馬路山~新庄山~高尾山~岩倉山 感動の大山ビュー👀 ジョビ男VSジョビ子「まん丸対決」😂
岡山市 東区
(岡山)
2024.01.14(日)
日帰り
【竹原神社から明王寺へ】
2018年11月、三徳園がリニューアルされた直後に訪問し、
まだ工事中でなんとなく歩きにくかったこともあってしばらく足が遠のいていました。
5年ぶりとなる今回、最初は三徳園から出発するつもりでしたが、
駐車場は開園時間の9~17時以外は閉鎖となっていました。
明王寺に向かいましたが、ここの駐車場も以前よりかなり狭くなった印象で
駐車中の1台の横に停めにくかったので、竹原(たけわら)神社を出発点としました。
駐車場の奥にお店?があるので、邪魔にならないのは3台程でしょうか。
とりあえず、ここから歩けば三徳園到着は開園時間内になりそうなので、
予定通り竹原神社の北にある新庄山と南にある岩倉山を8の字に周回することにしました。
竹原神社は大正2(1913)年に八幡宮、貴船神社、片岡神社が合併し創祀されました。
一願三叶(一つの願いで三つが叶う)の宮といわれ、ご神徳のひとつに方除があります。
悪い方角にひそむ災いを祓い退けられるようにと祈願しました。
続いて向かったのは馬路山(まじさん)明王寺です。
天平勝宝年間(749~756年)に報恩大師により開かれたと伝えられ、
備前四十八ヶ寺の一つとされた天台宗の古寺です。
平安時代前期(8世紀)の作とみられる国指定重要文化財の聖観音立像は、
残念ながら一般公開はされていません。
竹原神社ではお狐様<写真05>が祀られていましたが、
ここではお猿様<写真08>が祀られていました。
参道入口の境内図<写真06>で十三仏と摩利支天があることを確認していたのですが、
境内図の位置関係がデフォルメされていたせいか、行き着くのに少し迷いました。
十三仏<写真14>は来世利益のミニ霊場だそうで、
初七日の不動明王など死後にお世話になる仏様の像の周りを一周しました。
摩利支天<写真15,16>は武士が枕本尊として信仰した勝利の女神で、
この日は共通テストということもあり、受験生の合格祈願をしました🙏
【Nice View! 馬路山~新庄山~高尾山(展望台高尾)】
摩利支天から向かったのは明王寺の北に位置する馬路山<写真19>です。
実は、予定外で7年半前に登ったことも忘れていたのですが、
三徳園に向かう前に道標のない分岐に気づいて立ち寄ることにしました。
地形図上は無名の101m峰ですが、整備された道があり、
しかも写真や動画でも紹介していますように、
頂上直下まで岩盤が続くアトラクションに満ちた山です。
岩盤は滑りにくく、周辺も見た目はザレ場のようですが、
意外にも下りも歩きやすかったです。
頂上は展望が効きませんが、南南東尾根の岩盤道からは
これから登る新庄山<写真32~35>、展望台高尾<写真37,38>、
岩倉山<写真51>なども見え、低山ながらも景観<写真21,22>を楽しめる山でした。
ちなみに馬路山明王寺にユズの実がなっていましたので、
“これぞ馬路山のユズ!”と唸ってしまいました😁
ユズが特産の高知県馬路村の可愛いCMが懐かしいです😊
馬路山を下り、歩きやすい土道を北北東へ、途中で右折して三徳園に入りました。
「小鳥の森」のほうが通りがいいかもしれません。
リニューアルで樹木が減りシロハラなど小鳥の数も激減していましたが、
ヒヨドリやメジロのさえずりが聞こえていました。
その中でも特に我々を惹きつけたのは、ジョウビタキのオスとメスです。
詳細は後述します。
ツバキ展示園の花はヤブツバキ以外はつぼみでしたが、
サザンカは季節柄、ほどよい開花状況でした。
もう少し時期をずらして訪問すると、ツバキとサザンカのコラボが見られそうです。
園内の東半分は以前のままのようで、フェンス沿いに右往左往せずにすみました。
三徳園を出た後、東にある新庄山に登りました。
ここは城跡でもあります。
浦上宗景が宇喜多直家に与えた奈良部城跡とする記述がありますが、
岡山県古代吉備文化財センターの「岡山県中世城館跡総合調査報告書」では
史実の検討を要するとなっています。
石鉄神社の鳥居がある登山口<写真30>からは
石埋まりが多く落ち葉が積もっているので、この時期は上りがおすすめです。
頂上からは北東方面には熊山<写真33>、
北西方面には本宮高倉山<写真34>など、山肌までクリアに見えました。
新庄山からは比較的平坦な道が続きました。
南尾根には新庄山城跡の腰曲輪(くるわ)や堀切がありますが、
登山道整備で改変された箇所もあるようで、気づかずスルーしてしまいました。
しばらく尾根を南下した後、西に延びる道を進んで程なく、
「展望台高尾」に続く道が北に延びていたので立ち寄りました。
すると、ここに何度も来られている仲良しトリオが大山が見えることを教えてくださいました。
最初は遠近感がつかめず、数㎞先にある山の奥に真っ白な山らしきものは見えたのですが、
自信がなく見つめていると、山の上にかぶさるように白く見えるのが
雲ではなく雪が積もった大山<写真38>だと言われました。
ズームして見ると、頂上付近が台形で、雪化粧で真っ白でした。
そんな山は中国地方広しといえど、大山を除いて他にありません。
ここから大山までは直線距離にして80㎞もあります。
まるでこの日の気象がもたらしたマジックを見ているようで、
この山行最大のサプライズとなりました。
その後、しばらく会話が弾み、謝意を表しながら展望台を出て、
最後の目的地の岩倉山に向かいました。
途中、地形図にはない道に入りました。
たまに岩盤がありますが歩きやすく、再び明王寺の境内から舗装道路に出ました。
【ジョビ男VSジョビ子 まん丸対決】
前述の三徳園周辺を歩いていると、ジョウビタキのオスとメスに出会いました。
最初に見たのはオス(通称ジョビ男)<写真24>です。
我々の方を興味深く見て、時折小首をかしげる姿がとても可愛く、
しかも冬特有のまん丸体形をしていたので、見ていて飽きません。
立ち去ろうとしないので、我々の方からその場を離れていきました。
程なく出てきたのは、メス(通称ジョビ子)<写真27~29>です。
つぶらな瞳に、どう見ても球体にしか見えないその体形に我々は完全にやられました😍
野鳥は以前より減ってはいるものの、
こうした新たなアイドルを見ると、非常に心が和みました。
【岩倉山と2か所の磐座】
岩倉山は地元の方にとっても謎めいた山のようです。
先程、展望台高尾でお会いした仲良しトリオも登ったことがないとのことでした。
登山道があるのもご存じないようでした。
我々は過去にいくつかルートを試し、今回が3回目です。
北西の石池に下りる道は最後にどうしても大量の「引っ付き虫」がつくので、
今回は避けてお初の東尾根からアプローチし、
最も整備されている南尾根を下りるコースを選びました。
東北東の大師堂参道入口からコンクリートの階段を上ると、
標高15m辺りにそれらしき建物がありました。
正面のガラス戸は下のほうが割れており、内部も建材?が散乱して荒れていました。
過ぎるとすぐに落ち葉が積もった土道で、下りは滑りやすそうでした。
標高30m辺りで道から逸れてしまったようで、
引き返して適当に斜面を登り、そこからはたまに不明瞭になると
木の間の歩きやすい所を選んで歩きました。
標高40m過ぎには瓦が積まれ、手水鉢があり、明らかに神社の跡のようでした。
石仏<写真44>の南にピンクテープと明瞭な道が北に向かって延びていましたが、
無視して西に見えているピンクテープの方へ無理に歩いてしまい、
引き返す方向に石仏を見つけました。
ここを過ぎるとたまに境界標柱があり、
道は明瞭ですが足元に折れた枝が散乱していることが度々ありました。
また、60㎝四方の石板が上に載った祠のようなものを何度も見かけました。
不思議なことに内部は空っぽで、小石が敷き詰められた上に同様の石板が載っていたり、
石板の上に巣箱のような祠が載っていたりすることもありました。
岩倉山北東の110m峰には、岡山県の埋蔵文化財地図に記載されている
江戸時代の磐座(いわくら)と思しきもの<写真47>がありました。
例の祠のようなものはここの参道の丁石として設置され、
以前は内部や上に石仏が安置されていたのかもしれません。
ピンクテープが複数ある分岐で地形図の破線の道から逸れて
岩倉山へと向かう細道に入りました。
標高90m辺りから標高130m過ぎまではササやシダの間の細道です。
足元はギリギリ見えますが一部は少し急で掴める木が少ないので、
上りは大丈夫ですが下りはあまりおすすめしません。
岩倉山頂上は展望が効かず狭いので、
すぐに岩倉山遺跡<写真53~61>のある140m峰に向かいました。
岡山県の埋蔵文化財地図によれば、周辺は岩倉山遺跡という
鎌倉・室町時代の磐座(いわくら)で、土師器が出土しています。
信仰の対象なので、磐座の上には上がらないほうがいいです。
一応、一番高い岩には上がらないようにして
おくの細道アルプスや児島湾越しの山々などの展望を楽しみました。
帰りは南尾根を下りることにしました。
標高130m辺りからシダが足に当たりますが、足元は見えますし歩きやすいです。
そのうちに岩盤が出てくるとシダはなくなりました。
標高30m辺りからしばらくは高さ30cm程のササの間の細道です。
岩倉山の登山道は知っている限りでは北、北西、今回歩いた東と南の4コースありますが、
南からが最も整備され歩きやすいと思います。
下山後に岩倉八幡宮<写真65~67>に参拝しました。
調べても詳細はわかりませんでしたが、周辺はきれいに手入れされた木が多く、
大切にされているようです。
磐座が2か所あるなど、岩倉山は昔から信仰の対象だったことは間違いありません。
しかし、今回は東北東の大師堂が荒れ神社の境内は跡地になっており、
前回、前々回は北西麓がゴミだらけでした。
人々の心の拠り所にしてはかなり残念な状況もありますが、なぜかまた訪問したくなる山です。
次回はどんな信仰跡を見つけられるか楽しみです😊