【崇める存在〜自然の偉大さの前では、人は富貴と艱難を共に出来る〜】
今日nhk総合テレビであった『我が石鎚〜輝く一瞬を〜』というアマチュア写真家で御年79歳の三浦聖さんが厳しき冬山の石鎚山にかける思いを映像にした番組を観てきましたが、思わず涙が込み上げてきましたね‼️😀
泣きたいと思って泣いたのでは無く、自然と涙が出ていました😆
山というのは、そこに純粋に山を求めている心があるのであれば、どんな人間でも受け入れてくれる大きな器があります😉‼️
そして、自然の偉大さの前では勝ち負けは無く、その場にいる人達の皆で苦難や富貴を共有出来ると思っています😀
今から少し政治の話になりますが、何故中国があのような野蛮な独裁国家なのか❓
それは簡単に言うと無宗教で力こそ全ての国だからです‼️😀
何かしら神と崇める存在があれば、人々はその下の前では同列になれます‼️
日本人は国自体が無宗教なのでイメージが湧かないかもしれませんが、欧州やアメリカでは宗教は日常です😀
実際かつての戦争は宗教の違いで起こっており、なんならアメリカの原点はプロテスタントという新興宗教が新大陸(アメリカ)に進出したのがきっかけです‼️
故に欧州やアメリカはキリスト等の神と崇める存在があるお陰で、その下では皆が平等で幸せな民主国家になっています😁‼️
逆に中国は人間を超越する神と崇める存在がいないため、力を持っている者こそが全ての世界なので、権力ある物が弱気者を力でねじ伏せようとする文化があります‼️
故に独裁国家になり得るのです‼️😃
ここで矛盾点なのですが、日本も国自体は中国のように無宗教なのにどうして民主国家になり得たのか❓
アメリカの介入のお陰❓😃
いや違います。
その前から民主国家になる土台はありました‼️
それが何かというと、天皇の存在のお陰であります‼️
天皇を一種の特別な存在と崇める事により、日本人はその威光の前では一致団結出来ます😃
これを日本式民主主義と呼んでいます😁‼️
実は日本も江戸時代は徳川幕府というのがあり、あの時代は今の北朝鮮や中国のように、権力がある者が全ての実権を握っていました😃
しかしこの世界観を幕末のペリー来航をきっかけに変革しました‼️
長州や薩摩の新政府軍は天皇を神と崇める事により、徳川幕府を打倒して、日本人全員を天皇直属の国民とする事に成功しました😃‼️
確かに明治初期は長州や薩摩出身の功労者に権力が偏っていましたが、この頃から民主国家の土台は出来上がってはいたのです😆‼️
これが後に板垣退助の自由民権運動等により、薩摩や長州以外の勢力も活躍出来る世界になっていきます😀‼️
つまり、偉大な物の前では独裁者が出来にくく、ただただ偉大な物に人々が圧倒され、故に皆が平等に幸せになりやすいという事であります☺️
そういう存在を持つ事は幸福感のためには必要だと思います😃
確かに中国のような力こそ全ての世界は分かりやすくて良い。
権力を握ったら良い思いをするのは間違いない😀
ただ権力維持をするために、怯えながら卑屈になっていくのも辛いだろうし、いざ墜落したら絶望を感じる事でしょう😀
自分の場合は山という存在が、負けず嫌いで自己愛性や感受性が強い自分を見事に調和してくれています😆‼️
自然と触れ合う事により、攻撃性は無くなってきましたし、破滅的な考えも全くしなくなりました😁
それにしても石鎚山から二ノ森に続く尾根を初めてこの写真のような角度で観てみたけれど、かなり切り立っているのが分かりますね‼️笑
これは、尾根沿いじゃなくトラバースしないと二ノ森にはいけないですわ😆
そして瓶ヶ森から眺める朝日に照らされた雲海に浮かぶ雪山の石鎚山が絶景過ぎますわ‼️🤩
#石鎚山
#瓶ヶ森
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