山への原点 六甲 ~さまざまな思いが錯綜する中で~ その昔、登山は一部の裕福の家庭に許されたスポーツであると思い、旧満州の引き揚げ者の貧しい家庭で育った私にとっては遠い存在であった。 幸い、すぐ裏に丹沢を控えていたこともあって、小学校の遠足は、丹沢周辺のハイキング、中学校では、学校キャンプでの丹沢登山という地の利を活かした活動を経験出来たことは、登山の基礎を得るには充分な環境であった。 そして、丹沢から八ヶ岳、アルプスと本格的に山を意識したときに、書籍を通じて知った加藤文太郎氏、山に対し真摯に対峙する姿勢に感銘を受け、氏から多くを学び、経験を積んできた。 その氏が、幾多のトレーニングを積んだ地、六甲は、いつかはという思いは消えることはなかった。 今回、北鎌の計画が、キャンセルにならなかったら、この地を踏むことはなかったと思う。 全行程53キロは、半端でない距離、アップダウンを繰り返しながらのルートを果たして完走出来るのか、前夜は、緊張と不安が錯綜して殆ど、眠れずに、5時、須磨浦公園をスタート、横尾山、馬の背、高取神社あたりまでは順調だったものの菊水山への階段で体力を消耗、残り三分の二にプレッシャーを感じながら、ただひたすら足を進めることしか考える他なかった。 摩耶山の手前で、スマホのバッテリー残がないことに気づき、記録がとれないことに悔やむ気持ちは否定できないが、スマホやデジカメがなかった時代に戻ったと前向きに考えることにした。 摩耶山までが、このルートの核心部と判断していたため、残り24キロは、時間さえかければ完走出来ると実感出来た。 途中、日没のため、ライトに頼る ことになったが、19時過ぎ、湯本台広場に着いたときの安堵感、充実感は、格別なものだった。 人それぞれに山への思いはあり、楽しみながら、時には、哀しみからの逃避もあるだろう。 辛さに耐えながら充実感を求めて登る人もいるだろう。ただ、山は純粋な気持ちで登りたい。 英国の登山家、ジョージ・マロニーは言ったそうです。 [山が、そこにあるから]…哲学的な意味深い内容で、浅学の老兵には理解しきれていません。 ダグラス・マッカサーは、 [老兵は、死なず、ただ、消え去るのみ]と残したそうです。 消え去る前に、あと僅かに残された時間、山への思いを共有してくれた山友やラン友とともに、また訪れよう。これまで培った経験を出来るだけ多く伝えよう。 真摯に山を愛する多くの人の思いを尊重しながら、もう少し頑張ろうとの思いを新たにした六甲全山縦走だった。

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。