馬事公苑通り→世田谷通り→清水川公園→清水川緑道→岩戸川緑道→喜多見公園→水道道路→喜多見東記念公園→多摩堤通り→野川→コヤマドライビングスクール→吉沢橋→花みず木通り(砧線跡)→二子玉川商店街通り→瀬田玉川神社→瘡守稲荷→ニトリ環八用賀→用賀一条通り→弦巻通り→馬事公苑通り。 台風→低気圧の通過でひと湿りあったおかげで、今朝は若干過ごしやすく、明け方は23℃まで気温も下がった。涼やかな風も吹いて走りやすかったが、後半は狭い緑道を通って風が遮られ、日も照ってきたので失速、ランニングは25℃を超えると別競技になる説を実感する。 オーディブルは佐藤究『テスカトリポカ』の続き。 ジャカルタに潜伏したカサソラ兄弟の生き残りで、アステカ戦士の血を継ぐバルミロと、ひき逃げ殺人を起こして日本を脱出してきた心臓血管外科医・末永充嗣。復讐に燃える麻薬密売人(ナルコ)と、他人の命を左右するパワーを忘れられない凄腕の医師(メディコ)が組めば、どんなビジネスが始まるかは、火を見るよりも明らかだ。麻薬密売人(ナルコ・トラフィカンテ)ならぬ心臓密売人(コラソン・トラフィカンテ)。 「心臓が止まれば誰でも死ぬ。心臓は洞結節の出す電気信号で作動しているポンプであり、そこで開始される血液循環が生命体を維持している。このような複雑なポンプが、いかにして生み出されたのか? 奇跡としか言いようがなかった。〈神〉がいるのかどうか、末永は答えを持たなかったが、少なくとも心臓という装置の完成度は、〈神〉の所業としか言いようがなかった」 いま生き残っている生物はすべて、人間だけでなく、もっと単純な生き物であっても、何億年にわたって、数々の淘汰圧をくぐり抜け、勝ち残ってきた「結果(成果)」なのであって、そこだけを見て、「こんな精巧なシステムがたまたまできるわけない」と思いたがる心根はどこから来るのだろうとずっと不思議に思っている。 ほんのちょっとしたゆらぎであっても、何度も繰り返されるうちに、当初からは想像できないような複雑な事象を生み出すことを明らかにしたカオス理論や複雑系の科学を持ち出すまでもなく、はじめはもっと原始的な、別の機能を果たしていたシステムが、さまざまな淘汰圧にさらされるうちに、新たな機能を獲得し、そのときの環境に適合するように徐々にカスタマイズされ、洗練されていく例など、枚挙にいとまがない。 途中のプロセスを全部すっ飛ばして、結果だけを見ることの愚に対する戒めとして、高校時代の友人が残した「バーコードは一日にして成らず」という含蓄のある言葉を贈りたい。バーコード頭という結果だけを見れば、「なんでこのおっさんはこんな変な髪型をしてるのか?」「恥ずかしいと思わないの?」「誰か教えてやれよ」「家族は何も言わないの?」という疑問が次々と浮かんでくるが、その友人曰く、「途中経過を知らないから、そういうこと言うんだよ。毎日、毎年、少しずつ少しずつ、薄くなった頭頂部を隠すために分け目を変え、何年もかけて7:3分けが8:2分けになり、9:1分けになっていくわけで、毎日顔を合わせてる人は逆に気づかないんだよ」と言われて、目からウロコが落ちたのだった。以来、目の前の現実は現実として受け入れつつも、そこに至るまでの道程を知らずに一方的に批判することは避けるようになった。友人と、バーコードには感謝している。 #街ラン #朝ラン #早朝ラン #ランニング

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