷市に住んでいて、もともと学校の先生をしていたみたいだ。退職されてからは一人旅によく行くようになったみたいで、今回は愛媛県の「岩屋寺」という場所に向かっているということだった。僕が山に登るのが好きだということで、愛媛県以外のいろんな山のことも教えてくれた。 専門は「政治・経済」ということらしいけど、その話はなく、いろんな面白い歴史の話をしてくれた。たくさん話していたので、いつの間にか緊張はなくなっていた。話しすぎるあまり、目的地のバス停を逃さないかだけ心配しながら、会話を楽しんだ。 そして、目的地のバス停に到着。 気持ちのよい晴れ空だった。雨予報が続くなか、初日が晴れてくれてよかったと思った。 そして、スタート地点の「久万スキーランド」。 前回の山旅も、自転車旅をしたときもそうだったけど、旅の初日っていうのは気持ちがフワフワしていて、特になにも感じない。まだ、新しい非日常に地に足がついていない感じだった。いままでの日常とこれからの非日常の境目を歩く。 2日目 早朝、歩き出す。 長距離を歩く生活を始めてまだ二日目だから、脚は重くて鈍い。だけど晴れていて、気持ちがよかった。春めいていて、自分の汗の匂いが心地いい。自分の服の汗の匂いをかぐと、高校時代の部活をしていたときのフレッシュな感覚を思い出して、少し力が出でくる。いい感じ。 そして、一瞬、舗装路に出る。 舗装路を歩いていると、道端にたくさん「つくし」が生えていた! 子供の頃はよく摘みにいっていたけど、大人になってからは、つくしとは一切縁のない生活をしていたので懐かしかった。つくしの料理の仕方をよく知らないので、一瞬「どうしようか」と躊躇したけど、「まあいい、今夜の晩御飯にしよう!」とたくさん摘んだ。 そのあとの山道は、厳しいアップダウンが続いた。 急登に差し掛かるたびに、上は見ずに足元だけを見た。急登の先、斜め上を見上げたら、行く先がはるかに遠く感じて「これは無理だ」と心がやられてしまうので、なにも考えずに下だけを見て歩いた。 17:30頃、ついに石鎚山系に入った。 日没間近のうす暗い、静かな石鎚山系に一人でいると、心が落ち着いた。 そして、目的地の小屋が見える。 今日は平日で、しかも明日は降水確率が100%。「絶対に人はいないだろう」と思いながら、歩いていた。でも、なんとなく「人がいるんじゃないか」という予感があった。それでも、「いや、まさか、そんな訳はないよな」と思っていた。 小屋に着くと、予想通り誰もいなかった。でも、その5分後、一人やってきた。 彼の名はエティエン。 フランスからやってきたそうだ。まさか、人はいないだろうと思っていたのでビックリした。 エティエンは優しい雰囲気を持った人で、見るからに好奇心に満ちあふれていそうなナイスガイだった。 以前、北九州の大学に二年間留学していたようだった。 そのあと、フランスに戻った。そして仕事を辞めて、今回フランスから飛行機を使わずに、陸の手段だけで日本に来たそうだ。日本に来るまでに、その途中にあるラオスやタイ、韓国や中国などいろんな国を歩いたけど、国と国との境目は感じなかったといっていた。どこの国に入ったから人がガラッと変わるわけでもなく、連続体で、基本的に人は同じだったといっていて、なんとなく「ハッ」とした。 電気のない夜の山小屋で、キャンドルを二本燃やしながら、話した。修学旅行のような高揚感があった。 つくしの袴をとりながら話している最中に、久しぶりにデジャブを見た。子供の頃は頻繁に見ていたのに、大人になってからはあまり見なくなっていたので、なんとなく青春を感じた。 エティエンに、デジャブの話をした。 僕は、運命をコントロールできないような無力感を感じて不安になるといったが、彼は不思議で面白いと好奇心旺盛に話していた。 いろんな話をした。 彼はヒッチハイクをして移動しているみたいだった。「ヒッチハイクって怖くないの?車、止まってくれるの?」と聞くと、「とまってくれる車の運転手は、とまってくれるくらいだから、みんな優しくてオープンマインドよ。いろんな国でしてきたけど、いままでトラブルにあったことは一度もないよ」と言っていた。 「日本人はとまってくれるの?」と聞いたら、「日本は特にやりやすいよ!必ず10分以内に誰かとまってくれるよ」と言っていて、ビックリした。 「最初の一回は怖いけど、一回さえやってしまえば、あとはこわくなくなるよ」と言っていて、僕も今度やってみると伝えたら、応援してくれた。 いろんな話をしながらも、少し緊張していて、僕の話に変な間がたくさんあったので、「僕はシャイで時々何を話したらいいかわからなくなる」と白状したら「ははは、大丈夫!沈黙があっても気にしないで。ただ、好きなように時間を過ごそう」と笑いながら、言ってくれた。 3日目 別れ際、エティエンに「一緒に写真を撮ってもいい?」と聞かれて「もちろん!」と答えた。僕も自分のスマホで撮った。 そのあと、エティエンがうつむき何か考えている様子で、顔を上げた。「これに、日本語でも何語でもいいから、なにかメッセージを書いてほしいな」と大切に扱っていそうな雰囲気が漂う手作りの日記帳を渡してくれた。 一瞬、何を書こうか迷ったけど、伝えたい言葉がでてきてスラスラ書けた。あまりにスラスラと書けたので、書き終わったあとは、なんて書いたか、すでに忘れていた。 お互いに「気をつけてね!」と言って握手をして、別れた。 今日は一日中雨なので本当は小屋で停滞しようと思っていたのだけど、エティエンが「この雨なら行けそう、出発する」いうので、僕もなんとなく「行けるんじゃないか」という気分になって出発した。 エティエンの行く方向は樹林帯で、しかも高度を下げていく道だったから木々に守られるけど、僕が行く方角は裸の稜線上(山のてっぺん)で雷、風、雨の影響をもろに受ける。 始めの方は、そんなに雨はひどくなかったけど、途中からどんどん悪化した。雷も落ち始めた。出てきたことを後悔した。完全に選択を誤ったと思った。 歩いていると、雷に打たれる予感がした。昨日は、山小屋に誰かいるという予感が当たった。そして、自分が雷に打たれるビジョンが見えた。思考が現実化しそうで怖かった。パートナーとお母さんのことが頭に浮かんだ。僕が死んだらどれだけ悲しむか。死ぬものかと思っても、気力をみなぎらせても、どうにもならないのが雷の圧倒的な怖さだった。 今日の目的地までは、まだまだ距離があった。このまま裸の稜線上の上を歩けるわけがなく、急遽、泊まる場所を変更した。 そして、今日の山小屋についた。 もちろん誰もいなかった。 雨の中の薄暗い小屋の中で「助かった」と思いながら、服をかけ、荷物を整理し、暖かい紅茶のためのお湯を沸かした。まだ混乱している頭を鎮めるために、やることを一つ一つゆっくりとこなしていった。雨のせいで、湿った空気が小屋にこもっていたけど、心底ありがたかった。 4日目 朝起きて気分が少し不安定だった。ソワソワしている。 外は、「動」といった感じのダイナミックな空があった。 これから「石鎚山」へ向かう。 石鎚山山頂のレストランはまだ、時期的にオープンしていなかった。ここで、トンカツやカレーライスなんかを食べようと楽しみにしていたけれど、仕方がない。そして、いつもなら人がわんさかいる石鎚山に人がいない。1000年後の石鎚山はこんな感じなんだろうかと思った。 この日も天気はあまり良くなくて小雨が降っていた。悪天候だし、四日目だし、心細くなってきた。沿道から声援をもらえるマラソンランナーの気分になって自分を慰めた。誰かが声援をくれているところを妄想して、僕も必要以上に苦痛に顔を歪めて、マラソンランナーの気分になりながら、一人歩いた。力が、少し湧いた。 石鎚山を降りた後、楽しみにしていた土小屋レストラン&ショップが開いていなくて残念だった。山頂のレストランも空いていなかったから、「もしかしたら、ここも空いてないかな」とは思っていたけど…。「それならば!」と隣にある自動販売機でコーラを買おうとしたら、これも開いていなかった。ただ、近くにあった公衆便所の便器に座ると便座が暖かくて、ものすご~く落ち着いた。ちなみに、ウォシュレットの水も温かくて、更に癒された。 土小屋前のスペースで、今日三回目の靴下絞りをする。 13:00時点の天気は良くもなく悪くもなく、穏やかな感じ。のんびり歩いていた。 エティエンに聞いてみたいことが、今更たくさん思いつく。あの時、僕は日記帳になんて書いたんだろうと思い出そうとするも、思い出せなかった。連絡先、聞けばよかったなと後悔した。 そして、瓶ヶ森テント場で、テントをたてる。 モバイルバッテリーの残量が思ったよりも少ないことに気がつく。このままだと11泊12日ができないかもしれない。作戦を考える。とりあえず、「当初のゴールにはこだわらないことが大事」というフワッとした結論にいたった。 真夜中1:00、床冷えで目が覚める。 寒くて眠れないので、避難小屋へ移動する。そして、作戦を再び考える。よい方法を3パターン思いついたせいで、興奮して眠れなくなる。 早く歩きたい。 風のせいで、誰もいるはずのない小屋の中で物音が聞こえる。幽霊かもしれないと、どうしても考えてしまって怖かった。だけどこれも、長い人生の一部でしかないと思い、普通に過ごすことにした。 結局、3時間しか寝れなかった。 5日目 早朝6:30、歩き始める。 三日目の雨以来、靴も靴下もずっと毎日びしょびしょ。少しだけ、家に帰りたくなってきた。街に降りたくなってきた。坂は厳しいし、危険な道もある。 この旅が終わったら、登山は一旦休んで、街の歩き旅や自転車旅やジョギング旅をしようと思った。でも、それよりもなによりも、パートナーに無事に会いたい。 ふと、エティエンがやっていたように、一歩一歩丁寧にゆっくり歩くのを真似したら、心が落ち着いてきて、少し晴れやかな気分になれた。気持ちがだいぶ焦っていたのが分かる。心と身体はやはり連動するようだ。 しばらく歩いているとあることに気がついた。水が減ってない。 そういえば、エティエンに、山に登る時はいつも何リッター持ち運ぶか聞いた時に、1.5リッターといっていて驚いた。僕はすぐ喉が渇くので、3リッターは持ち運んでいる。そして、体質の問題かなと考えていた。 でもそれは、歩く速さが速すぎる、というか息を切らせて急ぎすぎているからだということに気がついた。 この発見のおかげで、あまり水を持ち運ばなくてすむ。つまり、軽い荷物で軽快に動けるので、より長い距離を歩くことができる。希望がわいた。ゴールまでいけるかもしれない。 ちなみに、今日は誰とも会っていない。この旅ですれ違ったのはここまで、たったの五人。 いつか、四国八十八ケ所のお遍路旅をしたいなと思った。僕は、人に会うのが苦手で、怖いので「世の中には、あなたが思うよりも、良い人がはるかにたくさんいる」という「事実」を理解するために、お遍路をしていろんな人とやりとりをしたら実感できるんじゃないかと思った。 途中、きれいな泥があって少し興奮した。子供の頃のような心に少し戻っているなと嬉しかった。やはり、山歩きをし続けると、そういう感性が戻ってくるのだろうか。 そして、寒風山に登る。 ものすごく、しんどい山だった。初日にバスの中で話したおじちゃんが「寒風山の登りはきつかった」と言っていたのを思い出していた。 心細さが、最大になってきた。 日常の景色が浮かぶようになってきた。家の中の景色、どこかの記憶の断片、例えば、特に好きでもなかった親戚の家の近くの光景や、なんの思い入れもない中学校時代の遠足の光景が浮かぶ。でも危険な箇所が続くので考えていたら危ない。無理やり振り切り、歩くことに集中した。 17:00、テント場に到着。 しかしテント場の水道から水が出ない。焦ったけど、更に30分、沢まで歩いて水をゲットした。 今日は体力的にかなり疲れたし、気持ち的にも少し疲れていた。 テントに入ったあと、自分の挑戦を知っている友人から応援のLINEが来ていた。ものすごく気分が明るく、前向きになった。 やっぱり、人には支えが必要なんだなと実感した。「人間」という漢字の意味を説く、先生の言っていたことが分かってきた。 6日目 前日、3時間しか寝ていないこと、かなり疲れていたことが相まって、爆睡した。8時間も深く眠れた。テント泊でこんなに熟睡できたのは初めだったので、嬉しかった。 水ぶくれが小指に一つできていた。こんなもの気合いでどうにでもなる。雷とは訳が違う。幸せだった。 笹原に入る。マムシを踏んでも大丈夫なようにレインウェアのズボンをはく。ズボンに乾いた泥がついて、更に防御力がアップしている。よし! でも、脚が蒸し暑くて、気持ち悪い。 途中で、おばちゃんとおじちゃんに出会い、いろいろと話してくれた。12日間、四国山地を歩くことを伝えた。おじちゃんはマイペースに話しかけてくれて、おばちゃんは「先が長いんやけん、あんまり話して時間とられん!」と言った感じを、おじちゃんに伝えていたが、伝わってない様子だった。僕もフレンドリーな人と話せて嬉しかったので、「いいですよ!」とおばちゃんにジェスチャーをした。最後に二人から「がんばって!」と、エールをもらった。 山深いところを歩いて心細くなっているときに、地上に道路を見つけた。ものすごくホッとした。 今日は12:00の段階で、すでに五人とすれ違っている。「多いなぁ」と思ったら、今日は土曜日だった。忘れていた。曜日を意識しないというのは、斬新だった。「そうか、いままで曜日を意識しながら、生きてきたんだな」と思った。 遠くにダムが見える。 同じような景色の中に、目立つものがあると、ホッとする気がする。 山が霧がかってきて、空が灰色になった。心細い。 そして、ここから未知の山域に突入。 ここから先は全く歩いたことのない場所。不安と興奮の両方の気持ちで突入した。第一印象は、好きなタイプの山だった。これはいけそう。希望が湧いてきた。 歩きながら考えていたけど、記憶って大事だなと思った。ネガティブな記憶は、時として力になる。ポジティブな記憶は力になる。なんでもない記憶は、自分を客観的に見せてくれて、それが力に変わる。 強くいられるのは、記憶があるからだと思う。 歩きやすい道かと思ったら、そのあと、とんでもない急登が待ち構えていた。ここまで6日間、どの一日もたやすくはない(3日目は自分のせい)。せめて、一日だけイージーな日があったらいいな。 大きめの蜂のような羽音が一瞬、聞こえた。 一瞬だけなのに、そこから気持ちが一気に後ろ向きになった。蜂の音が引き金となり、曇り空、冷たい風、人気のなさ、急登、すべてが合わさって、恐ろしいくらいの心細さにおちいった。 後ろ向きだと、見える景色が全然ちがう。いまは、楽しさよりも、はるかに不安がまさっている。 家に帰りたいという思いが、この旅で初めて頭をよぎった。 細い木の枝を蛇と勘違いして、声が出た。 雨予報ではないのに、雷が鳴った。 太い枝を大蛇と勘違いして、普段の自分ならあり得ないほど、大声を出して身をかわした。 この精神状態で山を歩くのは危険だと思った。 今日の目的地なんかよりも、すぐにでもテントを張れる場所を見つけるべきだと思った。そして見つけた。 今日から歩き始めた山域は人気のない山だと知っていた。僕は、山を歩く時に人の気配がしたら毎回ドキドキして自然体になれないから、人気の石鎚山系を出て、この山域を歩くのを楽しみにしていた。 だけど、毎回山で時間を過ごすたびに気付かされるけど、人と関わることが苦手で怖くても「それ以上に圧倒的に人に助けられていたんだ」ということに、また改めて気付かされた。 苦手で怖いけど、行き着くべき場所は人だと思った。やっぱり人の中へ向かう方向じゃないと希望が見えない。「これからは人の中で生きていきたい」と強く思った。 心細くて、たまらなかった。 もう完走なんかしなくていい。生きて帰りたい。途中で降りよう。そんなのどうでもいい。 そう思ったときに、遠くのどこかの村の夕方5時のチャイムが鳴った。ものすごく心が温かくなった。人らしきものと一瞬でもつながれた幸せで涙が出てきた。 映画で、宇宙船に一人取り残された人が、地球の人間の声を一瞬無線で聴けたときの気持ちと同じ種類なんだと思う。 ここまで、よくがんばった。 テントの中に入ると、少し落ち着いた。荷物をずらーっと並べて自分の部屋を作ると、リラックスできた。 明日、帰ろう。 7日目 夜中に、雨の音で目が覚めた。 そのまま寝付けず、睡眠時間は4時間だった。だけど、今日が最後の一日。今日振り絞ればいい。睡眠時間は一日だけなら、そんなに関係ない。という強い気持ちでいかないと、怖い。 昨日、山を降りると決めたときから、今まで張り詰めていた気持ちがプシューと抜けていくのをハッキリと感じていた。 夜中に目が覚めたときから、なぜだか全くわからないけど、涙がとまらなくなるときがある。 朝出発してからも、ふいに涙が出てきて抑えられなくなるときがある。ものすごい強い感情がわいて、涙がドバッと出る。理由はわからない。 そして、下山中に思ったことがある。 「グレートトラバース」という番組で日本百名山一筆書きをしている人が、すごいなとずっと思っていた。自分も「すごい」人になりたいと思っていた。では、百名山どころか、四国山地の一部しか歩けず、しかも目標を完遂できなかった、自分はすごくないのか? 当たり前のことだけど、登山を始めたばかりの二年前の自分は、いま自分がやっていることができるだなんて全く、微塵も、つゆ程も思わなかった。もし誰かに「このルート、いつかやってみたら?」って言われたら「無理無理無理、絶対に無理。僕にできるわけないやん。なにいってんの(笑)」っていうに決まっている。 当たり前のことにようやく、気付いた。今の自分のベストを尽くすことが、一番「すごい」ことだ。 この旅の最終目的地であるJRの駅に行くには、今いる山を降りたあと、もう一つ山を越えないといけない。ここまで歩いてこれた自信をたずさえて歩いた。 まずは、さっきいた山を降りることができた。 そして、しばらく舗装路を歩く。久しぶりの舗装路に出た時の解放感が気持ちよかった。そして、車が横切ったとき、ものすごく嬉しい気持ちになった。可笑しかった。 そして、目の前に最後の山が見える。 休憩を入れようとザックを下ろした時に、衝撃的なことに気がついた。ザックの肩ひもが半分くらい破れている。これ以上破れると、肩ひもが一本になってしまう。めちゃくちゃ恐ろしい状況にハラハラしながら、肩ひもに負担をかけない自分なりの工夫をしながら歩いた。 そして、気が抜けてしまっているせいか、明らかに身体に力が入らないのを感じた。昨日まではガンガン登っていたのに、この山はそこまで高くないのに…。かなりの気合を入れ続けなければいけなかった。 最後の山を降りて、コンクリートの地面に立ったとき、ひとまずホッとできた。 その後も長い舗装路を歩いた。今まで気が付かなかったけど、身体がヘロヘロで、足が痛くて、足に水膨れがたくさんできているのを痛みで感じた。 山深い舗装路を歩いていると、遠くから猿の鳴き声が聞こえた。こっちを向いて鳴いていた。 途中にあった大きな岩を「すごい、大きいなぁ!」と見上げると、大きなスズメバチの巣があって、頑張って走った。 最後の最後に、また何かドラマが来るのかと思った。「もういいよ。このままゴールしたい」ヘロヘロの状態で、思う。 結局、ドラマは起こらず、ザックの紐も大丈夫だった。 山を歩くのは大変だったけど、下界は下界で、歩くときに周りに人がいると、前を向いて歩けない怖がりな自分にまた出会った。 まあ、いいや。自分を発揮できる時間のときもあれば、自分の時間でないときもある。家の中で人生を楽しんで、ときどき外でも楽しめたら十分だと、少し思った。
09:33
23.5 km
2199 m
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山歩(さんぽ)とは、山や身のまわりの自然の中を気持ちよく歩くこと。今すぐ行ける山歩コースや、山歩した気分になれる映像コンテンツを更新中です。