御神楽岳日記⑦ 背が高く、やせ気味の立ち姿。それは間違いなく背泳ぎだった。その顔はやつれ、目も虚ろな状態で、ただ機械的に命令に従っているようにも見えた。 「た、隊長、そ、その通信機器を、元の位置に、も、戻せ… そうしないと、こ、この女の命は、な、無い…」 この状況をどう受け止めたら良いのか、隊長にすら分からなかった。愕然としながらも隊長は背泳ぎに話しかけた。 「背泳ぎ! なぜお前が過激派グループの仲間なんかになっているんだっ!? 嘘だろ!嘘だと言ってくれっ!」 その叫び声に対する背泳ぎの反応は無かった。 混乱しながらも必死に問いかける隊長と、無言の背泳ぎとが睨み合いをしているその時、割って入る声があった。背泳ぎの背後から、もう一人の男が現れた。その男は、ゆっくりと近づき、ハコちゃんの顔を覗き込みながら立ち止まった。男は黒い山高帽に、金ボタンの付いた黒い登山シャツ、そして黒いパンツを履いていた。その細くて長い身体をゆっくりと動かしながら、猛禽類のような鋭い目でハコちゃんを見つめ、そして隊長と向き合った。 「隊長、抵抗はやめた方が良いと思うよ。あんたのお仲間は、おっと、失礼、元お仲間は、今や、殺人マシンになり果ててるからね。ここにいる女は確実に殺されると思うよ。」 男は薄笑いを浮かべ、神経を逆なでするように、ゆっくりとした口調で喋った。 羽交い絞めをされたままのハコちゃんの顔が青ざめていた。その眼には、恐怖と憎しみと悲しみが混じった複雑な感情が映し出されていた。小刻みに、身体も震え始めていた。 (こいつだ! あたしのお父さんとお母さんを騙して、死に追いやったのはこいつだ!) 青魚を抱えながら、ヅラ坊主が隊長に耳打ちした。 「隊長、どうやら背泳ぎは、あいつらによって、マインドコントロールされているみたいですね。」 「うむ、おそらくその通りだろう。だが、私には分かる。背泳ぎの精神は、今、必死に抵抗し続けているハズだ。あいつのぎこちない喋り方を聞いただろう? マインドコントロールされてから、まだそんなに時間が経っていないんだよ。」 その声には微かな希望を求めるような焦りが感じられた。 隊長とヅラ坊主が小声で話している様子を見て、黒服の男は更に薄笑いを浮かべて言った。 「おい、おい、私の話を無視して、2人でお喋りかい? そんなに悠長にしている時間は無いと思うけどねぇ。そこに転がっている男も、かなりの重症じゃないのかい? そのままじゃぁ、放っておいても死んでしまうだろうなぁ。ふっふっふ。さあ、早くその通信機器を元の位置に戻すんだ。それとも、こっちの女がどうなっても構わないと言うのかな? ふふふふふふっ。」 男は、神経質な表情で無理矢理に笑っているようにも見えた。そうして、反応を待つためか、しばらくの間、黙り込み、鋭い目で威圧するように隊長を見つめた。ふと、携帯電話の呼び出し音が聞こえてきた。男は、腕時計をチラリと見た後で、ポケットに入っていた衛星電話を取り出し、隊長達に聞こえない小声で、仲間と何やら話をし始めた。 ヅラ坊主は気が動転していた。 「隊長、どうしますかっ!? 青魚の状態がどんどん酷くなっていますっ! 恐らく、かなりの出血をしていて、輸血をしなければ本当に死んでしまいます! 時間がない! 一体どうするんですかっ!!」 眉間にしわを寄せる隊長の顔が一層険しく見えた。そして、一言二言自分にしか聞こえない声で何かを呟いた後、ヅラ坊主に向かって目を見開いた。 「ヅラ坊主、私は、今、心を決めたぞ。私は、背泳ぎを信じることにしたっ! あいつの精神がマインドコントロールを打ち破り、我々の助けになってくれることを信じるっ!」 そう言うと、隊長は大股で一歩前に踏み出し、仁王立ちのような恰好で、正面から背泳ぎに向かって話し始めた。その声には、力強さと、優しさと、そして悲しみが溢れていた。 「背泳ぎっ! 分かるか!? 私だ、隊長だ! この隊の創設以来、お前はずーっと、私の背中を追いかけて来てくれた! 隊長になって間もない頃、私は自分に自信が持てないでいた! そんな私に勇気を与え続けてくれたお前に、私はとても感謝していたんだ! あの頃の私には、特別な能力なんて無かったに違いない。にも関わらず、お前は組織の皆に、私の良さを公表し続けてくれた。こんな私を信じて、褒めたたえてくれるお前の行為が、正直、恥ずかしいと思ったこともあった。けれども、お前のその期待に沿うよう努力をした結果が、今の隊長としての私を作り上げてくれたんだ。」 隊長の声が僅かではあるが震え出していた。 「なぁ、背泳ぎ、マインドコントロールなんかに負けないでくれ。私達が鍛え培った精神力で、そんなもの、打ち砕いて見せてくれ! 頼む!背泳ぎっ! だから…だから… 背泳ぎ!戻って来いっ!」 それは、慟哭といってもいい、心の底からの叫びだった。隊長は、訴えかけながら、背泳ぎとの過去に思いをはせていた。そして、やがて確実に来る悲しい結末を、はっきりと意識した上での、せつない魂の共鳴を、隊長は求めていたのであった。 青魚が、隊長に向かって、何かを伝えようとしていた。ヅラ坊主が青魚の口元に耳を寄せて、それを聞き取ろうとした。 「た、隊長...せ、背中らて、背中を見せてやってくれて....」 その青魚の掠れた声は、側に居なければ聞こえないほど小さい声だった。だが、なぜかその声は隊長に届いていた。隊長は、勢いよく身体の向きを変え、ザックを背負ったその大きな背中を背泳ぎに向けてみせた。 「背泳ぎ! これを見ろっ! この俺の後ろ姿が、俺とお前が共に歩んできた証だ!長い間お前がその目に焼き続けてきた、"隊長の背中" だあぁっ!!」 その響き渡る大きな声に相応しい、凛々しく、広い隊長の背中が、雲の間から射し込む太陽の光に照らし出された。 背泳ぎの表情が、苦痛に歪んでいた。 つづく

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