武田菱の雪形❄️ 北アルプスの五竜岳に現れる❗️ R148を白馬駅前から南下するタイミングで間近に見れます。 飯森駅近くまでの僅かなタイミング。 この時期ならでは。 以下はうんちく 興味のある方へ 武田菱(四つ割り菱)が、現れることから御菱岳(ごりょうだけ)となり、それが五竜岳に転訛したと推測されています。 地元では、割菱ノ頭と呼ばれてており、明治時代に地図を製作する際の聞き取り調査で、「御菱」(ごりょう)を五竜と誤記したという伝承の可能性も、真実味を帯びて聞こえます。 北安曇郡でなぜ武田? と疑問に思う人も多いかと思いますが、戦国時代に安曇野(あずみの)を領有した仁科盛政は、信濃府中を制圧した武田信玄に従い、弘治2年(1556年)、山県昌景率いる武田軍は飯森城(白馬村神城にあった戦国時代の城)を攻略、飯森盛春(いいもりもりはる)は越後に落ち延び、現在の白馬村が武田と上杉の勢力の境目となったのです。 つまりは、戦国時代に、現在の白馬村一帯(北安曇郡)は武田氏が領有していたことに。
武田菱は身近な存在だったのです。 ( 引用 : 信州スタイル )

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。